1-11
怒りの収まらないドラゴンは、未だに暴れ回っていた。
国民達が避難し、誰も居なくなった燃える街の中心で、ひたすら破壊を続けている。
尻尾で噴水を吹き飛ばし、爪で石畳の道を抉る。
崩れた家をさらに踏み潰し、燃え上がる木を熱息で吹き飛ばす。
思考なんてものは無い。
怒りだけが、ドラゴンの原動力になっていた。
そんなドラゴンの後頭部に、パンくらいの大きさの石がぶつかった。
ドラゴンは雄叫びを上げ、瞬時に飛んできた方を振り返った。
まだ壊れていない家の屋根に、ローズが立っていた。
数分前、城の地下牢に入れられた子竜の前で、ネーロを中心に作戦会議が行われた。
「まずはあのドラゴンを無理矢理にでも落ち着かせる必要がある。何かそういう薬とかねぇか?」
「催眠弾がございます」
ネーロの問いに答えたのは、側近だった。
催眠弾とは、衝撃を加えると破裂し、催眠効果のある薬を散布する弾だ。
大砲で飛ばして使われるが、小さなものなら直接手で投げることもできる。
「戦争で使うのはもちろん、国王様の趣味により大量に貯蓄されております」
「それで行くか。寝てもらうくらいが丁度いいしな。あの図体のデカさで眠るかどうか解らねぇが……。まぁ、落ち着きは取り戻すだろ」
「それなら、催眠弾を当てる隙を作らねばな」
ここでヨハンも口を開く。
その意見には、ネーロも頷いた。
「暴れ回ってるところにぶつけるのはムズいだろうしな。足止めできる方法あんのか?」
「ドラゴンが暴れている地区には、よく祭りの舞台に使われる広場がある。そこへドラゴンが来たところで、足元を爆撃して崩す。足を取られれば、隙が生まれるだろう」
「その隙に催眠弾をぶち当てる訳だな。後はドラゴンをどうやって広場に連れて来るかだが……」
「私がやる!」
ローズが素早く挙手して言った。
まるで待ち構えていたようなタイミングに、ネーロはニヤリと笑った。
「そうだな。これはお前にしかできねぇ」
そう言ってローズの肩に飛び乗ると、耳元で続けた。
「解ってるよな?この作戦、お前に懸かってる。絶対ミスるなよ?」
「うん…。もう失敗しない」
真っ直ぐ前を見つめながら、ローズはそう呟いた。
右手にもう一個石を握りしめたローズは、ドラゴンを見据えていた。
ドラゴンはローズに向かって雄叫びを上げる。
ビリビリと空気が揺れ、砂塵が舞う。
それでもローズは、ドラゴンから視線を逸らさなかった。
『この作戦、お前に懸かってる』。
数分前のネーロの言葉が頭を過る。
この作戦は最初が重要だ。
怒り狂うドラゴンを、上手く広場まで誘導しなければならない。
途中で殺されてしまえば、作戦は失敗。
まさに責任重大だ。
「……」
ローズは昔、先生と過ごした日のことを思い出していた。
それは、本格的な修行を始めた頃のこと。
先生が初めにローズに教えたことは、走り方…逃げ方だった。
『今の君には力が無い。戦いになったら簡単に殺されてしまうだろう。だからまず、敵の攻撃から逃げるところから始めよう』
『たたかうのに、にげるの?』
『逃げは案外、役に立つものだ』
確かに逃げは、これまで何度も役に立った。
それから走り、回避術へ……。
逃げを起点に、戦いの幅が広がっていったのだ。
そしてまた、逃げが役に立とうとしている。
(先生、私……やってみせるから……)
だからまた会えた時、めいっぱい褒めてほしい。
心の中でそう呟くと、ローズは右手に握りしめた石を投げた。
石はドラゴンの鼻先に直撃する。
激昂したドラゴンが火を吹いた時には、ローズは既に屋根から飛び降りていた。
「こっち!」
ローズがドラゴンの足元を、素早く通り過ぎていく。
計画通り、ドラゴンはその後を追いかけ始めた。
石畳の道に爪を立て、建物を薙ぎ倒しながらローズを追う。
鋭い爪が生えた前足で潰しにかかるが、ローズはそれを横にヒラリと躱す。
そのまま崩れた店から高い建物へと飛び移り、再び前を走る。
大量の火を吹いて燃やし尽くそうとするが、ローズの走力には届かない。
炎が途切れるのを待つと、ローズは建物から素早く飛び降りる。
それから小石を拾って投げ、再びドラゴンの鼻先にぶち当てた。
さらに怒ったドラゴンは、咆哮を上げて距離を詰めてきた。
その勢いで噛み砕こうとするが、ローズはそれも跳んで躱してみせた。
(大丈夫。逃げられる。絶対当たらない。私は先生から、学んだんだから!)
