閑話 ある男の狂気
先日の閑話の続編です。
「ある女の転身」からお読みください。
注:主は信長嫌いです。
「麻呂を誰じゃと心得ておるのじゃ? 人呼んで性の大将軍・足利義昭なるぞ」
「やだぁ~義昭さま今ワタシのお尻触ったでしょ!? 」
一方、どんな状況かと駆け付けた広間ではいかにも頭の悪そうな白塗りの公家風の男が立ち上がって店の娘に言い寄っていた。
「それだけではないぞ! 麻呂が京へ上り、帝に認めてもらった暁には次期将軍が確定しておる。麻呂の子を産めばすなわち、次の次の将軍様の母となるは必至ぞ。ささ、麻呂に身を預けて……」
「え~じゃあそれは次期将軍様?そうなった時のお楽しみで~」
何の事は無い、在りもしない大言壮語を吐く酔っ払いに店の娘がしつこく絡まれているだけの光景だ。ただ普段と違うのは
「他ならぬ次期将軍様のお情けだぞ! 女郎風情がさっさと言う通りにせんか! 」
「上様は皆の前でまぐわいをお見せするがご所望じゃ! 光栄であろう」
などと周りにいる家臣っぽい連中が今にも力ずくで言う事を聞かせようと構えているところ。しかも酔った勢いという感じでは無く、素面でそう叫んでいるのである。
主君の異常行動を誰も咎めないどころか加担しようとするなど、異様にもほどがある。
さらにはそんな一団を止めに入れない他の娘たちには怯えに近い表情が浮かんでおり、それは『娘に絡む自称将軍』にでも『その取り巻き』にでもなく『今はここに居ない誰か』に向けられてのものであろう事も、この光景の異常さに拍車をかけていた。一体、何がどうして……
とその時、隣の部屋の襖が開いて中から色白細面の神経質そうな男が広間に入ってくる。その男を見た瞬間に店の娘たちは表情が凍り付くのを若芽は見逃さなかった。
「何事じゃ」
「この女、あろう事か大将軍様がお情けを与えてやろうと仰ってるにも拘らず、のらりくらりと……」
家臣の誰かの報告に男はガタン! と大きな音を出して膳を蹴飛ばし、蠟燭に火のついた燭台を持ち上げて槍のように構えると娘の眼前に突き付ける。
「女郎風情が楯突こうなど言語道断! その商売道具の顔を二度と拝めぬよう、溶けた蝋燭のようにしてくれようか!? 」
「ひいいっ! お止めください! 」
「さあまぐわえ! さあ今すぐ! ここでだ! 」
男は今にも娘の顔に火が付きそうなぐらい蝋燭を構えると、狩りでも楽しむように口元を歪めて笑いながら迫る。
狂っている。この場に居る誰よりもこの男が、一番ヤバい。
そう瞬時に判断した若芽は咄嗟に舞いを躍るような動きで男の前に割って入り、手に持っていた燭台の向きを変えさせる。
「ほう、貴様は何者だ?」
「此処の女将でございます。お武家様?このような場で力づくで願望を為そうとするは無粋な事かと」
「そうか」
目の前の男の口角が片方だけ持ち上がり、歪んだ笑みを見せる。それを見たと思った瞬間、若芽の顔面に強い衝撃が走り、次の瞬間には目の前に畳が見えた。殴って張り倒したのだ、女を。それも男の拳で。
「女郎の分際でこのオレに指図しようとはな。面白い! まずは貴様からこの俺が犯してやろう」
男はそう叫ぶと上半身をはだけ、燭台を投げ捨てて掴み掛かろうと向かってくる! 若芽も持ち前の身のこなしで掴もうとする手を振り払うが、そうすればするほど男の口元は歪むように口角が持ち上がり、目をギラつかせてなりふり構わず追う速度を速めていく。その姿はまるで飢えた獣の様だ。
燭台を投げつけ、力任せに殴り掛かり、若芽が襖を背にすればその身を串刺しにするように前蹴りを繰り出す。騒ぎのとばっちりを食らわないようにといつの間にか宴席に居た他の者たちは階下に避難し、広間にはもう若芽とその男しか残ってはいなかった。倒れた燭台の炎が畳や破られた襖に燃え移り、辺りも酷い火の海になっている。
(見失った!? )
若芽が辺りを振り向いた瞬間、死角になっていた襖の裏から男の手が伸びてきて若芽の後頭部を捉える。そのまま床に顔を叩きつけられ、後ろに腕をねじり上げられて激痛が走る。
「ようやく捕まえたぞこの野兎めが! 手こずらせおって! 」
笑いを噛み殺しながら話しているような、狂気を孕んだ声に若芽は生きていて初めて畏怖の念を覚える。このような者に組み伏せられてはどのような目に遭うか……そう考えた時、脳裏に浮かんだのは頼りないと思っていたハズの一人の男の顔だった。
(助けて……助けてッ!! 寿四郎さま!! )
「信長様、まぁだこんなトコにおられ……っと、お楽しみの最中でしたな」
「サルか。構わん、やっと獲物を捕らえてどういたぶるかという所だ」
良いタイミングで入ってきたのは助けを求めた男では無く、下卑た言葉遣いにしわがれた声。しかも話しぶりからすると運悪く男の味方側のようだ。だが、この声には聞き覚えがある。
「あのぅ、お楽しみのトコ申し訳にゃーですが……この女郎屋はもう火が回って持ちそうもないモンで。獲物は捨て置くか、持って帰るしか」
「ちっ! 興が削がれたわ。サル、口封じは済んでおろうな」
「へぇ。清州屋に娘ども、他の客も全員店を出る前に始末しておきやした。あとは全部燃えてカスんなりゃあ、だぁれも我らの事は気付きゃあせんでしょう」
殺したというのか。店に居る全員を。無理難題を押し付け狼藉を働いたうえで、それを自分たちの仕業と知られないために。
そのようなやり方、とても大名や公家の所業ではない。押し込み強盗や追い剥ぎと変わらないではないか。
サルと呼ばれた男と話してるうちに、男の自分を拘束する腕の力が先程よりは緩んでいる事に気付いた若芽は、渾身の力を振り絞って振りほどきにかかる。
身体を反転させ、掴まれた髪の毛がブチブチ千切られるのと肩の関節が外れるのに構わず男の体勢を崩す。そして自分の腕を掴んでいる男の手の甲に思い切り噛みつき、ようやく拘束を振りほどくと地を蹴って二人から離れた。
そのまま使える方の手で隠し持った煙幕玉を自分の足元に投げつけ、気配を消しながら一目散に窓の外へと転がり落ちて脱出する。ここまでの負傷を負わされながら命からがら逃走する目に遭うのは、忍び仕事を始めて10年以上になるが初めての屈辱だった。
(織田信長……あの男、危険すぎる)
掴み掛かろうと追ってきた時の蛇のような目つきを思い出しただけで寒気が走る。あれはもう人としては正気の姿を失った姿、人ならざる者としての本性を隠して人のフリをして生きる魑魅魍魎の類の者だ。
ようやく作り上げた「自分の城」が燃え朽ちるのを苦々しく思いながら、若芽は喧騒に紛れ稲葉山を後にした。




