1-12
ソルブレアが全存在を賭け、ドラゴンを追い返した日の翌日。
ローズは国の外にある森に居た。
周囲を警戒しながら歩き回り、時折木に登って辺りを監視する。
近くには樵夫と、兵士が複数。
樵夫が切り倒した木を、兵士達が運んでいた。
ソルブレアの動きは早かった。
1日休んだ後、すぐに街の復旧に取り掛かり始めたのだ。
国で瓦礫の除去が進んでいる一方、一部の兵士は樵夫と共に物資の調達をしていたのだ。
ローズは監視と護衛の役割を与えられていた。
ドラゴン襲撃の件が国外に伝わるのは、時間の問題だろう。
周辺の国は支配下に置いていたが、この機に乗じて攻めてくる可能性も高い。
モンスターと遭遇する恐れもあるため、油断ならない。
「お前も働き者だよなぁ〜。ようやく呪縛から解放されたってのによぉ」
ローズの傍で、ネーロがケタケタと笑う。
「……このまま放って旅に出られないもん」
監視を続けたまま、ローズは静かに言った。
昨夜、避難民の対応を終えた兵士達は、食堂に集っていた。
ローズもまた、晩飯にありつこうとしていた。
パンにスープ、ウインナーにサラダ。
とはいえ、いつも通りの食欲は無かった。
「ローズ、隣良いだろうか?」
「…ヨハン様」
右隣からヨハンが話しかけてきた。
彼が持つ盆には、ローズ達と同じメニューが乗っかっている。
「はい…、大丈夫です」
「そうか。なら、遠慮なく…」
ヨハンはローズの隣に座る。
「ネーロはどうしたんだ?」
「眠いって言ってて…。私の部屋で寝てます」
「そうか。ネーロも頑張ってくれていたからな……」
それからヨハンは食に感謝を述べると、晩飯を食べ始めた。
「……うむ、美味いな。いくらでも食べられそうだ」
「よかったです」
「ローズは、食欲湧かないか…」
「……はい」
申し訳無さそうに、ローズは答える。
食べなければならないのは解っている。
体調が悪いわけでもない。
それでも、スプーンやフォークを持つ手があまり動かなかった。
「悩み事か?」
「はい…。シンシアのこと、考えちゃって……」
ローズはシンシアのことが頭から離れなかった。
妹のように可愛がっていたシンシア。
その最期は、実に唐突だった。
ローズがドラゴンに焼き尽くされる寸前、シンシアが助け出したのだ。
最後シンシアは、安心したような笑顔を浮かべたまま、炎の中に消え去った。
一部始終を聞いたヨハンは、悲しげな表情を浮かべる。
「君とシンシアは、仲が良かったよな」
「……シンシアは可愛い娘でした。こんな私と仲良くしてくれたし…。ネーロが来てからは、一緒に旅に出たいねって、夢を見てました。でも…、シンシアは目の前で死にました。最期の言葉も聞けませんでした。それなのに、私は生き残って…。それがとてもずるいような気がして、不安で……どうしたらいいか解らなくて……」
そう語るローズの疲れた目が潤む。
ネーロの言葉で一度は立ち上がれたが、やはり簡単には切り替えられないようだ。
やはり子供が背負うには重すぎる。
ローズの横顔を見ながら、ヨハンは子供を兵士として使うことの残酷さを再認識した。
そして、このままではローズが壊れてしまう気もした。
「ローズ、シンシアは君のために動いたんだ」
「……えっ?」
ローズがゆっくりと顔を上げた。
実はローズが出撃してから、シンシアはすぐに立ち上がっていた。
涙を拭い、落としたハンマーを拾うと、街へと急ごうとする。
『シンシア!待つんだ!』
ヨハンは反射的にその腕を掴んだ。
シンシアはその手を振り解こうと、暴れる。
『離して!』
『危険だ!』
『関係ないもん!』
シンシアはヨハンの手に噛みつき、強引に剥がした。
だがすぐ向かおうとはせず、ヨハンに向き直った。
『ローズは勇気を出して危ないところに行ってるのに、シンシアだけ行かないのは嫌だ!』
『シンシア……』
『だから行くの!ローズと一緒に戦うの!ローズが死んじゃうのも嫌だから!!ローズと一緒に居たいから!!』
そこまで言うと、シンシアはローズを追いかけていったのだ。
「……」
