第2話 “同じ顔”
「あんた、なんで潜りなんかやってんだ?」
深夜を過ぎた姥捨照小学校は、酷く鉄臭かった。
グラウンド中央にヘルデが倒れている。
今夜も俺は、ヘルデの解体に混ざる。
皮を剥ぐ者、首を切り落とす者。
そしてチューブと漏斗を上手く使い、八リットル大瓶へ血を集める者。
解体には三つの役割がある。
俺はリヤカーを死体の近くへ持ってきておいた。
「運搬専門だそうだな、腕はいいと聞いてる。まだ連中と遭遇したことすらないらしいな」
「運がいいだけですよ」
「ただまあ、普通の“瓶夫”でも狩りには参加するもんだ」
農夫、車夫、漁夫などと同じだ。
八リットル大瓶を運ぶから瓶夫。
「じゃないと取り分が少なくなる。あんた、こんなことやらんと普通に働いたほうが稼げるんじゃないか?」
「蓋魔なんですよ、俺」
「ああ、そういうことか……“蓋魔の瓶夫”って、もしかしてあんたのことか」
「はい」
イカルガが死んでもう二年になる。
来年三月で二〇歳だ。俺はまだ、この土地に縛られている。
イカルガに頼り切りだった、そのつけが回ってきた。
“蓋魔の瓶夫”は、やっとのことで手に入れた肩書だ。この土地の潜りの間でのみ通じる。他じゃどこも蓋魔なんて雇ってくれない。
「なので、普通の人みたいに普通には働けないんです」
「難儀な話だな。何かやりたいこととかないのか? あんた、まだ若いだろ」
「町を出たい……くらいですかね」
イカルガが死に、青色大陸へ行くなんて話も白紙になった。
蓋魔と旅団は愚か、パーティーを組みたがる奴はいない。
「ああ、いいかもな。他所なら蓋魔とか関係ない。そうか、そのために潜りで稼いでんのか」
「はい」
そういうわけでもない。俺に目的などない。
ただ毎夜グラウンドに潜り、日銭を稼ぐだけだ。展望はない。
「そりゃ命がいくつあっても足らねぇな」
「そうですね」
「このしのぎは難しくない」
一番年長と思われる、皮を剥いでいる男が言った。
「俺ら蓋ノ人には楽だ。盾があるしな」
男の足元に丸い盾が落ちている。
「あいつらの最後を見たろ?」
あいつら、とはさっき死んだ二人の潜りことだ。
「二人とも、ヘルデの角材に殴り飛ばされた。盾が使えようが、蓋魔だろうが関係ねぇ。遅かれ早かれ、あれが明日の俺らで、おまえだ。最後にはみんなあの角材に叩き潰されちまう。食えないひき肉になる。そんでこのグラウンドの砂と混ざり合って、昼休みにドッジボールをやるガキどもに踏み潰されんのさ」
潜りたちは笑い声を上げた。
このグラウンドの砂は遺灰だ──。
彼はそう言った。
「狩りの要領を得ちまったのが運の尽きだ」
「なんでここにしか出ないんだろうな、ヘルデ」
皮を剥いでいた潜りが訊いた。
「あそこに花壇があんだろ……ん? おい、誰かいるぞ」
血を集めていた潜りが何か見つけた。
彼はグラウンドの隅にある追悼花壇を見ているようだった。
「何だありゃ、何やってんだ?」
「やばいだろ、あれ」
カンテラの灯りが見える。
でも暗くてシルエットしか見えない。
大人の男女が二人、子どもが一人いる。
樹木に大人がロープをくくりつけている。ロープの先端に輪があるように思えた。
「見るな」
年長の皮を剥ぐ潜りが言った。
「ずらかるぞ。荷台に積め」
「何してるんでしょう」
もう少し近くに寄れば見えそうだ。
俺はその場を少し離れた。
「おい瓶夫、行くぞ」
後ろから皮を剥ぐ潜りの声がした。
「あいつ報酬いらんのか」
「ほっとけ、行くぞ」
〇
女が最初に気づき、男の肩を叩いた。
「潜り?」
耳打ちした。
「だろう。……なにかご用ですか?」
男は低姿勢な口調だった。
「何してるんですか?」
俺は訊いた。
「娘が蓋魔なもんで、はい」
男は恥ずかしがるように応えた。
「あのぉ、できれば離れていただけるとぉ……」
女が言いにくそうに頼んできた。こちらも苦笑いを浮かべている。
「頼むから、あっちへ行ってもらえませんか」
急に男の口調が荒れた。
「娘さんなんですか、その子?」
女の子は、薄手の白いノースリーブシャツに、デニムの短パンだった。
裸足だ。
今夜はすこし肌寒い。
「おたく、他所の人?」
男の口調が露骨に冷たくなっていた。
「殺すんですか?」
「引っ張るぞ」
男は俺を無視した。
綱引きでも始めるように、男女二人がロープを持った。
「せーの」
男のかけ声に合わせ引っ張った。
