第75話 個の力と和の力
「どこからだ!? 敵からか、それとも味方の船からか?」
「今すぐに調べさせて対処します。精密射撃隊、索敵!! 」
海賊衆があらかた船を降りて静かになった甲板の上が再び騒然となる。半兵衛の指示でスナイパーライフル(遠眼鏡付き火縄銃)を構えた精密射撃部隊がスコープ部分である遠眼鏡を覗き込むが、中々敵を特定できていないようだ。
そして次の矢が今度は火縄を構えた兵の兜に命中し、鳴り響く鋭い金属音。喰らった鉄砲兵は脳震盪を起こしたのか、白目をむいて倒れている。
「特定しました。敵は松千代丸号の右に3艇横、その位置からあらゆる方向へ矢を放っているようです」
「こちらの火縄で潰せないか?」
「ダメです、この距離では標的が安定しな……うわぁぁぁっ! 」
敵兵特定の報を持ってきた国友衆の頭領・スズキめがけてまた矢が飛んでくる。マグロが全力の斬り払いで防ぐがそれも僅かに矢の軌道を変え、直撃を防いだ程度の効果しかなかった。
姿勢をかがめながら特定したという船の方を見ると恐らく10町(約1km)は離れた船で、兵の姿など豆粒程度にしか見えない。この時代、鉄砲の最大射程ですら5町(約500m)が良いところ。それも銃弾の軌道にブレがあるのでその距離だとほぼ狙い澄まして撃つことは不可能だ。それなのにこの距離で俺達を狙い澄まして弓で撃ってくる敵とは一体……
「気になりますかな?」
声のする方を振り向くとそこには忍び装束を着た大男が立っていた。しかもソイツは黒じゃなくて目立つ真っ赤な衣装に角まで付けて胸元にはデカく『風魔』って書いてある。何だ?この忍ぶつもりが全く無いとしか思えない男は。
「必要とあらば目の前に引きずり出してみせましょう。無論、その分のお代は頂戴しますが」
「小太郎、いけるか?」
「我にかかれば弓を射るだけの者など容易い事。ではっ」
言うが早いか、その姿が霧のように隠れて消える。氏康に聞いたところだと相模北条家に代々仕える風魔党という忍び集団の頭目で、あんな派手な格好なのに暗殺・放火・略奪・誘拐、金の為なら何でもこなす優れた人材なんだとか。風魔小太郎って名前ぐらいなら聞いたことがあるけど……忍びっぽくないド派手な奴とは知らなかったな。
「うっわーすっげぇ、あのおっさんもう4隻目に飛び移ってるよ。ねぇ殿、俺も行ってきていいかな?」
そんな傾奇者に純粋に感嘆を漏らすカニ少年。俺からは船が飛び移った振動で微妙に揺れてるぐらいにしか見えないのだが。ってか、忍びの動きを見てわかるだけでも凄いのに同じことをやってのけようとか、若さの為せる技なんだろうか。
「カニ殿に行けるなら拙者も行けねば年長者の恥。行って参りまする」
俺の許可など聞かないうちに飛び出したカニ少年を見てマグロも負けじと後に続く。二人はとんでもない勢いで小早から小早へと飛び乗り、あっという間に見えなくなった。
鎌倉時代の壇ノ浦の戦いで源義経が船から船へと飛び移って戦う【八艘飛び】をキメた事がこの時代にも伝説として伝わっているが、あいつら今ので記録更新してるんじゃなかろうか?ギネス認定員とか居ないしルールもはっきりとは決まってないから認定されないかもだけど。
しばらくすると断続的に飛んできていた矢が止み、前方の船団から聞こえる声は味方が敵を打ち破る歓声に代わっていた。
「多羅尾、お前行かなくてよかったのか?」
「私は殿のお側でお守りするが役目なので」
嘘つけ。さっき矢が飛んできた時、真っ先に物陰に隠れてたのは何処のどいつだよ。
「はっはっは。我が娘婿どのの家は中々に面白い人材が揃っておるな」
先程までは戦局や敵の攻撃から目を離せず、ずっと険しい表情をしていた氏康が表情を崩して笑う。ほら見ろ、めっちゃ笑われちゃったじゃねえか。
「なあ、寿四郎よ。大名たる者において一番大切な資質とは何だと思う?」
真面目な顔に戻って氏康は俺にそう尋ねた。何だろう、そんなこと考えてみた事も無かったケド……その家の誰よりも強い事か?それとも切れる頭を持っている事?いや違うな、それだったら俺はとっくにマグロや軍監に家を乗っ取られているだろうし……何だろ?ここはやっぱ顔面かな?それならアイツらよりはマシな気がするけど。
「この乱世には信玄殿や輝虎殿、亡くなられた今川義元公のように家中で誰よりも強い『個の力』によって周りを従わせていける猛者も溢れておるが……
ワシやそなたのようにそういった強烈な強さを持つわけではない者が家中をまとめ、家臣団を強い結束によって繋ぎ止める事が出来るのは『信じてついていきたいと思わせる何か』があるかどうかだと思うのじゃ。そういう意味では、ワシとそなたはよう似ておる」
いやいやいや、アナタだって武田上杉に並ぶ一大勢力の長で強烈なカリスマじゃないですか。自分なんて比べようもないですから。
「ワシの場合は祖父と父が築き上げた『北条という家』を守るという一心じゃったのが、それがいつしか我が相模・伊豆とそして武蔵・そこから関東の我が北条家の領地に住まう全ての者がワシにとっての守るものに変わっていったのじゃ。そう言えば、そなたにも伝わるじゃろうか?」
あぁ、でもそれなら何となくわかる。最初は東駿河で米や野菜を持ってきてくれた百姓たちと自分の家臣たちだけでも豊かに平和で暮らせたら良いのに、って思っただけだった。
それが今、色んな人との縁があったおかげで自分の中の大切だと思う世界が広がって『日ノ本全体が豊かに平和に暮らしてくれたら』って思ってる。
「忘れるでないぞ、寿四郎よ。自分の欲望を満たすために誰かから奪っても構わないと考える心よりも強いものは、自分の大切なものを守るために戦いたいと願う心じゃ。それこそが周りの者の心を動かし『和の力』として『個の力』に勝る事が出来るのじゃ」
『個の力』と『和の力』か。ちゃんと覚えておこう。
そうして話しているうちに前線から聞こえていた騒がしい音が聞こえなくなり、北条家の甲冑を付けた兵が報告に来る。
「ご報告いたします! 清水康英率いる松千代丸が部隊、房州海賊頭目・里見義弘ならびに正木時茂を捕縛した模様! 」