その話を聞いたローズの目は見開かれていた。
シンシアが最後まで自分のことを想ってくれていたことに、驚きが隠せなかった。
「ローズ、すまない。私はあの時、シンシアを止められなかった」
「……」
「だが、シンシアは君に生きていてほしいと思っていた。それで君を庇ったんだ。君のことが大好きだったから」
「シンシア……」
「だから、その…上手く言えないが…。ローズ、生きてくれないか?君には生きて、沢山のものを見てほしいんだ。シンシアもきっと、そう願っているから」
「ッ……!……はい…」
ローズは嗚咽混じりの声で応えた。
両目からボタボタと涙が零れ落ち、机を濡らしていく。
ローズは皿の上のパンを掴み、齧りついた。
涙を流しながら、一口ずつ噛む。
まるで今までのシンシアとの思い出を噛み締めるかのように。
その様子に、ヨハンは安堵した。
そしてこのタイミングで、ここまで考えていた提案をする。
「ローズ、食べながらでいいから聞いてほしい。私は、“王の槍”を解散させようと思う」
「ッ……!!」
スープを啜っているローズは、ピクリと動きを止めた。
呆然としながら、ヨハンに視線を送る。
「もう君しか居ないし、子供を兵士にさせたくないからな。それに伴い、君の兵役を解く。……これで君は、もう普通の少女だ。必要ならば、城下の子供達のように学校に通わせることができるし……旅にも出られる」
「……」
「……そんなこと父上が許す訳ないが、根気強く説得してみせるさ。しかし、時間が掛かるだろう。国を出るとしたら、今のうちだな…」
ヨハンは冗談っぽく言いながら笑った。
父上が戻ってくる前に旅に出ろ。
ヨハンの言葉からは、そう示唆しているように聞こえた。
旅に出られる。
それはローズにとって念願だった。
しかし、荒らされた国を置いて出ていくのは気が引けた。
「……ヨハン様、素敵な提案ありがとうございます。ですが……もう少しだけ、お手伝いさせてください」
「いいのか?」
「いいんです。最後に、私をここまで育ててくれたこの国の役に立ちたいんです」
そう口にするローズは、小さく微笑んでいた。
辛いことも多かったが、受けた恩は返して旅に出たかったのだ。
「受けた恩は返すか。律儀だねぇ」
ネーロは呆れ気味にそう言った。
「あの王といい、国民達といい、“王の槍”っつー名前といい、お前ら道具扱いされてなかったか?特に昨日の王のお前への当たり。普通のガキにするモンじゃねぇぞ」
「でも、優しい人も居たよ。ヒタキ先生、ヨハン様、シンシア、ネーロ……」
「俺も入るのかよ」
「私が旅に出たいと思ったのも、ネーロのおかげだから」
「それ優しいって言うかぁ?俺は強ぇボディガードが欲しかっただけだっつーの。あと俺は猫だ」
ネーロは舌を出してそっぽを向く。
その時、少し強めの風が吹いた。
それが周囲の木の葉や草を揺らす。
汗水流して働く兵士や樵夫にとって、涼しい風は癒しだった。
「……ッ!」
しかしローズは、その風に乗ってきた臭いを逃さなかった。
「……気づいたか、ローズ」
「うん。……死臭」
臭いが漂ってきた方は、木々が生い茂っていてよく見えなかった。
近くでモンスターが息絶えたのだろうか。
もしくは人か。
後者である場合、野ざらしにしておく訳にはいかない。
それに、妙な胸騒ぎもする。
「見てくる」
「1人でか?」
「うん」
「大丈夫か?」
「うん。なんでもなかったり、危なそうだったらすぐ戻ってくる。そっちも何かあったら教えて」
「おぅ、任せろ」
ネーロに見送られ、ローズは臭いの出元に向かった。
木々の間を抜けると、急な下り坂になっていた。
転げ落ちぬよう、慎重に滑って下る。
それから20歩程進んだところに、それらはあった。
「これは……」
ローズが見つけたのは、人間の死体だった。
それは1人だけではない。
10人以上の死体が、辺り一面に転がっていた。
手足が切れていたり、頭がもがれていたり、身体の中心に穴が空いていたり…。
綺麗なものからグチャグチャになっているものまで、様々だった。
