第5話 “熱線の吐き方”
朝方帰宅するとアパートにチユの姿がなかった。
二〇分ほど外を探しまわり、見つけたのは公園だった。
「いいか、こいつは蓋魔だ」
声変わり中の青少年の声が聞こえた。
「蓋の悪魔に魅入られた奴には、蓋をしてやればいい。じゃないと将来、立派な騎士になれないぞ」
中学生くらいの男子三人の前に、小学生と思われる男女の姿があった。
そこにチユの姿もあった。
「やれ」
中心人物と思われる少年が、盾を持つ小学生女児へ命令した。
あの盾は私物にできるようなものじゃない。
おそらく学校の倉庫から盗んだものだろう。
「根性ねぇなー。貸せ。こうやんよ」
少年が盾を奪うなり強風が吹いた。
チユは煽られ、顔の前で腕を交差させた。
盾が風に煽られた傘のように反り返った。
少年がそれをチユへ振り下ろす。
ステーキカバーのようになった盾の内側へ、チユはすっぽり閉じ込められた。
「どうだ、見事なもんだろ」
「さすが」
「うまいわー」
「なにやってんだ!──」
俺は怒鳴りながら公園へ入っていった。
一喜一憂していた少年たちの顔が引きつる。
渦中の少年だけは目つき一つ変わらなかった。
「なんすか?」
少年を無視して盾を地面から剥がし、チユを救出した。
ショックを受けたように、少年は絶句した。
取り巻きのひとりが「どんまい」と肩を叩いた。
「上手くできたと思ったんだけどなぁ」
「なんでこんなもん持ってるんだ。これ、学校で管理してるやつじゃないのか」
ステーキカバーの外側に、『村立姥捨照小学校』とあった。
「おじさん、こいつ蓋魔っすよ」
「だから?」
「かばうんすか?」
「しょうもないことすんな」
かったるそうに宙へ視線をそらした。
少年は「あー」と気怠そうな声を出した。
「あ、兄ちゃん!」
「シブミ? こんなとこで何やってんだ」
公園の前をクリーム色のコートを着た男三人が通りがかった。
内一人だけが公園へ入ってくる。
「なんか変な奴にからまれた」
「変な奴?」
男の視線がこちらを見た。
「ん、ハル?……おまえ、ハルか?」
誰だ?
「いま何してるんだ?」
「どちら様ですか」
「俺だよ、イビツだ」
小学校の頃、脚家イビツという同級生がいたことを思い出した。
脚家──と苗字が変わっているから覚えていた。
「ああ、脚家か」
「思い出したか。こいつ、俺の弟。いま何してんだ?」
「何って?」
「仕事だよ。俺の方は……まあ、見てわかるだろ」
脚家はクリーム色のコートを見せびらかしたいようだった。
「蓋ノ騎士か」
「ご名答。従騎士じゃないぞ、騎士だ。従騎士はあっち」
「すごいな」
「普通に勉強して、普通のことやってたら普通になれたよ。で、おまえは?」
ああ、そうだった。
こいつはこういう言い方する奴だった。
「悪い、ちょっと急いでるんだ。また今度話そう」
俺はチユの手を取り、背を向けた。
「なんだ? 相変わらず不愛想な奴だなぁ」
聞こえていないふりをした。
だが去り際にはっきりと聞こえた。
「蓋魔が……」
脚家はにやついているだろう。
卑しく吊り上げる直前のような、半開きの口元。
人が人を揶揄するときに見せる、瞳孔の開いた黒目。
それが想像できた。
〇
チユの腹が鳴ったから、その足で焼き肉屋へ行った。
「そういえば、ビョークがしばらく学校通えだってさ」
網の上でハラミが音を立てている。
肉の焼ける匂いが立ち上る。
俺は生レバーにがっついた。
ごま油にべっとりつけ、あら塩、ネギ、にんにくおろしをつけて。
「レバーしか食べないんだね」
「別に、骨付きカルビも食べるし、タンも食べるよ」
「でもそのレバー、三皿目だよ」
「そうだっけ」
「ずっと生だよ」
