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オウルベアの太い右前足が叩きつけられる。
砕いたのは、先程までローズとネーロが座っていた岩だった。
轟音と共に、岩の破片が飛び散る。
岩の上に置いていたリュックも跳ね上がり、荷物が散乱した。
オウルベアが殴った箇所は陥没し、蜘蛛の巣のようなひびが入っていた。
こんな一撃をまともに食らえばペシャンコだ。
そうなる前に、ローズとネーロは跳んで難を逃れていた。
「うへぇ…。エグいなこりゃぁ。どうするローズ?逃げるか?」
「逃げられるなら逃げるけど…。でも……」
ローズの視線に映ったのは、散乱した荷物だった。
収納されたテントに水筒、それからリュックから飛び出た下着やタオル等が飛び散っている。
荷物に気を取られているうちに、オウルベアが再び襲ってきた。
四足歩行なのも相まってやたら速い。
鋭い爪が届く寸前、ローズは横っ跳びで躱す。
オウルベアは勢い余って、ローズ達より後方へと突っ込んだ。
「荷物が気になるか?」
「今までなら、仕方ないってなるけど…。今は、そうはいかないかも」
荷物無しで旅を続けるのは厳しい。
兵士だった頃も、遠征時には充分な荷物を用意して挑んだ。
滅多に無かったが、危険な状態に陥った時は迷わず荷物を捨てた。
帰る国があり、国に充分過ぎる蓄えがあるからだ。
今この瞬間、荷物を捨てて逃走し、国に戻って荷物を整え直すのが一番安全だ。
幸いソルブレアから、そこまで離れてはいない。
しかしローズは今、出国した身。
国王から直々に見送られてもいる。
ここで逃げて帰れば、王の顔に泥を塗ることになるのではないか。
そもそも王に情けない姿を見せたくはない。
ローズにもそれくらいのプライドはあった。
「辞めたけど、兵士としての誇りは捨ててない。襲って来るなら倒す」
「そうだな。何にしても、オウルベアは執念深い」
オウルベアが地面に爪を立てて止まる。
この地を覆う草が抉れ、焦げ茶色の土が盛り上がる。
オウルベアは再び咆哮を上げ、ローズに向かって突進してきた。
「ネーロ、荷物をお願い」
「あ?」
ネーロの返答を待つことなく、ローズはオウルベアに向かって走り出した。
流石にこれは予想外だったようで、オウルベアの反応が遅れた。
ローズは目の前で跳躍。
オウルベアの頭を踏み抜き、さらに跳び上がった。
その勢いのまま着地し、オウルベアの後方へと走って行く。
その先にあるのは、林だ。
オウルベアも振り返り、ローズを追いかける。
「……なるほど。自分の得意なフィールドで戦ろうってか。…そんじゃあ俺は……と」
高原に1匹だけ残されたネーロは、散らばった荷物の方に向かった。
林の中で1本の木を背にし、ローズは振り返る。
オウルベアはすぐに追いついてきた。
唸りを上げ、鋭い爪で切り裂きに掛かる。
「見える」
ローズはさっきと同じように跳躍した。
空振った爪が木にぶち当たり、大きな傷を付けた。
ローズが着地したのはオウルベアの背中。
そこからまた跳び上がり、別の木の太枝に乗った。
オウルベアは怒り、ローズが居る木に向かって体当たりをした。
“バキバキバキ……!!”
その木は軋むような音を立てて倒れた。
しかし、そこにローズの姿は無い。
既に別の木に移っていたのだ。
戦時中と同じ。
命を刈り取るあの冷酷な瞳で見下ろしていた。
「こっち」
ただ一言、ポツリと呟く。
その一言に触発されたオウルベアは、さらに暴れ狂った。
手当たり次第にローズが移る木を、殴り、切り裂き、へし折っていく。
しかしオウルベアの手が届く寸前で、ローズは別の木に跳び移っている。
ローズには、オウルベアの攻撃が完全に見えていた。
たまに地面に下りては、木の幹間を跳ね回って翻弄する。
林のような立体物の多い場所では、ローズはほぼ無敵なのだ。
オウルベアはローズに傷を付けるどころか、一度も触れることができなかった。
攻撃は全て空振り、木の枝や破片、粉塵だけが舞い上がる。
時間が進むごとに剥き出しになる、オウルベアの凶暴性。
それでもローズは冷静だった。
自分の顔に向かって飛んでくる破片ごと、当たり前のように躱していく。
流石にオウルベアの体力は無限ではない。
ずっと暴れ続けることなどできず、動きが止まった。
舌を出して息を切らしながら頭上を見上げる。
だが、その視界にはローズの姿は無かった。
慌てて周囲の木々も確認するが、見つからない。
気配も感じられなかった。
逃げられたのか。
オウルベアがそう考え始めた時、ローズは既に頭上を侵略していた。
高所から双剣を構え、飛び降りる。
そこからさらに回転を入れた。
“ザシュッ!!”
重量に加え、落下する毎に増した回転。
その刃で、オウルベアの首を斬り落とすのには充分だった。
“ブシュゥウウウウウウウ!!”
首を失ったオウルベアの身体が、血を撒き散らしながら転がる。
そして最後は横に倒れ、痙攣して動かなくなった。
「ふぅ…。勝った……」
ローズは小さく呟き、頬に掛かった返り血を拭った。




