第35話「おーい王子ー蹴鞠しようぜ♪」って言えりゃどんなに楽なんだろうな
日が暮れかけて夕闇迫る今川館の裏庭に面した縁側。
蹴鞠王子こと今川氏真はその場で深いため息をついていた。うなだれて背中の丸くなった姿からは以前の自信は全く感じられない。
そんな王子の足元に向けて庭に転がっていた蹴鞠用の鞠を転がす。
「寿四郎……生きておったのか」
驚きを隠せない表情でこちらを見上げる王子。ここで何食わぬ顔して「おーい王子ー蹴鞠しようぜ♪」って言えりゃどんなに楽なんだろうな、って思うけど。残念ながらそういう事をしに来たわけではない。
「小原鎮実は俺が討ち取った。もうここに奴らの勢力も誰も、残っていない」
「そうか」
何の感慨も籠っていない短い返事をしてふーっと大きく息を吐きだす氏真。そしてその後で意を決したように立ち上がって天を仰ぎ
「それで、俺はこれからお前に捕まって晒し首にされるってわけか。そっかぁ……仕方ないよなぁ、こんな愚鈍でしょうもない男、生きてたって仕方ないもんなぁ」
と自嘲気味に話す。
「誰も『お前を殺せ』だとか『晒し首にしろ』だなんて思っていないし言っていない。俺だって、お前は生きて助けたいと思ってここまで戦ってきたつもりだ」
こんなパフォーマンスで信じてもらえるとは思っていないが、せめて危害を加えるつもりはない事を示したくて俺は腰に下げていた村正を砂利の上に投げ捨てる。
そう、俺はお前に死んで欲しくない。無茶苦茶だし、ワガママな奴だし、戦国大名としちゃ父親ほどの才能は無いかもしれないけれど、お前が死ななきゃいけないような事なんて何もしてないじゃないか。
それは皆が知っているから、お前に責任取らせるなんて終わり方を誰も望んでいないんじゃないか。
だが氏真にそんな言葉は届かず、むしろ
「何を心にもない事を言ってやがるんだ! 本当はそんなこと思ってないくせに!!
全員そうだ!!『あんな者に義元様の代わりが務まらん』だの『あれなら松平の小倅に付いた方がマシ』だの、果ては『何であんな愚か者が義元様の血を引いていて松平が義元様の跡継ぎではないのか』なんて……
どいつもこいつも過剰な期待を押し付けて勝手に失望して好き勝手言いやがって! そんな言葉の一つ一つにどれだけ俺が悩んできたかなんて、いっそ消えちまった方が良いかって考えたかなんて、わかりゃしねえだろ!! 」
そう怒鳴って転がっていた鞠を思いっきり蹴り飛ばす。
確かに、コイツの苦しみは俺には多分理解できないものだと思う。でも『自分が消えてしまった方が良いのかも』なんて思い詰めてしまう気持ちだけなら、俺には理解できた。俺の場合は見捨てないで居てくれる家族が居たから戻ってこれたけれど。コイツには……誰も居なかっただろうか?
ふと考えて、一人の男の顔が頭に浮かんだ。朝比奈信置、コイツの側にずっと仕えていた男だ。
武田信玄の元に駿府攻めを報告しに行ったあの日。あいつに額を地にこすりつけるぐらいに下げながらこう言われた。
『どうか……氏真様を救ってやってくれ。私にはもう何もできないが……お前を見殺しにしようとした私にこんな事頼めた義理では無いのだが……その為に腹を斬れと言われるなら喜んで私は此処で腹を斬ろう』
それを聞いて俺には腹を切って詫びろなんて言葉はとても言えなかった。
コイツは多分、自分の意にそぐわない無茶苦茶な命令に抗う事の出来ない歯痒さを、それを止められない自分の無力さを、主人である氏真と同じくらい辛いと感じていたに違いないのだ。そんなヤツが近くに居たのに、どうしてだ?
俺だってそうだ。「いっそ消えちまった方が良いか」だなんて考えちまうくらいに思い詰めてたって知ってりゃ、出禁って言われてんの破ってでも此処で蹴鞠しながら愚痴聞く役ぐらいは出来るって突撃してたわ。それを誰にも言わないでウジウジと……なんかすごく腹が立ってきた!!
「じゃあどうしてそれを話してやらなかったんだよ! ノブに! 信置に!! アイツお前に何もできなかったって悔いてたぞ!! 俺だってそうだ!! きっとヤスだってオカだってここでお前と過ごした仲間は全員そうだよ!! 言ってくれりゃ何だって聞いてやれたのに……なんでだよ!? 」
俺は思わず激昂して王子の両肩を掴んで叫んでいた! そりゃあ6年前、まだガキで背負うモンなんて大してなかった頃とは立場とかいろんなモンが違ってるなんてことは分かってる。でもさ、前はちゃんと話してくれてたじゃんよ。そんな奴が何も言ってくれないで自ら命を絶ったらなんて考えたら……寂しすぎるじゃねえかよ。
「なんで貴様がそこで泣く?」
「うるせぇ! とにかくお前の事を思って泣いたり怒ったり何かできねえかなって思う奴は沢山居んだ! ここにも居んだよ!! それを一人で抱えんなって言いたかったんだ。家臣とか上様とかそういうんじゃなく、ただの人として、友としてな!! 」
思わず友なんて言葉が出てしまって気恥ずかしいし、コイツにとっては俺やノブは便利な手下でしかないのかもしれない。でも、人として悩んだり迷ったりそういう部分を垣間見てしまって、そこに情が移ってしまった以上はもう、俺の中ではビジネス的な上下関係だけではない友達なんだ。俺はコイツに友として何か力になりたいと思っている、それだけは伝わってくれれば良いなと思った。
「友……か。貴様、随分と気恥ずかしい台詞を吐くな」
蒸し返すようにそこをイジってくる王子にはさっきまでの表情は無く、いつもの不敵で意地の悪い悪ガキのような表情が浮かんでいる。でも、さっきまでの顔よりはずっといい。何かが吹っ切れてくれたみたいだ。
「だが……悪くはないな。寿四郎、久しぶりに蹴鞠をせぬか?」
さっき蹴り飛ばした鞠を拾い上げ、返答も待たずに俺に向けて蹴ってくる王子。それは憑き物の落ちたような、さっぱりとした表情に変わっていた。
一つだけ文句を言うならその台詞、俺の方が言ってやりたかったヤツなんだけどな。まあいいか。




