第1話 “英雄の一撃”
「残りは適当にやってくれ」
顔が煤塗れの男たちがヘルデの死体に群がった。
“潜り”と呼ばれるヘルデ専門の狩人たちだ。
ヘルデとは全長約八メートルある山羊頭の巨人だ。
起立時は、二階建て住宅ほどの高さがある。首と腰から下が山羊だ。毛深いことを除けば、胴体や腕、手は人間のものと同じ。
深夜を過ぎた小学校のグラウンドに、そんなものが倒れている。
「ああなったら終わりだ。命をかけてわずかな日銭を稼ぐ。夢も未来もない」」
残飯を漁る潜りたちへ、ハーレーが卑しい目を向けた。
小麦色の髪、青い瞳が陰っている。
まるで王子様が正体を現したかのようだ。
「でもハーレーったら、いつもお裾分けするじゃない」
フォソーラがハーレーの腕へ抱き着く。胸を押し付けた。
ブリーチで脱色した彼女の長い金髪が頬に触れ、ハーレーは嫌がるように手で払う。
「潜りは肩身が狭い。どうせあの量は俺たちだけじゃ持ち帰れないだろ。持ちつ持たれつだ」
「金は金ですよ。リヤカーをひとつ増やせばいいだけの話です」
一五歳の飛び級少年ビョークは、陰気な目をした。
「帰ったら祝杯をあげよう。この血生臭さともおさらばだ。来月は青色大陸へ行くぞ」
俺たち五人は笑顔になった。
と思ったら一人足りない。
「あれ、イカルガは?」
潜りたちの傍にイカルガの姿を見つけた。
彼女はヘルデの解体を手伝っていた。
こちらに気づいて手を振っている。手がヘルデの血でべっとりだ。
「あの子、また潜りなんかと」
フォソーラが鼻で笑った。
やれやれとハーレーがため息をつく。
「ハーレー、後ろ!」
イカルガが大声で言った。
ハルタたちの後方に、ヘルデが屹立していた。
音もなく現れた巨体が奇声を吐き散らす。
唾液が飛んだ。
さっきの潜りたちが慌てて逃げていく。ハーレーが舌打ちした。
「汚れどもが……。ハルタ、衝動で動くなよ。イカルガに任せておけ」
「わかってるって」
「ヘルデは足が速い」
馬の毛のような夕日色の髪が、俺たちの傍を通り抜けていった。
「わたしに任せて!──」
イカルガが先陣を切るのは、いつものことだ。
彼女に任せておけばいい。
いつものようにひと吐きで終わらせてくれる。
俺は安心しきっていた。
一点集中の青白い光──“熱線”。
すべてを貫く英雄の一撃だ。
彼女の口内から放射された熱線が、空気を温め地面を溶かす。
そして直線上にいるヘルデの下腹部を貫いた。
ヘルデの奇声と共に、俺たちは勝利を確信する。
夜の小学校のグラウンドで、俺たちは笑みをうかべた。
「よせ、イカルガ!」
ハーレーの焦る声がきこえた。
彼らしくない。何かが起きた。
でも何が起きたのかわからない。
「ふぉ、ふぉ、ふぉふぉ、フォソーラが……」
ビョークが尻餅をついた。
それはヘルデの後方だった。
そこに、人の下半身だけが見えていた。
それがフォソーラのものだと俺が気づくまでには数秒かかった。
誤射だった。
イカルガの放った熱線は、彼女の上半身をも焼き尽くしてしまった。
〇
「イカルガを除籍とする」
ハーレーが告げた。いつもの青い瞳が陰っている。
「またレバーばっかり食べ……」
イカルガの心配する声が途切れた。
焼き肉屋では、俺はレバーしか食べない。
ごま油に浸し、にんにくおろしを少々、ねぎ、あら塩をトッピングして食べるのがお気に入り。もちろん生で食べる。焼くやつは馬鹿だ。
個室に焼き肉の焼ける匂いが充満している。
網の上で焼ける肉の音が、いつもよりはっきりきこえた。
「パーティーは?」
ビョークが退屈そうに訊いた。
「解散だ」
「青色大陸へ行くって話は?」
「白紙だ」
「そうですか……帰るよ、いぬぺろ」
ラムリッシュセターという茶色い毛並みの大型犬が、座敷から通路へ下りた。
ビョークはいぬぺろの背にまたがった。
「んじゃ、お疲れちゃんということで」
「待てよ、まだ話は終わってないだろ」
俺は呼び止めた。
「終わったんですよ!」
ビョークが強い口調で言った。
「フォソーラの上半身がどっかいっちゃって、もう一カ月経つんです」
「そんな言い方ないだろ」
「過失とはいえ、フォソーラが死んだ」
ハーレーがパーティーリーダーとして言葉を続けた。
「騎士団の殺人とは言ってなかった」
「当たり前だろ、あれは事故だ」
「治安維持衛生局からは人殺しだと言われた」
イカルガの手が震えているのが見えた。
「フォソーラの件だけなら事故ということで済んだ。あの火災は別だ」
フォソーラは死んだ。
あの日、ヘルデは姥捨照小学校・グラウンドの西側を背に立っていた。
熱線はヘルデの下腹部とフォソーラの上半身を焼いた。
それだけに留まらず、小学校の敷地を囲む西側のフェンスを溶かし、住宅街も焼いた。
「三三人が死んだらしい」
イカルガは俯いていた。
太腿の上で握られた拳が震えている。
「ごめんなさい」
「ミスしたらすぐこれだ……イカルガのこと“熱線魔”とか言ってはやし立ててたくせに」