全員森を歩くには向かない、豪華な服を着ている。
最も、今は黒い血で汚れてしまっているが。
「……」
ローズはこの死体達の正体を知っていた。
死体をひとつひとつ確認しながら、前へと進む。
でっぷりとした腹が破け、骨まで見えている大臣達。
胸部から下が無い第一王女。
手足が全てもがれ、達摩のようになった第三王子。
まっ黒焦げになっている王妃。
胴体を穴だらけにされ、白目を剥いている第一王子ハンス。
そしてローズの足下にあったのは、ソルブレア帝国国王の首だった。
「…………」
ローズは首を見下ろし、唖然と立ち尽くしていた。
自分が仕えていた者達が、今こうして死体となって転がっている。
これは夢ではない。
間違いなく現実だ。
しかし、実感が持てなかった。
どうすればいい。
この事態をどう説明すればいいのか、ローズには解らなかった。
いろいろ考えていると、次第に頭が痛くなってきた。
ローズは俯き、額に手を当てる。
しかし、痛みが治まる気がしなかった。
「おいローズ」
「ッ!!」
突然呼びかけられて、我に返る。
いつの間にか後ろに、ネーロが佇んでいた。
「ネーロ…?」
「全然戻ってこねぇから、心配して来ちまったぜ」
「……ごめんなさい」
「無理ねぇよ。こんなの見ちまったらな。しっかし酷ぇなぁ」
ネーロはキョロキョロと死体を見回した。
「これが、国を見捨てて真っ先に逃げた王族の末路ってか。呆気ねぇ。神さんはちゃんと見てるらしいな」
「……」
「悪かったよ。一旦戻るぞ。報告だ」
「……うん」
ネーロを先頭に、ローズは引き返す。
その途中、柔らかいものが頬に触れた。
それは風に乗って飛んできた、ヒッポグリフの羽毛だった。
報告を終えてから早かった。
すぐに兵士達が現場に向かい、死体を運び出した。
王族の大量死。
ローズと同じく、兵士達もまた衝撃を受けていた。
日が落ちる頃には、死体は全て棺に入れられた。
「……」
ヨハンは憂いに満ちた顔で、父が入った棺を見ていた。
「……父上。私達は結局……解り合えないままでしたね」
生前、特に価値観が合わなかった父。
いよいよ最後まで意見が一致することなく、喧嘩別れしてしまった。
父の棺を見つめるヨハンの背中は、とても寂しそうだった。
拳を握りしめ、小刻みに震えていた。
ローズはネーロと共に、その後ろ姿を静かに見守っていた。
「王族はヨハン以外全滅か。ドラゴン追い返してもボロボロじゃねぇか」
「……」
「ローズ、お前も悲しそうだな。……そりゃそうか。主だったもんな」
「……それもあるけど、ヨハン様が悲しそうなの、嫌だ」
ローズはヨハンを一番に慕っている。
だからこそ、役に立ちたい。
しばらく国に残る選択を取ったのも、それが理由のひとつだったりする。
「そうか。ヨハンいい奴だもんなぁ。……さて、問題は」
ネーロの目が、急に刃物のように鋭くなる。
「誰が殺ったのかってとこだよなぁ」
殺したのが肉食のモンスターなら、死体も残さず食べ尽くす筈だ。
しかし、見つかった死体は、いかにも弄ぶような殺され方をされていた。
知能が高く、残虐な種族の仕業だろうか。
或いは人間か。
狂人でもなければ、きっとあんな凄惨な場を作れないだろう。
「ローズ、ネーロ」
しばらくして、ヨハンが歩み寄ってきた。
その目には涙の跡ができていた。
「すまないな。気を遣わせてしまったか」
「とんでもないです……」
「これから大丈夫なのか?」
「あぁ」
そう言ってヨハンは、目元を拭う。
「私自身、まだまだ未熟だ。だが1人ではない。皆と一緒になんとかやっていくさ。ソルブレアは、ここから再スタートだ」
ヨハンはそう言うと、優しく微笑んだ。
彼の周りには、まだまだ優秀で信頼できる者達がたくさん居る。
きっとどんなことがあっても、乗り越えられるだろう。
「ヨハン様。少しの間ですが、よろしくお願いします」
ローズはヨハンの前で跪き、頭を下げた。
それから1ヶ月後。
ソルブレア帝国は、元の姿を取り戻しつつあった。
