~閑話~ 左馬之助剣客修行譚 其之参 飯富虎昌&武田勝頼
話は寿四郎が勝頼に出会う2年前に遡る。
永禄7年(1564年)4月。
はま家を出奔した猛将・青井左馬之助は富士山での修行の後、甲斐に来ていた。
主君である寿四郎を守り切れなかったという後悔の念が吹っ切れた彼には、するべき事があったからだ。
それは『もっと剣の使い手としての自分を高める事』
自身の技量や身体能力も当然ながら、心の持ち方『何物にも動じない強い心』を得るために強くならなければいけない、と思っていたのだ。
そんな彼にとって甲斐の地はちょうど良く、剣で何かを解決することに困る事が無い土地だった。何しろ猪も出れば熊も出る、山賊に襲われることもあれば、仕事を失い食い扶持の無い浪人崩れに絡まれるなんてことも珍しくは無い。
金稼ぎの為に農民たちの依頼を受け猪や熊と格闘したり、商人を襲う山賊や浪人崩れたちを退治したりと繰り返すうちに彼の名は『山賊狩りの左馬之助』として有名になっていった。だがその反面、彼の名を聞いて恐れをなして敵対することを避ける狼藉者も増えていき、倒すべき相手も中々居なくなっていく。
ちょうどその頃、駿河では失意の底から立ち直った元の主人・浜寿四郎が、主君・氏真を傀儡にして駿河を牛耳る小原鎮実を倒すべく兵を集めていると風の噂で聞いていた。聞くところによると北条氏康・武田信玄にも自分の決意を説き伏せ、協力を取り付けたとか。
「アイツ……ついに立ち直ってやる気になったんだな。俺も頑張らねぇと」
その噂を聞いた左馬之助もぼんやりと『このままではいけない』と考え始める。商人の護衛なんかで一対多数の戦いに関しては随分と立ち回りの機敏さも上がったつもりで居るし、その中でたまに腕の立つ剣客崩れもことごとく打ち倒してきた。だがそれは所詮、小競り合い程度の規模での話だ。
実際に死線をくぐり抜けてきた武将や剣の道に生きる剣客を相手に、どれほど自分の剣が通じるかは分からない。そこに挑戦してみなければ、いつまでもこのままだ。
「ババア、この辺で一番腕っぷしが強い相手ッつうと、誰だ!? 」
寝ころんでいた所から勢いよく起き上がり、猪狩りの依頼を受けた縁で居候していた家の主である老婆に尋ねる。剣の乱雑さは少しは取れてきたものの、粗暴な態度は相変わらずだった。
「あぁ、武田様の中で最強というとやはり飯富虎昌さまかのぅ」
「どこに行けば会えんだ?そのお麩とかいう野郎に」
「お麩じゃなくて飯富、じゃ。たしか嫡男・義信さまの傅役をされておったが、今は義信さまの頼みで弟の勝頼さまに武芸を教えておるはずじゃ」
聞くが早いか即断即決、左馬之助は早速城に向かっていた。
「誰じゃお主は!? 一体城に何の用じゃ!? 」
「一番強いヤツに会いに来た。お麩ナントカに会わせろ」
対応した門番からしてみたら『なんていうかヤベー奴きたー』である。現代であれば速攻職質モノだ。この時代でも対応は変わらず、すぐに腕利きの兵が6・7人飛んできて左馬之助を両脇から押さえ込み、正門前から引き離そうとする。
「テメェら俺を誰だと思ってんだ、どんな山賊も5秒で解決! 山賊狩りの左馬之助さまだぞ!? 」
「はいはーい、お話は詰め所で聞きますからね」
「ッの野郎!! 」
聞く耳を持たない兵の集団にブチ切れた左馬之助はすぐさま反抗する。両脇を掴んでいた兵の片方に全体重の載った肘鉄をかまし、もう片方をあっという間に投げ飛ばして、前後方にいた兵は反応する前に鋭い前蹴りからの後ろ回し蹴り。猿のような身のこなしであっという間に取り囲んだ集団をねじ伏せた。
「コイツ、我が武田の本拠・躑躅が崎の門前で何という狼藉を! 誰かおらぬか!? 」
「何だ、一体何の騒ぎだ?」