「むしろ守ってもらえたほうですよ」
ビョークがいぬぺろの上から言った。
「出禁はイカルガさんだけでしょ? 彼女以外は、希望すれば続けられるんですよねぇ」
ああ、とハーレーが答える。
「続けるかどうかは微妙ですが」
「他の潜りたちが殺気立ってる。一応、俺はこのグループのリーダーだ。イカルガの活躍の甲斐あって顔も知れてる。ここへ来る途中も言いがかりをつけられたよ」
「面倒ですね」
ビョークはため息をついた。
「心配するな、おまえやハルタは目立ってこなかった。俺やイカルガとは違う」
「しばらくイカルガについてる」
俺は言った。
「“蓋魔”のおまえに何ができる。盾すらろくに使えないだろ」
「そうだけど……」
「イカルガは強い。ちんぴらなんぞ、彼女が咳き込むだけで灰になる。むしろ足手まといだ。おまえまで焼かれたらどうする」
言い方が気に入らなかった。
自然と拳に力が入り、俺はハーレーの右頬を殴っていた。
簡単に除籍と言ったその無神経さも気に入らなかった。
ずっとむかついていた。
ハーレーが座敷から転がり落ちる。
「避難避難……」
ビョークがいぬぺろと出入口の方へ消えた。
「イカルガがいたから、ここまでこれたんだろ!」
俺は怒鳴りつけた。他の客が見ている。
「ハル、やめて」
イカルガの声がした。
ハーレーへさらに拳を振り下ろしたら、カーンという鉄板を叩いたような音が響いた。
直後、拳に激痛が走る。
「痛っ!」
ハーレーが盾を構えていた。
曲面が光沢のある茜色を帯びたラウンドシールドだ。
突風が吹いた。
個室に風が巻き起こり、銀色の小皿や肉、箸、トングが宙を舞った。
やめて、とイカルガが悲鳴を上げる。
頭に衝撃を感じた。
「ハーレーちゃん、風術はやめてちょうだいな」
エプロンから隆起した肉体がはみ出た男が立っていた。店長だった。
ハーレーも頭を押さえていた。
風がやんでゆく。
宙へ浮いていたそれらが落ちる。
「あんたもよ、ハルちゃん。何があったかは想像つくけど、今は耐えるときでしょ」
テーブルの上に落ちていた生レバー数枚をかき集め、八つ当たりのように口へほうりこんだ。
口の中へ塩を振り、小皿のごま油を口へ流し込み、別皿のネギ、にんにくおろしをかきこむ。
口元を油まみれんしながら、俺はハーレーを睨みつけた。
「荷物持ちが」
ハーレーが吐き捨てた。殴られた右の頬が赤い。
「よしなって」
もう一発、ハーレーの頭にげんこつが落ちる。
「痛っ……なんで俺ばっかり!」
ハーレーの傍を俺は素通りした。
〇
店の外へ出てすぐ、イカルガが背中に追いついたのがわかった。
「勝手だよな、あいつら。さんざんイカルガに頼っといて」
「しようがないよ、わたしのせいだし」
「ただの事故だ」
その一言じゃ片づけられない。
気休めにもならないことはわかってる。
「イカルガの熱線は、すべてを貫く英雄の一撃だ」
「潜りの世界に英雄はいないわ……でしょ?」
「イカルガの元気がないと俺まで元気なくなってくる」
なんとなく、もう喋る気力が失せた
これからどうしようか。
ハーレーには頼れない。
ビョークもいぬぺろと帰ってしまった。
フォソーラもいない。
明日から何をすればいいのかわからない。
狩りを続けるにしても、イカルガがいないのでは厳しい。
俺は風無しだ。風術が使えない。
だからこれまで荷物運びをやってきた。
「ハーレーの言う通りだ……俺には何の才能もない」
「困った人」
イカルガが呆れたように言った。
「大丈夫よ、わたしが連れて行ってあげるから」
俺は振り返った。
「旅団をつくりたいんでしょ? ハルの夢だもんね」
「連れてくって?」
「青色大陸……行きたいんでしょ?」
「まあ、行きたいは行きたいけど……」
「わたしが作ってあげる」
「旅団を?」
「うん」
ここ一カ月もの間、イカルガはずっと塞ぎ込んでいた。
責任を感じているのだろう。
「わたしがハルを連れて行く」
「って言ってもなぁ」
「不満なの?」
「不満はないよ……難しいだろ?」
「これでもわたし、熱線魔なのよ? ハーレーよりも有名なんだから。狩りはもう出来なくなっちゃったけど、旅団を組んじゃいけないとは言われてないでしょ? 団員なんてすぐ集まるわ」
「じゃあビョークも呼ぼうぜ」
なんとなく、イカルガにそう言われるとできそうな気がしてきた。
「ハーレーはなしな、あいつは嫌いだ」
「ちょっと喧嘩しただけでしょ。また仲直りできるわ。ハーレーはハルのこと信頼してるし」
「荷物持ちの代わりならいくらでもいるとしか思ってないさ」
「そういうんじゃないの」
「何が?」
「ハーレーは、何故だがハルのことは信頼してるの」
「……そうかなぁ?」
「不可能なことなんてないんだよ、ハル」
それは彼女がいつも口癖のように言う言葉だった。
イカルガの声でその言葉を聞くと、そんな気がしてくる。
俺はその言葉を反芻した。
それから伸びをした。
「じゃあ、ふたりでやるか!──」
その夜、イカルガはアパートで首を吊った。