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ソルブレア帝国国立図書館。
絵本や小説、図鑑や歴史書、魔導書等、実に1500万冊もの本を保有している。
その規模は世界最大級だ。
とはいえ、読書を嗜む国民が少ないのか、そこまで賑わっているというわけではない。
昼間にも関わらず、閑散とした空気が漂っていた。
そんな中、とある本棚の前にローズは立っていた。
規則正しく並ぶ分厚い本とにらめっこをしている。
背表紙のタイトルは、どれも兵法や戦術に関するものだった。
ローズはそのうちの一冊を抜き出す。
ずっしりと重みを感じる本の中身を、その場で開く。
そのページは、びっしりとした文と地図が描かれていた。
地図には白と黒の点が書かれており、兵の配置を表しているということを、ローズは辛うじて理解できた。
そして文は、その戦略の概要を説明している。
とはいえ、ローズは地図が満足に読めない。
文字の羅列を読み取る気力も湧かない。
ページをパラパラとめくってみたが、ほとんど似たような構図になっていた。
頭がキリキリと痛み出したところで、本を元に戻した。
講師にもっと勉強しろと言われたが、やはりどうにも勉学には手を付ける気が起きない。
「ローズー!」
頭痛で額を抑えているところに、一緒に来ていたシンシアがパタパタと走り寄ってきた。
「シンシア、図書館で大きな声出しちゃダメだよ。あと走るのもダメ」
「ねぇねぇローズ、これ読んで」
シンシアは絵本を持っていた。
タイトルは『くろねこネーロ』。
表紙にはベッドに座る少女と、窓際に立つ黒猫が描かれていた。
その黒猫が、どことなくローズの部屋に居つく黒猫に似ている気がした。
「絵本?」
「うん。読んで読んで〜」
先程の兵法の本よりは、頭は痛くならないだろう。
シンシアにせがまれるがまま、ローズは近くのソファに腰掛けた。
そしてシンシアが隣に座ると、絵本を読み始めた。
『くろねこネーロ』。
むかしむかし、お花にかこまれたおうちに、ミリアというおんなのこがすんでいました。
おうちのおそうじをしたり、おせんたくをしたり、もりできのみをつんだり、かわでおさかなをつったり、えほんをよんだり。
それからたまに、おはなでかんむりをつくったり、ちょうちょをおいかけたり、シャボンだまをとばしたり。
そんなまいにちを、ミリアはすごしていました。
あるひのこと、ミリアがもりのなかにはいると、1ぴきのくろねこにであいました。
「こんにちは、くろねこさん」
「こんにちは、おじょうちゃん。おなまえは?」
「わたしはミリア。くろねこさんは?」
「ぼくにはなまえはないよ」
「そうなんだ。それじゃあ、わたしがつけてあげる」
どんなおなまえにしようかな。
ミリアはすこしかんがえました。
それから、ぽっとあたまにうかんだなまえを、くろねこにいいました。
「ネーロ。あなたのなまえはネーロよ」
「ネーロか。かっこいいなまえをもらっちゃったな。ありがとう、ミリア」
ネーロはとてもよろこびました。
ミリアはネーロとなかよくなりたいとおもいました。
「ネーロ、わたしのおうちにおいでよ。おさかながあるよ」
「ほんとうかい?」
ネーロはめをかがやかせました。
ミリアはネーロをつれて、おうちにかえりました。
そしてバケツに入ったおさかなを1ぴき、おさらにのせてネーロにあげました。
「めしあがれ」
「おいしそう。いただきます」
ネーロはおさかなにかぶりつきました。
おなかをむしゃむしゃ。
せなかをむしゃむしゃ。
ほねをがじがじ。
あっというまにたいらげてしまいました。
「はぁ〜おいしかった。ごちそうさま」
「どういたしまして」
「ところで、ここにはミリアしかいないの?」
「そうだよ。わたしひとりでここにすんでるの」
「それはさびしそうだね。それじゃあ、ぼくがともだちになってあげるよ」
「ほんとう?ありがとう!うれしいな〜」
ミリアはおおよろこびしました。
それからミリアは、まいにちネーロといっしょにあそびました。
はるにはいっしょにおはなばたけをかけまわり、なつにはいっしょにさかなをつったり、あきにはもりでくだものやきのこをとりました。
そして、ふゆがめぐってきたころ。
さむさのせいなのか、ミリアはびょうきになってしまいました。
ネーロはベッドでよこになるミリアをしんぱいします。
「ミリア、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶだよネーロ。すぐよくなるから」
ミリアはわらってそういいました。
ネーロはかわりにごはんをつくったりと、ひっしにかんびょうをがんばりました。
しかし、ミリアのびょうきはよくなりません。
それどころか、どんどんわるくなっていきます。
おでこにふれるとひのようにあつく、せきやはなみずがとまりません。
ついにはネーロがよびかけても、へんじができないほどによわってしまいました。
このままでは、ミリアはしんでしまうでしょう。
そうおもったネーロは、いそいでいえをでて、もりのほうへとはしっていきました。