まだ崩れた家屋や荒れた道路があるが、この国の職人は優秀な者が多い。
すぐに復旧は終わるだろう。
ちなみにここ1ヶ月の間、周辺の国からの侵攻は無かった。
“王の槍”の影響なのだろう。
ドラゴンに襲撃されたとはいえ、ソルブレアの軍事力は侮れなかったようだ。
これからは、周辺の国との関係をより良くしていく。
ヨハンはそう意気込んでいた。
そのヨハンは、ソルブレア帝国の新しい王となった。
王族はヨハンしか残っていないということもあったが、国に対する前向きな姿勢が国民の心を掴んだ。
そして今日、広場でヨハン王による演説が開かれた。
「皆、今日までよく頑張ってくれた。あの日のドラゴンの襲撃により、多くの民が犠牲となった。彼らの冥福を祈る。そして私の父、前任の国王はこのソルブレアを捨て、真っ先に逃げ去った。死んだ父に代わり、謝罪させてほしい。本当に、すまなかった……!」
ヨハンは国民に向けて、深々と頭を下げた。
しかし、前国王の罪はこれで許される程甘くはない。
「ふざけんな!すまなかったで済むか!」
「前のクソ王が逃げた間に、俺の母ちゃんは焼け死んだんだぞ!」
「お前もどうせ、いざってなったら自分だけ逃げ出すんだろ!」
案の定、一部の国民から批難の声が上がる。
「貴様ら、弁えんか!」
「王に対して何て言い草だ!」
それを王への侮辱と捉えた衛兵達が怒鳴りつけた。
「待て!彼らの批難は最もだ!」
ヨハンが衛兵達を止める。
すると怒る国民達の声も止んだ。
頭を上げると、ヨハンは真っ直ぐな瞳で国民一人ひとりを見つめる。
「前国王である父は、もう戻らない。国を捨てた罪を償うことなく、この世を去ったのだ。だからといって、皆の憎しみを有耶無耶にするのは違うだろう。父にできないのなら、その息子である私が背負わねばならない!」
「……ヨハン様」
その言葉が、ヨハンの傍に立つローズの心を打った。
明るく振る舞っていた裏で、こんなことを思っていたというのか。
「ヨハン様は悪くない」。
そんな言葉が喉から出そうになったが、なんとか留めた。
ヨハンの覚悟を台無しにしてしまう気がしたからだ。
彼は今から、重いものを背負おうとしている。
「私はソルブレアを、より良い国にしてゆく!父を、前国王を超えられるくらいに!それが私にできる、唯一の償いだからだ!これから皆のことを、この国の未来を、一番に考えて進み続ける!皆、どうかよろしく頼む!!」
ヨハンは再び頭を下げた。
数秒の沈黙を経て、どこかから拍手が聞こえる。
その拍手がどんどん伝達していく。
気づけば、国民全員が拍手をしていた。
「皆……!」
感極まったのだろう。
ヨハンは人目を憚らず、涙を流した。
「ヨハン様…良かったです……」
ローズもまた、拍手をする。
いつものポーカーフェイスが、少しだけ緩んでいた。
翌朝、ローズはネーロと共に墓地に居た。
目の前にあるのは、シンシアの墓。
墓標と共に、得物だったハンマーが添えられている。
ローズは水色の花と、飴玉が入った缶を取り出す。
「シンシアは飴が好きなのか?」
「うん。よく一緒に舐めてた」
「そうか」
屈んで花と飴を供えると、ローズはシンシアの墓標に語りかけた。
「シンシア。私、今日から旅に出るよ。助けてくれてありがとう。シンシアから貰った命で、いろんなところを歩いて、いろんなものを見て、いろんな思い出を作るよ。私がそっちに行った時、全部話すから。楽しみにしててね」
ローズはその言葉を残すと、立ち上がった。
「俺もいいか?」
「……うん。シンシアも喜ぶと思う」
ローズが下がると、今度はネーロが墓標の前に立った。
「よぉシンシア。立派な墓建ててもらえたじゃねぇか。……連れてってやれなくてごめんな。その代わりと言っちゃアレだが、いろいろ見てきてやるよ。それと、ローズは任せとけ。……またな」
ネーロは尻尾を一振りすると、墓標から下がった。
ふとローズは、空を見上げた。
雲一つ無い晴天。
まるでシンシアの髪色のようだった。
「絶好の旅日和だな」
「うん」
「おっし…!そんじゃあ荷物まとめて、ヨハンのとこ顔出そうぜ」
