第7話 “村立姥捨照小学校通り魔事件”
「明日は休むなよ、指揮者決めるから」
教員の声が放課後のチャイムと重なる。
机や椅子の脚が床と擦れる音。
机と椅子がぶつかる音。
鞄を机に上げる音。
足音、気の抜けた話し声が教室内で混ざり合う。
「何で決めるの?」
生徒の声がきいた。
「くじはどうだ? なんでもいいぞ」
「じゃあ、くじで」
異論を言う生徒はいない。
誰もなにも言わないと、それが教室というこの空間では総意になる。
いいことも、悪いことも、すべて。
鞄を背負おうとしたチユの肩に、男子生徒の肩が当たった。レイだった。
にやつきながら友人二人と教室を出て行った。
教壇から、教員がじっとこちらを見ていた。
はっきりと目が合っている。
そのうちすうっと教員は視線をそらし、空虚な、張り詰めた顔のまま教室を出て行った。
いやな感じがするのはいつものことだ。
チユは相手にしない。
どうせ考えていることは誰も彼も同じだ。
蓋魔は、人間じゃない。
〇
「遅いですよ」
姥捨照小学校、南門の前にビョークとチユが見えた。
夜中の一時半を過ぎている。
リヤカーを置いて、俺は汗を拭いた。
「何そのダサい服?」
俺の着ているオーバーオールを見て、チユが言った。
「オレンジ色?」
「チユも着るんだぞ」
「え……」
「そのノースリーブじゃ汚れるぞ」
チユに同じ色のオーバーオールを渡した。
「ほんとに着なきゃだめ?」
「潜りの作業着だ。丈夫だし、安全だぞ」
「これ、被るの?」
折りたたまれた作業着の中から、チユがマスクを見つけた。
「なんでニワトリ?」
「適当。俺はいつもの山羊マスク」
「ヘルデが山羊頭だから?」
「そ」
「安直なんだね」
「ニワトリ頭のヘルデも見かけるぞ」
「なんでビョークだけ骸骨?」
「チユさん、一応僕はあなたより五つも年上です。せめて”さん“をつけてください、“さん”を」
ビョークは深緑色のオーバーオールだった。
馬骨のマスクを被っている。
「ビョークって厨二病だったんだね。ハロウィンの仮装みたい」
「二人がおかしいんですよ。だいたい、これは侵入ですよ? なんですかそのオレンジ色は。目立ってしょうがない」
「いぬぺろは?」
「連れてくるわけないでしょ。研究室ですよ」
「ビョークってどこに住んでるの?」
「あの研究室です」
「あそこが家なの?」
「何か問題でも?」
「別に」
門を潜ると体育館や職員棟が見えた。
最初の著者メイメイの銅像もある。
「なんでヘルデってここにしか出ないの?」
「ここにしか出ないわけではありません」
「地下霊廟でも確認されています」
「でもここ小学校だよ?」
「霊廟にヘルデが出るのは、教典のせいだと言われています」
「教典って、人間愛護教会の人たちが調べてる?」
「よく知ってるな」
俺は感心した。
「学校じゃ教典のことなんて教えないだろ」
「図書室で読んだ」
「本が読めるのか?」
「読めるに決まってるでしょ。ハルの部屋にあった本だって、自分で呼んだし」
「お婆ちゃんに読んでもらったんだろ?」
「それは子どもの頃の話」
「僕らのなかじゃハルタさんくらいですよ、ぜんぜん本を読まないのは」
「まあな」
「霊廟のどこかに、教典があるのではないかと言われています」
「それがヘルデを生み出してるってこと?」
「あくまで仮説ですが」
「ここにも教典があるの?」
「わかりません」
「確か、俺が小学一年のときだ。学校敷地内に不審者が侵入してな、生徒が殺されたんだよ」
体育館と職員棟を過ぎると、広いグラウンドが現れた。
「それって、あの追悼花壇のことを言ってるんですか?」
「ああ」
グラウンドの隅に追悼花壇が見える。
数日前、チユの熱線で燃やした花壇だ。
「ヘルデが出るようになったのは、そのあとからだ」
「え、そうなんですか? じゃあそれ以前は、ここにヘルデは出なかったんですか?」
「俺は小学校入学前に引っ越して来たからわからないけど……いや、いなかったと思う」
俺は頷いて、もう一度「いなかった」と答えた。
「いたら大人から聞いてるはずだしな。夜の小学校には近づくなって。それを言うようになったのは、あの事件のあとからだ。集団登校が始まったあとだよ」
「なんでもっと早く教えてくれなかったんですか」
「知らなかったのか?」
「知りませんよ。僕はダックリバーの出身じゃないんです」