ロープは別の樹木から張り出した太い枝の上を、滑車のように通っていた。ロープの先端の輪には女の子の首がある。彼女の体が持ち上がり、足が地を離れてゆく。
「せーの、せーの──」
かけ声に合わせ、男女はロープを引っ張った。
少女の首の後ろでロープがぴんと張っている。
カンテラの灯りがほとばしる二人の汗と、口元の妙な微笑を照らしている。
吊るされた少女の顔がよく見えない。
デニムの短パンから伸びた生足が痙攣している。ぴんと伸びている。
白いノースリーブの襟元が、口から垂れるあぶくで濡れている。
「あなた、チユが起きちゃったみたい」
少女のぴんと張った足がやや暴れた。
「粗悪品をつかまされたか」
男女は構わず綱引きを続けた。
助けるべきでないことはわかっている。
見るな、と皮を剥ぐ潜りが言った意味もわかる。最初からわかっていた。
黙って立ち去ればいい。見なかったことにすればいい。
この土地では、それが正解だ。
だというのに、俺は解体用のサバイバルナイフを握り締めていた。
「おい!」
少女の後ろに回り込み、首の後ろに張ったロープに刃を擦り付けた。
ぷつん、とロープが切れる。
ロープを掴んでいた男女が反動で倒れた。
首に絡まったロープを解いてあげた。
唾液を吐く少女を四つん這いにさせ、背中をさすった。
少女の背中の生温かい熱がノースリーブごしに伝わってくる。
突然、後頭部に重みを感じた。
何かで殴られた。
俺はその場に倒れた。顔の横に靴のつま先があった。
見上げると、男が肩で呼吸している。手に持っているカンテラが揺れている。
「あのぉ、蓋魔ってわかります?」
「だからって殺すんですか?」
「この土地の人か……わかってやったんですか」
男が小さな四角い紙を取り出して破いた。
破かれた紙は、光る粒子になりそのうち男の右手へ収束し、丸い盾になった。
俺は盾で殴られた。
意識が飛びそうになる。
「あなた、そのくらいに」
「見られた」
「そうだけど……」
「だったら蓋をしておこう。それなら問題ないだろ」
「まあ……そうね。それなら問題ないわ」
凄まじい風が吹いた。
落ち葉が巻き上がり、樹々が揺れている。
すると強風に煽られた傘のように、盾が反りかえった。
それはまるでステーキカバーだ。
男はステーキカバーを覆いかぶせてきた。俺は、その内側にすっぽりと収まった。
「予備のロープは?」
「ないわ。またホームセンターに買いにいかないと」
「今度は麻じゃなくて別のにしよう。ナイフでもすぐ切れないやつを──」
ステーキカバーを蹴り飛ばしてやった。
俺はサバイバルナイフを構え、立ち上がった。
跳ね上がった盾が男の鼻っ柱に当たったらしい。男が鼻を押さえている。
「どうやって……」
「あなたが下手なんでしょ」
「そんなもんで何ができる」
男が俺の手のナイフを見た。
「ロープを切るくらいは」
「偉そうに……」
男はまた四角い紙を破いて盾を出した。
「どうやって生きてけって言うんだ? 娘は将来なんの職につける?」
「あなた責任が取れるんですか?」
男の後ろから女が威勢よく言った。
まるで俺の物分かりが悪いみたいだ。
男はやれやれと首を振り、女はため息をついた。
「他の子はできるのに……親の気持ちがあなたに分かりますか?」
「愛してないんですね」
「愛してるから殺すんですよ?」
女の語尾が疑問形だった。
そんなこともわからないんですか?──というようだった。
男がこっちへ近づいてくる。
俺はナイフを握りなおした。やるしかない。
そう思った、そのときだった。
視界が光に包まれた。反射的に目を瞑らされた。
ややあって細目を開けながら、辺りを確認した。
やかましい二人の声はなく、静かだった。
男女が目の前に倒れていた。
男の胸に穴が空いている。穴の縁が赤く焼けている。
女には首がなかった。切断部分が焼けている。
ぐすんぐすん、とすすり泣く声がした。
振り返ると少女が泣いた。
見間違いかと思った。少女の口元で、ばちばちっと青白い火花が散った。
「熱線……?」
俺はカンテラを拾い、少女へ歩み寄った。
熱線なわけがない。
あれを吐けるのはイカルガだけだ。
「大丈夫? その、訊きたいことがあるんだけ、ど……」
心臓で花火が破裂したみたいだった。
目の奥が脈を打って頭が熱くなる。過呼吸のように息が苦しくなった。
頭を空白が満たしていた。
俺はカンテラを近づけ、彼女の顔をよく見た。
「イカルガ……?」
女の子の顔が、イカルガにそっくりだった。