「そうだね」
ローズとネーロは、城の方へと歩き始めた。
「……」
ふとローズは歩みを止めた。
それからもう一度、シンシアの墓を振り返る。
「……。また来るね」
ローズは微笑し、シンシアにそう告げた。
城門前。
ローズは腰に双剣を差し、リュックを背負って立っていた。
そのリュックの上で、ネーロは寛いでいる。
「ついにこの日がやってきたな。ローズ」
ローズの目の前には、ヨハンと衛兵達が数人立っていた。
墓参りの後挨拶に寄ったところ、なんとここまで見送りに来てくれたのだ。
「すみません。お忙しい中、ここまで来ていただいて」
「何を言う。国の功労者の旅立ちだ。しっかり送り出さねばなるまい」
「ありがとうございます」
ローズは丁寧に会釈した。
「荷物はそれで足りるのか?」
「はい。私の場合、できるだけ軽い方が動きやすいので。足りない分は、何とかします」
「そうか」
ヨハンは優しく微笑み、ゆっくり目を閉じる。
これまでの、ローズと過ごした日々思い返していた。
会って間もない頃は、無感情に敵を屠る殺戮者だと思っていた。
だが、接しているうちに相応の感情を持っていることが解った。
育った環境が過酷なだけ。
ローズは優しい少女なのだ。
「……ヨハン様?」
「おっと、すまない」
ヨハンは咳払いをすると、ローズに向き直った。
「ローズ。離れていても、私達は君の味方だ。そしてソルブレアが君の故郷だ。帰りたくなったら、帰って来なさい。私達は、いつでも歓迎する」
「ヨハン様…」
ローズは敬礼のポーズを取った。
「しばしの別れになってしまいますが、離れていても、私はあなた様をいつでもお慕いしています。ヨハン様は、私にとって最高の主でした。感謝してもしきれません。今まで、本当にありがとうございました」
そこまで言われたヨハンの目には、涙が溜まっていた。
目元を拭い、何度も頷く。
「ヨハン様、アンタ涙脆くなってねぇか?」
空気を和ますためなのか、ネーロがリュックから降りてヨハンを茶化した。
「……そうだな。最近どうしても、よく泣いてしまう」
「無理ねぇよ。……まぁ、アンタはこれから国を背負っていくんだ。しっかりやれよ」
「あぁ。……ローズのこと、よろしく頼む」
「任せな」
ネーロはそれだけ言うと、門の外へと歩いて行った。
「ローズ、ひとまずお別れだな」
「はい」
ローズは身を引き締めた。
「行ってきます」
「あぁ。良い旅を」
2人が最後の挨拶を交わすと、ヨハンの後ろの衛兵達が敬礼のポーズを取った。
ローズはもう一度会釈をすると、門の外へと歩み出した。
ローズとネーロが見えなくなるまで、ヨハン達はその背中を見送った。
「どうだ?ローズ。旅人になった感想は」
緑に囲まれた一本道で、隣を歩くネーロがローズに問いかけた。
ローズは悩むように、顎に手を置く。
「うん……。旅に出る事自体は待ち望んだことだけど、今はちょっと寂しいかも。次にソルブレアに帰れるのが、いつか解らないし」
「おいおい、早速ホームシックか?もう帰るとか言うなよ?」
「言わないよ」
「さっきの別れが無駄になるかと思ったぜ」
ネーロは呆れ気味に言うと、一瞬でローズが背負うリュックの上に登った。
「お前には俺を守ってもらわなきゃならねぇんだからな」
「……さっきヨハン様に、私のこと任せろって言ってなかった?」
「確かにそう言ったが、それは知識面だ。俺は戦闘力皆無だからな。お前みたいに腕が立つ奴に守ってもらわなきゃならねぇの」
「そっか……」
「つーわけで、今日から俺達相棒だ」
「相棒?」
「あぁ。お互い背中を任せ合えるような仲ってところだな」
「ネーロ、戦えないんじゃ…?」
「細けぇことはいいんだよ!」
ネーロはリュックの上で、ニンマリと笑う。
「この世界について、しっかりナビゲートしてやるよ。だからよぉ、これからよろしくなローズ」
「うん、よろしく。ネーロ」
ローズの表情が、また少し緩む。
こうして、1人の少女と1匹の黒猫による、愉快な旅が始まった。