「あの花壇の下に亡くなった生徒の骨が埋まってるとクラスメイトが言ってた。いま考えるとそんなわけないってわかるけど、子どもだった俺は信じたよ。そのうち南の教室棟階段下に、幽霊が出るとか言い出してさ。毎年命日に追悼花壇の前で黙祷があってさ、そのたびにクラスメイトが思い出して話すんだよ」
当時を思い出し、俺はグラウンドを見渡した。
「大人が話す怪談は、近づけさせたくないから。子どもが話す怪談は、怖いから」
「なんだそれ?」
「事件が起きて怖かったんじゃないでしょうか。ストレスを緩和するために、無意識にそういうファンタジックな嘘を思いついたんでしょう。精一杯の楽しい嘘を」
「花壇の下に骨が埋まってることが、楽しい嘘なのか?」
「子どもにとっては」
「……まあ、犯人がすぐに捕まらなかったしな」
「こうも思ったんじゃないですか?──亡くなった生徒は、何か悪いことをしたのか? 悪いことをすれば、自分たちも殺されるんじゃないか?」
「ねえ、あれ」
チユがどこかを指差した。
グラウンドの真ん中に、山羊頭の巨人が屹立していた。
「どこから湧いてくるのやら」
「じゃあ、チユ。あれに熱線をぶちかまそう」
チユが目を丸くする。
ぷるぷるっと首を振った。
「熱線魔はこの距離からでも当てられたぞ。命中精度ともに完璧だった」
「急ぎ過ぎなんじゃないですか?」
「近づかなくていいから、ここから撃ってみ」
「でも……」
「他人に期待する奴は、自分じゃ何もしない」
ビョークが薄ら笑いをうかべた。
「厳しいこと言いますね」
「嫌ならやめていい。自分で決めろ」
イカルガならどう教えただろうか。
「駄目なときはビョークがカバーする」
「はい。ハルタさんでなく、僕がね」
「やる」
俺は頷いた。
ややあってチユは熱線の準備をした。
酔っ払いのように嘔吐き始めた。
遠くのヘルデの首がこちらへ向いた。
山羊の「一」の目が顔の横に見える。
目が合っていないのに見られている気がする。
ヘルデは片手に持った角材の棒を手首で回した。
食べ残しの食パンを詰め込んだ布袋をぶんぶん振り回すみたいに。
助走をつけてこちらへ走ってくる。
地面の揺れが俺たちの足元まで伝わってくる。
走幅跳するようにジャンプした。
中空を舞って、目の前に着地した。
砂埃が舞い、揺れた地面で土が雨粒みたいに跳ねている。
ふらついたチユの両耳から、青い火花だけが散った。
不発。
熱線は失敗した。
「ビョーク!」
ビョークがグラウンドへ飛び出してゆく。
手には黒い本があった。
開いた本の見開きから、巨大な文化包丁が飛び出した。
アメーバのように伸びる黒いスライム状の物体が、包丁の持ち手と本を結びつけている。
アメーバが動くと包丁も動いた。
刃がヘルデの脳天へ落ちた。
〇
「まずチューブをできるだけ血管に刺す」
チユに血液の採取方法を教えた。
ヘルデが仰向けに横たわっている。
切り開いたヘルデの横腹から体内へ手を入れ、太い血管にチューブを差し込んだ。
「うまくやれば、八リットル大瓶五本分は採れる」
チユは頷き、唾を飲んだ。
眩暈がするほど鉄臭く。吐きそうだった。
チューブを通って流れてきた血を漏斗で受け、大瓶に溜める。
その間、俺はヘルデの皮を剥いだ。
「地味だね。これ全部ひとりでやるの?」」
「分担してやるんですよ、今やっているみたいに」
ビョークが首を切断し終えた。
しばらくして五本分集め終えると、チユはリヤカーの荷台へ一本ずつ瓶を載せた。
手の甲で汗をぬぐうと、額にヘルデの血がついた。
「チユ、ちゃんとマスクしとけ」
「暑いんだもん、これ」
チユがニワトリのマスクを嫌々被る。
「家に帰るまでが遠足だろ?」
「なんの意味があるの、これ」
「身バレ防止だよ」
切断し終えた山羊の頭をビョークが荷台に載せた。
その上に剥いだ皮をブルーシートのように掛けた。
「ビョークの持ってた本、あれ何?」
「教典ですよ」
ああ、とチユが納得する。
「教典って、あんなことができるんだね。盾より強そう」
「でも作るのが難しいんですよ」
「どうやって作るの?」
「中身は小説と変わりません」
「じゃあ書ければいいんだ」
「誰かに読んでもらわないといけないんですよ」
「小説もそうでしょ?」
「読解者の数が力になると言いましょうか。この本を読んだのは、僕を除いて三人です」
「ハルも書いたらいいのに。そしたらビョークみたいに戦えるでしょ?」
「無理だ」
「どうして?」
「本が嫌いだから」