「はい、ハルちゃん。細切り肉だよ」
店員が肉を持ってきた。
細切り肉は、たれと絡めて生で食べる。
「あざす」
「あら、こちらの可愛いらしいお嬢さんはどなたかしらぁーん?」
「チユ。しばらく預かることになったんだよ」
「おいくつぅ?」
「一二歳です」
物怖じしながらチユは答えた。
「一二歳? 若い、若いわぁ。食べ盛りじゃないのぉ。いつでも来なさい、チユちゃんなら無料で食わしてあげるから」
「じゃあ俺にもレバーを」
「ハルちゃんは駄目、大人でしょ? まったく、肝臓ばっかり食べて。肝臓に恨みでもあるのかしら」
「好きだから食ってんだよ」
「焼いて食べなさい」
店長は厨房へ去った。
細切り肉をぐちゃぐちゃに混ぜ、二本ずつ食べた。
「また生じゃん」
「生がいちばん旨いんだよ。そんなことより、チユ。熱線魔って知ってるか?」
「熱線?……わたしの口から出るあれと関係ある?」
俺は頷いた。
「俺、ここ二年くらい潜りで稼いでるんだ」
「姥捨照小学校に出る山羊頭のこと?」
「そう。その界隈に熱線魔って呼ばれた女がいた」
「通り魔みたいな名だね」
「チユと同じように、口から熱線を吐くことができたんだ。ヘルデなんか一撃だった」
「見たことあるの?」
「何が?」
「熱線魔が熱線を吐いてるところ」
「……ああ、ある。彼女がヘルデを焼き殺すところを見た。俺からすれば、あの青白い光は英雄の一撃だ」
「英雄……」
チユの口元が小さく笑った。
「わたしもなれるかなぁ、英雄に」
「なれる。熱線をコントロールできればな」
「コントロール?」
「いぬぺろを燃やしかけたろ? 練習してみないか?」
チユが口ごもる。
「目的をもって過ごした方がいいと思うんだ。いますぐじゃなくていい」
「じゃあ、ヘルデを狩りたい」
「マジで言ってる?」
「やりたいことに、マジとか嘘とかあるの? 目的をもって過ごした方がいいんでしょ?」
〇
日曜だから姥捨照小学校のグラウンドには、人気すらなかった。
俺たちは北門から侵入した。
「勝手に入っていいの?」
「いいだろ、誰もいないし」
俺はステーキカバーをキャッチャーのように構えた。
「いつでもいいぞ」
「あぶないよ」
「受け流すさ。そうだ、外すなら追悼花壇にな」
「ねえ」
チユが笑った。
「深く考えなくていい。吐き方は教えたろ」
「ゲロを吐くように?」
「そう、ゲロだ」
チユが気張った顔をした。
「熱線は口から吐くんだ、尻の穴からじゃない」
「口から出そうとしてるの」
「まじで尻の穴からも出るぞ」
「嘘でしょ?」
「本当。穴という穴か出る。だから練習して、口からだけ出せるようにしないと」
何を想像したのか、チユは頭をふった。
「ちなみに熱線魔は、すべての穴から意図的に出すことができた」
「なんでそんなこと知ってるの?」
「本人に聞いた」
「お尻の穴からも出せるって、本人が言ったの?」
「うん」
「嘘つき」
しばらくして、チユが昼食に食べた肉をやや吐いた。
「大丈夫か? また今度でもいいぞ」
チユは首を振った。
「いまやる」
チユは唾を吐いた。
「ほら、さっきの中坊の面を思い出してみろ。むかつくだろ?」
「むかつく」
「あの顔面のど真ん中にぶちまけてっ──」
視界が真っ白に光った。
俺は反射的にローリングしてよけた。
チユの口から飛び出した熱線がカーブを描き、追悼花壇へ直撃した。花に引火して大炎上だ。
手に持っていたステーキカバーの角が解けていた。
「こらぁ!」
校舎から職員がこちらへ走ってくる。
「やば、逃げるぞ」
ステーキカバーを放り投げ、チユを抱っこした。
職員に追い回された。
チユはきゃっきゃと笑い声を上げていた。
俺も釣られて笑った。