1-8
ほんの僅かな静寂の後、一人の兵士が叫んで走り出す。団長の仇を取るのかと思いきや、一目散に背を向けて去って行った。気が付けば、退路を塞いでいた大量の魔導書は跡形もなく消えている。他の兵士たちも、先陣を切った兵士に続いてバタバタと逃げ出した。
「兵士たちが戻って来たぞ!」
「でもよ……様子がおかしくねぇか?」
分断されて途方に暮れていた冒険者たちは、恐怖に歪んだ兵士たちの顔を見た。
「に、逃げろおおお‼」
当然、冒険者たちはパニックに陥り、来た道を全速力で引き返した――。
広い空間に残された双子とルピスは、向かい合って一息つく。バスチーは魔導書を何冊も重ねてその上に腰を下ろしている。もちろん、バットやルピスの分は用意していない。
「そ、その腕……」
「あぁ、心配ない。最近の魔術医療は凄いからな。これぐらいなら直ぐに治してもらえるさ」
バットの拳は潰れ、指はあらぬ方向へ曲がっている。更に、肘の少し手前から折れた骨が皮膚を貫いてむき出しになっていた。バットはそれを強引に押し戻し、片手で針に糸を通して縫合を始める。すると、ピタリと出血は止まった。
「俺は医者じゃないが、こういうのには慣れてるんだ」
「そ、そうなんだ」
顔を歪めたルピスを安心させるために、バットは無理やり笑顔を作った。
「で、何でルピスはそんな厄介な魔器亜と契約しちゃったんだよ」
バスチーは尋問を開始した。
「分からない……何にも思い出せないんだ。最初の記憶は一年前。王国の偉い人達がボクを囲んでて……魔器亜を使えって言われて……」
「なるほど、契約の代償は記憶か。十中八九、王国の奴が無理やり契約させたんだろうな。何なら覚えてる?」
「なんとなく、自分の名前だけは分かった。それ以外は何も思い出せない……」
家族や友の記憶もなく、無理やり人殺しに加担させられたルピスの心身的負荷は想像を絶するだろう。その心情を察したバットが、何とか前向きな空気に変えようと声を掛ける。
「見たところ、ルピスはまだ十歳……いや、十一、十二歳ぐらいか? 人生はこれからの方が長いんだ。失った物より得る物の方が多くなる……はずだ」
「いいや、そうとは限らないぞ」
即座に否定するバスチーの言葉に、バットは驚きを隠せない。口を馬鹿みたいに開けたまま、声も出せずに呆けるしかなかった。
「魔器亜は契約者の人生に最も重要な物を奪う。たかが十数年の記憶が、奪うに値するほど重要であると判断されたわけだ……。ルピス、お前何者だ?」
ルピスは答えられずに口元をもごもごさせながら眉を八の字にして俯いた。
「ルピスが間人かどうかも定かじゃないなぁ。森人や蝶人、獣人の種族は見た目でそうじゃないと分かるが、巨人や鉱人なんかは間人と似てるからな」
間人とは、この世界において“人間”を指す言葉だ。寿命は短いが、繁殖力と統率力に優れた種族である。双子もこの間人にあたる。
「こんなに小さいのに……とても巨人には見えないぞ」
「馬鹿、巨人はでっかくなれるだけで、普段のサイズは間人と変わらねーよ」
「悪口はよせ。会ったことがないから知らなかっただけだ」
間抜けな双子のやり取りを前にしても、ルピスの気分は晴れない様だ。記憶が無いことを気にしているわけではない。契約してしまった魔器亜をどうするべきか思い悩んでいるのだ。
「契約者のボクが死んだら、魔器亜は暴走しなくなる?」
ルピスは何度も言われてきた。人を喰わせねば魔器亜が暴走し、より多くの人を飲み込むと。それを嘘と断ずる根拠はない。ならば、最悪のケースを考慮して対処する他ないだろう。
「確かに魔器亜は契約した後も、何かしら要求し続ける。それが人の血肉であることは間違いないだろうね」
バスチーもまた、魔器亜と契約した者。その生態は理解している。
「でも言ったろ? 『私たちなら解決できる』って」
そう言って、バスチーはバットに顔を向けた。
「弟なら、無限に血肉を分け与えることができる!」
「血、だけだ。肉はやめてくれ」
珍しくバットは慌てふためいた。バスチーの冗談の様な言葉には、本気が混じっていることがあるからだ。
「そ、それって……」
「ルピスが私たちと一緒に来る気があるなら、だけどな」
ルピスは、ようやく笑顔を見せた。
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