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~閑話~ ある女の独白

北陸統一編、明日の更新から開始予定!

今回は25話目で姿を消した、ある人の目線でのお話です。

「信玄様本隊、美濃郡上八幡より筏で南下し関城攻めの準備が整いました。ゆえに急ぎ西上されよとの下知です」


 声音に感情を籠めないよう細心の注意を払いながら頭を下げたままで報告する。


「承知いたしました。伝令役、ご苦労様です」


 同じく、とても事務的に聞こえる短い応対。これがほぼ3年ぶりとなる()夫との会話の全てだ。


 

 私は武田家の重臣、穴山の家に生まれた。でも当主の娘として、ではなく僧職に入った当主の弟の娘としてだ。だから当然、姫君としての扱いなど受けたことは無いのだけれど「何があるかわからん世じゃ、もしもの時はワシの娘という事にするゆえ、そのように教育せよ」という叔父の言いつけで幼い頃から舞いや茶道・和歌といったものも覚えさせられたのだ。それと……


 父の代から信虎・信玄と武田に仕える重臣、穴山家には外交方としての顔だけでなくもう一つの顔がある。それが「穴山衆」と呼ばれる忍びの仕事。そちらについても私は物心付いた頃から訓練を受けさせられていて、12の頃には並みの大人達になら全く気付かれずに武家の屋敷にも忍び込めるぐらいになっていた。


 信玄様と伯父の穴山信友はそれを見て「そなたの舞いと忍びの技を他の者らにも伝え、各地に派遣せよ」と私に命じ、同じくらいか少し若い年の娘たちを集めて寄越してきた。それが今『歩き巫女』として武田の情報網の要となっている。


 それと並行して私は半年から1年単位で幾つかの武家に偵察に出された。ある時は侍女として、ある時は家臣の娘として、またある時は、当主の側女として。どの立場だとしても使う技に違いはあれ、やる事は同じ。その家が武田にとって敵であるか否か、有用であるかどうかの判断と情報収集。その為に自分に持てる能力は全て使う、『女』であるという事も含めて、すべて。


 それが、私の生き方だった。『彼』に出会うまでは。



 12の歳からあちらこちらの武家を転々として幾つ目だろうか?信玄様に命じられ入る事になったその国衆の家は、それまでに潜り込んだ武家とは違っていた。桶狭間で父親と兄を亡くし、4男なのにその家の当主になったという彼は私と2つしか違わない、まだ18歳になったばかりの何の特徴も無い若者。


 そんな者が突如として当主に祭り上げられる家は殆どの場合、先代からの将に牛耳られるか、急に権力を手にしたことに驕って愚鈍な振る舞いをする新当主が家臣の不満を集めて没落するか、殆どがその2択だ。

 でもその家はそれまでに散々見てきた様子とは違い、皆が新当主に敬意をもって意見を出し合い、合議によって家中の方針が決められていた。それならよほどその当主が優れた若者なのかといえば、うだつの上がらない優柔不断な男であるにも関わらず、だ。


 これには私は不思議に思った。これまでに会ったことのない種類の男だ、と。


 しかし、所詮は男など一皮剥いてしまえば本性は同じ。自分の事しか考えない、欲に生きる醜い生き物。

 『この男も所詮そうに違いない』と決めつけ、既成事実を作って化けの皮を剥いでやろうと彼の(ねや)に忍び込み事を成したが彼は全く様子を変えず、正室にと決めた女に責め立てられた時も『自分が誘惑に負けたのが悪い』と笑って自分の責任として片づける始末。何なのだ、この男は?



 そうして彼の側室の座に収まったのだけど、それから先も彼のそんな態度は変わる事はなかった。側室など子を設けるための道具にすぎず、所有欲が満たされてしまえばそこから先はモノの様に扱われるだけ……と思っていた私にとって、正室も側室も分け隔てなく出会った頃と変わらずに接してくれる彼の態度はなんていうか、理解の範疇を越えていた。