騒ぎを聞きつけて城門の内側から数十人規模の兵が駆け付けるのと、城下の方から一人の若者が来るのがほぼ同時だった。若者は鷹狩りの帰りなのか、背中には弓を担ぎ、片手に矢の刺さった立派なキジを持って泥だらけの恰好である。汚れていても一目で高そうなものと分かる衣装でなければ「何だこの小汚いガキは?」って思われそうなところだ。
「この者が飯富どのに会わせろと言ってイキナリ城門の前で暴れたのです」
「なっ!? テメェらが人の話を聞かないからだろうが」
「ほう、ちょうど良い。俺もあのジジイを厄介払いしたかったんじゃ。来い」
若者がそう言って城門に近付くと、まるで海でも割れる様に数十人の兵士が左右に道を開ける。左馬之助もここはおとなしく若者の後ろをついていく事にした。
「ジジイ、今度こそ貴様に勝てそうな奴を連れてきたぞ」
「勝頼さま、またそのような事を」
「俺が貴様に勝たずとも、俺の連れてきた者が貴様に勝てば俺の勝ちであろう」
話の流れから察するにこの若者が武田勝頼で、どうやら指南役として付けられた飯富虎昌を厄介払いしたいらしい。しかし自分では勝てないので腕が立ちそうな者をけしかけている、と。だがそんな事情は左馬之助には知ったことではない。目的は強者と戦う事、その一点だ。
「まあよい。それでそこの御仁、名は何と申す?」
「俺様は天下無双、青井左馬之助さまだ!! 」
「ほう、天下無双とは大きな事を申したな。ここで示してみるが良い」
老兵はギロリ、と左馬之助を睨むと木刀を構え、姿勢を低くする。
その異様な圧迫感に反射的に自分の刀を抜くが、真剣に対して木刀で向き合われているとは到底思えない。一瞬でも隙を見せれば一太刀の元に斬り殺される、そう錯覚させるほどの凄まじい雰囲気をこの老兵は放っていた。さすがの左馬之助も野生の虎と戦ったことは無いが、まるで人を簡単に食い殺す虎とでも向き合っているような気分だ。
向き合っただけでこれほどまでなのか。戦国最強といわれる武田軍の、更に最強の武将・飯富虎昌とは。
「ふむ。ただデタラメに突っ込んでくるだけの猪武者ならば斬り捨てようと思ったが、なるほど冷静に力量差を見分ける程度の腕はあるという事か」
突如として強烈な威圧感が消え、飯富虎昌が只の体格の良い老兵へと戻る。
あのとんでもない威圧感を感じた瞬間、前までの自分だったら恐怖を振り払おうとデタラメに前進し、あっという間に返り討ちに遭っていた事だろう。そんな事までこの男には見透かされていた、と左馬之助は気付いてその差に愕然とする。これはもう『勝てるかどうか』だとか『せめて一太刀』どころではない、大人と子供ぐらいの差だ。
「何だ、向き合っただけで怖気づいたか?とんだ腑抜けを連れてきただけだったな」
「勝頼さま、相手との力量差を正しく見極められることも実力の一つというものです」
「ジジイ貴様! また俺を侮辱しおって!! 」
喚く勝頼を見ていると分かる。相手との力も何もわきまえずただ噛みついていた勝頼の姿がまさしく昔の自分で、それを達観して見れる程度には成長したのだな、と。左馬之助は気付いてふっと笑う。
「貴様まで俺を愚弄するか!」
「俺が笑ったのはアンタにじゃねえ、昔の俺にって事さ」
「何を意味の分からぬことを……」
まだ何か言いたそうな勝頼を無視して、左馬之助は虎昌に深々と頭を下げる。
「爺さん……いや、飯富どの。今回は得難き経験を得た。感謝するぜ」
「なんの。おぬしもあと10年もあればワシの域まで上がって来られよう」
「ああ、そのつもりだ! だからその時までくたばるなよ!! 」
「この飯富虎昌、老いたとはいえ戦では誰にも負けぬ。待っておるぞ」
顔を上げ、ニヤリと笑うと踵を返し、左馬之助はそのまま甲斐を後にした。