火が当たらぬよう荒れた道をジグザグで走り抜け、そうしてようやく広場に辿り着いた。
ローズは中心で急ブレーキをかけると、ドラゴンに向き直る。
勢いづいて跳躍したドラゴンが、右前足でローズを潰しにかかっていた。
それでもローズは冷静だった。
素早いバックステップで回避し、建物の陰へと飛び込んだ。
ローズと入れ替わるようにして、建物の陰から兵士達が姿を現す。
大砲は既に、広場を囲うようにして準備されていた。
「撃て!!!!」
ヨハンの号令を合図に、ドラゴンの足元への集中砲火が始まる。
突然の砲撃に驚いたのか、一瞬ドラゴンの足が竦む。
たまらず火を吹こうと、口を大きく開けた。
するとその口の中の火に向かって、水の塊が飛んできた。
塊は破裂し、火は吐く前に掻き消された。
「火は吐かせないぞ」
杖を持ったヨハンがそう言いながら、次の水の準備をしていた。
砲撃と妨害に遭い、すっかりパニックに陥ったドラゴンは、足を取られて横に倒れた。
上手く立ち上がれないようで、足や翼、尻尾をバタつかせる。
「催眠弾用意!」
ヨハンの号令で、兵士達が大砲に催眠弾を入れる。
「撃て!!!」
一斉に催眠弾が放たれ、ドラゴンに直撃する。
弾が破裂するなり、緑色の煙が漂い始める。
この煙を吸引することで、眠気を誘うのだ。
広場が煙に覆われるまで、時間はかからなかった。
散々暴れ回るドラゴンは、薬煙を大量に吸引する。
人間からすれば致死量だ。
流石の巨体を誇るドラゴンも、徐々に動きが鈍くなっていった。
やがて4本の足で踏ん張り、沈黙する。
薬煙が晴れた頃には、ドラゴンはすっかり大人しくなっていた。
「今だな。来いチビ助」
「ぎゃう!」
物陰からネーロが出てくる。
その後ろに、ぴったりと子竜が付いてきていた。
なるべくドラゴンを刺激しないよう、ゆっくりと歩み寄っていく。
その様子を、ローズ達は見守っていた。
作戦の最終段階になったとはいえ、まだ彼らの緊張の糸は解けない。
「おいアンタ、コイツを探してんだろ?」
ネーロはドラゴンの眼前で声を上げた。
その隣には子竜が居て、ネーロと同じようにドラゴンを見上げている。
ドラゴンの目が一瞬、見開いたような気がした。
「攫ったこの国が悪ぃけど、これ以上は勘弁してくれねぇか?」
そう言い残すと、ネーロは急いでその場を離れた。
陰に隠れていたローズの肩に飛び乗る。
「いやぁビビった〜。大人しくなったのに威圧感半端ねぇよ。小便ちびるかと思ったぜ〜」
「お疲れ様」
「本当は臆してなどいないのだろう?」
「まぁな」
ヨハンの指摘に、ネーロは舌を出して笑う。
どうやらネーロなりに場を和ませようとしたらしい。
各々やれることは全てやったのだ。
後は行く末を見守ることしかできない。
ローズは広場の中心に視線を戻した。
匂いでも嗅いでいるのか、ドラゴンは子竜に鼻先を近づけている。
子竜は可愛らしい声で鳴き、ドラゴンの鼻先にしがみついた。
「あれは…上手くいってるの?」
「そうだな。親子の初顔見合わせってところだ。親からすれば感動の再会ってところか?」
ネーロの言う通り、親も子も顔を合わせるは初めてだ。
しかし、卵の時の姿しか見ていないとはいえ、ドラゴンには我が子が解るらしい。
子竜を優しく口で持ち上げると、背中に乗せた。
ゴツゴツとした広い背中の上で、子竜は無邪気にはしゃいでいる。
やがてドラゴンは、大きな翼をバサッとはためかせた。
広場で強風が巻き起こる。
建物を挟んでいても伝わる風圧。
吹き飛ばされないよう耐えた後、ローズは再び広場を見た。
その時にはもう、ドラゴンは上空に居た。
背中に乗った子竜が見え隠れしている。
ドラゴンは一度旋回した後、壊れた街を振り返ることなく、ソルブレアから飛び去っていた。
一同はドラゴンが視認できなくなるまで、その姿を見送り続けた。
「……帰った」
空を見上げたまま、ローズはポツリと呟く。
「やっ…やりました!」
「ヨハン様!」
「あぁ」
ヨハンはその場に居る全員に向かって、高らか宣言した。
「作戦……成功だ!!!」
その瞬間、ドッと兵士達が盛り上がる。
緊張から解かれた彼らの顔は、皆歓喜に満ちていた。
絶望的な状況から、見事ソルブレアを救ってみせたのだ。
兵士達が輪を作って喜んでいる外で、ローズはゆっくりと腰を下ろした。
両腕を組んで膝に乗せ、その中に顔を埋める。
「上手くやったなぁ、ローズ」
ネーロがローズのすぐ隣に座り、話しかける。
「どうだ?今」
「……うん」
ローズは少し顔を上げ、ネーロに視線を送る。
「ちょっと……疲れた…」
そう短く語るローズの頬は、少しだけ緩んでいた。