 私に忍びの心得がある事は彼の家の者も早くから察知していて、特に彼の正室の父親であり先代から仕えている男からは

『そうやって他の家の内情に入り込む厄介者』

『武田から何らかの密命を受けているに違いない』

『寝首を掻かれては困る』

などとかなりキツい言葉もあったのだが、彼はそんな時はいつも私の側の味方をしてくれて

『側室として迎え入れた以上、もう彼女は家族なんだ。だからそんな疑うような真似はしたくない』と言ってくれた。

 この男は、今までに見てきた男たちとは違うのかもしれない。そう思えたのは、この時だった。


 それともう一つ忘れられない出来事がある。


『コレを私に?くださるのですか?』


 確かあれは、彼が正室の小春を伴って初めて小田原に訪れて帰ってきた時の事だ。手渡されたのは小春が小田原で彼に買ってもらったと姉妹に自慢していた桜色の簪によく似た、だけど色の違うもの。翡翠のような色の装飾をあしらった一目で高価なものと分かる品だ。


『涼夏さんと千秋さんにもそれぞれ色の違うものを贈ったけど、若芽さんに似合う色だと思って選んでみたんだ。俺にとっては正室とか側室とかどうでも良くて、若芽さんも俺にとって大事な人だから』


 そう言って照れたように笑う彼の顔を私は一生忘れることは無いだろう。私が本当に彼に心を許したのは、その時からだったと思う。



 そんな彼との日々に終わりが訪れたのは3年前、曳馬城での敗戦の後からだ。右肩に鉄砲傷を受け、自らの代わりに正室の小春を失ってボロボロの状態で家臣に担がれながら戻って来た彼は、失意に打ちひしがれて以前とは別人のように変わってしまっていた。


 その時の私に出来た事は、彼に請われるままに傍らに居てほんの数時だけでも痛みを忘れさせる事、それだけだったのだけど、心の何処かでそうではないとも思っていた。


(このままでは二人とも沈んでいくようにダメになるだけだ。彼が本当に立ち直って以前の自分を取り戻してくれるためには……彼をここまで追い落とした者を打ち倒す事、その意思を彼に取り戻してもらわなければ)


 夜、浅い眠りの中で微睡む彼の髪を撫でながらどうすればいいか、何が出来るのかと私はずっと考え続けた。考えて考えて……そして、甲斐へと戻る事にした。身を切り裂かれるような痛みを覚えながら、それでも。



 甲斐に戻った私は息子・次郎を穴山家当主となった従兄弟に預け、穴山家中の者であるという立場を最大限に活用して甲斐・駿河の間で戦が起こらないよう、もう一度彼が立ち上がった時に多くの者が彼の後押しをして貰えるように奔走した。

 ちょうどその頃、武田家では駿河の状況に業を煮やした者達が『かくなる上は武田が氏真もろとも今川を滅ぼし、駿河・遠江を武田の手に』と唱える声が、駿河では『このまま滅びゆく今川に付いているよりも武田の配下に寝返った方が』と画策する者が増えていたけれど、用いうるあらゆる策を使い、賛同してくれるものを増やしていく。


(彼は今、失意の沼のような場所から這い上がれないでいる。けれど、私は彼が必ずその場所から戻ってきてくれる時が来るって信じている。だって、私が唯一信じた男だもの)


 その後、彼は私の願った通りに立ち直ってくれて駿河を自分たちの手に取り戻す事に成功した。私はそれを密かに喜んだが、彼の目の前に姿を現す事は、二度となかった。



「待って下さい。あの、何処かでお会いした事は?」


 かつての事を思い出しているとふいに現実に戻され、3年ぶりに元夫が話し掛けている事に気付く。


「いえ、確か無いと思うのですが」


 気付かれる事など無いハズ。歩き巫女という生業をしている以上、元の姿からは完全に別人に見えるように完璧な変装をしている。特別な煎じ薬で声すらも別だ。気付かれる要素など、何処にも無い。

 だけれど……何処かで見破って欲しい、心の隅ではそうも願っている自分が居た。


「そうですか……すみませんお引き留めして。信玄様によろしくお伝えください」

「はっ。それでは」


 顔を上げる事無く、素早く彼の目の前から身を翻す。去り際にチラリと見た彼は3年前と比べて威厳のある様子になっているでもなく、変わらず優柔不断でうだつの上がらなそうな顔をしていた。そんな彼だが2年前に北条家より新たな正室を迎え、仲睦まじく暮らしているという。それでいい。その方が良い。


 私も、前に進む事にしよう。

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