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“驚き”というものを感じたのは久しぶりだった。
最後に驚いたのはいつだったか、ローズ自身覚えていない。
その驚きの元凶である黒猫は、ローズの心境も気にすることなく話を続けた。
「この国どうなってんだ?ガキや野良犬に追い回されるし、肉屋の近く通っただけで店主に蹴られそうになるし、暇そうな衛兵に槍でどつかれそうになるしよぉ。物騒すぎんだろ。なぁお嬢ちゃん。……あぁ?何驚いてんだ?」
「なんで……喋れるの……?」
「ん〜?お前も猫は喋っちゃいけない側の人間か?」
「猫は喋らないよ」
「でも俺はこうして喋ってるぜ」
「………」
ローズは言葉を詰まらせる。
猫に論破される日が来るとは思ってもみなかった。
とはいえ、この黒猫が普通でないことは確かだ。
殺気は感じないが、ローズの手は自然と剣に触れていた。
「おいおいやめろって。賢明だけどよぉ、俺は別にお前を殺しにきたわけじゃねぇんだぜ」
「……じゃあ、何しにきたの?」
「宿泊」
「???」
さも当然のように言う黒猫に、ローズは再び困惑する。
どうしたものかと考えていると、ドアが叩かれた。
「ローズー!講義始まっちゃうよ!?」
「シンシア……!」
早くもシンシアが迎えに来た。
ローズは少し迷った後、双剣をベッドに放り投げ、机に置いていた教材を手に取る。
それから急いで部屋から出て行った。
「慌ただしい奴だなぁ」
黒猫はそう言うと、欠伸をしてから丸くなり、そして眠り始めた。
時間は進み、夜。
薄暗い廊下を、ローズはゆっくり歩いていた。
戦闘は得意だが、勉学は苦手だ。
ずっと椅子に座り、よく解らない政治や地理、戦術等の話を聞かされる。
自分なりに理解しようとするのだが、どうしても頭に入ってこない。
教本の細かい文字すらも、読む気が失せる。
結局講義の途中で眠ってしまったローズは居残りさせられ、やっと解放された頃には暗くなっていた。
いつもなら夕食を食べている頃だが、今は眠気の方が勝っている。
食堂に寄ることなく、ローズは自室のドアを開けた。
「よぅ。随分お疲れみてーだな」
「……まだ居たの?」
いつでも出て行けるように窓は開けていたが、部屋にはまだ黒猫の姿があった。
机が硬かったせいなのか、今はベッドの上に居る。
「言ったろ?宿泊しに来たって」
「……私のところじゃなくてもいいと思う」
「城下の野蛮な住人達の家じゃ落ち着けねぇし、王族のところに行っても何されるか解らねぇ。お前が一番丁度いい。できれば斬り捨てないでほしいがな」
「……そっか」
黒猫の言う通り静かに呟くと、ローズは教材を机に置き、ベッドに倒れ込んだ。
黒猫は下敷きにならぬよう、慌てて飛び下りる。
「おいおい、本当にお疲れみてーだな」
「そうかもしれない」
「お前みたいな年頃の娘は普通、可愛い猫見たら目を輝かせるもんだぜ。なのにお前、何だその目。死んだ魚じゃねーか」
「死んだ魚?……私、生臭い?……そういえば水浴び、まだだった」
「目の話してんだけどなぁ」
黒猫は呆れた声でそう言い、再びベッドに跳び乗った。
横たわるローズの目の前に歩み寄る。
「お前、名前は?」
「……ローズ」
「ローズ……。ローズか。……そうか」
「あなたは?」
「俺か?好きに呼んでもらって構わないぜ。別に名前に執着とかはねーからよ」
「……そっか。ふわぁ………」
「眠そうだな」
「寝る」
ローズは顔を蕩けさせ、あくびをする。
双剣を抱き枕のように抱え、毛布を被る。
「それ、硬くねーか?」
「寝込み襲われた時に必要」
「起きれんのか?」
「いつでも起きれるから大丈夫」
「便利な体してんなぁ。ゆっくり寝ろよ。見張りくらいはしてやるからよ」
「ありがとう。……おやすみ」
ローズはそこまで言うと、早速寝息を立て始めた。
「寝顔はその辺の少女と変わらねぇな。にしても物騒な国に来ちまったもんだ。ガキを兵士にするなんてよぉ」
独り言を言う黒猫は傍に座る。
そしていつまでもローズのことを見守っていた。