そしてよるになったころ、はっぱまみれになったネーロはもどってきました。
くちには、ひすいいろのくさがくわえられていました。
「ミリア、これをたべるんだ」
ネーロはくるしむミリアのくちに、そのくさをいれました。
とてもにがかったので、ミリアははきだそうとします。
それをネーロは、ミリアのくちをふさいでとめました。
ミリアはかんねんしたようにくさをのみこむと、やがてしずかにねむりにつきました。
つぎのひ、ミリアはめをさましました。
もうすっかりくるしくありません。
どうやら、もうびょうきはなおったようです。
ミリアはびょうきがなおったことによろこびましたが、どこかおかしいのです。
いえのものが、いつもより大きくかんじます。
それに、じぶんのてがしろいふわふわのけでおおわれていて、にくきゅうまであります。
ミリアはおおあわてでかがみのまえにたちました。
そこにうつったのは、けがフワフワのしろいねこでした。
ミリアはじぶんのかおをさわります。
おでこをさわっても、ほっぺたをさわってもフワフワです。
あたまをさわると、さんかくのおみみがついています。
しんじられませんが、まちがいありません。
ミリアはねこになってしまったのです。
「ミリア!よかった、めがさめたんだね」
おうちのどこかにいたネーロがかけよってきました。
ミリアはあわてていいました。
「ネーロ!わたし、ねこになっちゃった!」
「その、ごめんね。それは、ぼくがたべさせたやくそうのせいなんだ」
「やくそう?」
「うん。きのうミリアにたべさせたのは、どんなびょうきもなおるやくそうなんだ。だけど、そのかわりたべたひとはねこになっちゃうんだ」
「そうだったんだ」
「ごめんね。けど、そうしないとミリアがしんじゃうきがしたから……」
ネーロはとてももうしわけなさそうにしていました。
にんげんからねこにしてしまったことをきにしているようでした。
けれどミリアは、あまりきにしていないようすでした。
「でもありがとう。おかげでげんきになったよ。ネーロはいのちのおんじんだね」
「えっと…。ミリア、もうひとにもどれないんだよ?いいの?」
「いいの。わたし、ねこになりたいっておもってたの。だからいいんだ。それよりネーロ、これからもともだちでいてくれる?」
「うん、もちろん!」
ミリアとネーロは、おたがいわらいあいました。
こうして2ひきは、これからもしあわせにくらしていくのでした。
めでたしめでたし。
「おもしろかったー!」
絵本を読み終えると、シンシアは満足そうに笑った。
ローズはひとまず、絵本を膝の上に置く。
シンシアと違って、いまいち面白さは感じなかった。
「ローズはおもしろくなかった?」
「よく解らないな。シンシアはこのお話、好きなの?」
「うん!ねこになるのがよかった!シンシアもねこになりたい!」
「そうなんだ」
「ローズはねこになりたいって思ったことないの?」
「無いかな。猫になったら、弱くなっちゃうから」
自分に必要なのは圧倒的な強さ。
弱さなんていらなかった。
「ただいま」
日が沈む前に、ローズは部屋に帰ってきた。
ベッドで丸くなっていた黒猫が出迎える。
「よぉ。今までだったらただいまなんて言うことなかったんじゃねぇか?」
「まぁ、私一人だったから」
黒猫がローズの部屋に来てから5日経っていた。
もうすっかりこの環境を受け入れつつある。
ローズは黒猫の隣に座った。
それから剣を抜くと、手入れを始めた。
「どこ行ってたんだ?」
「図書館」
「一人でか?」
「シンシアと」
「何かおもしれぇ本あったか?」
「特には」
「あぁそうか。お前本とか苦手だったな」
黒猫はクスクスと笑う。
ローズは気にせず刃を拭く。
「あなたは今日何してたの?」
「ゴロゴロしてたぜ」
「……退屈じゃなかった?」
「猫は怠けてナンボなんだよ。可愛がられるために生きてるもんだ。お前ももっと可愛がってくれてもいいんだぜ」
「可愛がるって、どんな風に?」
「そうだなぁ……。とりあえず一旦剣仕舞おうぜ」
黒猫は冷や汗をかきながら言う。
剣を片手に「可愛がる」と発言するローズに、微かな恐怖を覚えた。
刃先がギラリと不気味に光っている。
定期的に手入れをするため綺麗ではあるが、いったいこれまで血を何リットル吸ってきたことか。
さらにそんな剣がもう一本。
物騒なことこの上ない。
「可愛がるっつったら、例えば体を撫でたりだな。特にあごが気持ちいいんだぜ」
「そうなんだ」
「興味無さそうだな」
「あごを触って気持ちいいと思ったことないから」
「あごで気持ちよくなる人間とか激レアだろうしな。猫はあごがいいんだよ」
「そうなんだ」
ローズは剣を拭きながら受け答えする。
その冷たい返しに、黒猫はやれやれといったように尻尾を振った。
それから、何かを思い出したかのように尻尾を上にピンと立てた。
「そういやローズ、そろそろ俺の名前考えてくれたか〜?俺名付けの日が楽しみで夜しか眠れねぇよ」
「………そうだったね。じゃあ……」
ローズは手を止め、黒猫の方を向き直る。
それから、黒猫に名前を授けた。
「ネーロ」