第96話 隠された信玄の『本当の』遺言
城の女中に案内された狭い部屋で俺を待っていたのは、何度か顔を合わせた事のある俺より少し上で30過ぎの丸顔の男だった。穴山 信君。たしか母親が信玄の姉で、武田家の一門(親族)衆に名を連ねている武田の重臣だ。でもそんな人物が、これから戦になろうという敵国のそれも本城に何故わざわざ単身で会いに来ているのか。
「兄上さま! 」
「若芽、寿四郎どのも……よくぞご無事でお戻りになられた」
顔を合わせるなりまさかの発言にビックリする。え?妹?? って事は若芽、忍び働きなんかしてるけど実は名家の娘って事かよ?
「おや、若芽から話しておられませんでしたか……失敬。兄とは呼んでおりますが若芽は叔父の娘で私とは従兄弟にあたり、『この仕事』を頼んだ頃から父の養女となっておるのです」
思わずそう言われて若芽と信君を見比べる。確かにどことなーくほんのちょっとだけ似ている感じはしなくも無いけれど、全然違う顔で兄妹と言われても全然分からないぐらいだ。そしてこの展開……
「実はお兄ちゃんと私は本当の兄妹じゃないのっ」って一つ屋根の下に暮らす美少女の妹に言われて告白される展開が恋愛ゲームにはテンプレとしてあるのだと昔、ヲタ気質のある友人が言っていたのを思い出す。
その友人は「あぁ~俺もあんな血の繋がってなくて可愛い妹が欲しい~」って枕を抱きかかえながら悶絶していて、実の妹に変態扱いされて蹴られていたけど。って事はまさか若芽、俺というものがありながらこの丸顔薄ら若ハゲと……
という妄想を繰り広げた所で表情に出てしまっていたのか若芽に正座している太ももをつねられた。いてててそれじゃねえって事か!? わかったわかったゴメンナサイ><
その後、信君から若芽が若い頃は『穴山家の娘』として家臣内に裏切り者が居ないかの内偵の為、下女や側室として他の者の所に行っていた事、その任務の為に穴山家当主の養女となった事などを経緯として教えられる。その話の間、若芽が下を向き俯いていたのが気にかかった。誰だって思い出したくも無い話の一つや二つはあるものだ。
「今は……私には寿四郎さましか居りませんから」
小声でつぶやく若芽の、膝の上でぎゅっと握りしめられた拳を上から握る事しか俺にはできなかった。信じるよ、大丈夫。ってせめて伝わるように。
「それでですな、肝心なのはこちらの書状でございます」
そう言って懐から恭しく一通の書状を差し出す信君。その態度から察するによほど重要な事が書かれているのだろうという事は中身を読む前からわかる。こちらも座り直して姿勢を整え、一礼してから丁寧に書状を開いて目を通す。そこには簡潔な内容でこう書かれていた。
『甲斐武田家の次の当主を我が養子・武田次郎寿信と此処に定める。
その者が成人し当主として立派に成長するまでは我が四名臣が補佐し、寿信の父であり一門衆穴山家の婿である駿河・浜 寿四郎を後見とする。 武田徳栄軒信玄 』
次郎といえば8年前に若芽が俺の元を去った時、甲斐へ連れ返ってそのまま行方が分からなかった2番目の息子だ。子供が成人できずに亡くなるなんて事も珍しくはないこの時代、若芽と再会しても次郎の事を全く話してくれなかったから聞くに聞けなかったけれど……まさか信玄の養子になっていたとは! そんなの、誰からも一言も聞いていなかったぞ。
「御屋形様にとっても寿信さまは隠し球のようなもの。万が一にもその存在が勝頼様のお耳に入れば害される可能性もありましょう。それゆえ、今の今まで御屋形様と穴山の者だけにしか知らせておりませんでした」
「次郎は……寿信はどうしてるんだ!? 」
「私と共にこの城へ入り、兄上の寿壱様や弟君の三郎様と一緒に過ごされています。最も兄弟である事はまだ知らせては居りませぬが」
「会いに行ってきても良いか?若芽も一緒に」
逸る気持ちのままに立ち上がる。信君と若芽は頷き、若芽も立ち上がって障子を開けた。
「あっ……」
だがそこに立っていたのは正室の光。いつからそこに居たのかは全然気付かなかったが、会話の大事な部分は聞いていたのだろう。俺と若芽の顔を交互に見て、おずおずとこう言った。
「その人って……私が嫁いでくる前に寿四郎の奥方だった人よね?奇麗な人だし、その上、武田家重臣の姫君ってなるとその……」
普段の乱暴で『自分こそがナンバーワン! 』って感じの彼女からは想像もつかないようなか細い声で、不安そうな表情を浮かべている。
確かに今までは鈴夏にしても千秋にしても自分より年上とはいえ、家臣の娘だし側室だからって理由で自分の方が優位だと感じ、そう振る舞ってきたのだろう。まあ涼香と千秋が寛大な心で許してあげていたのもあるだけど。
そんな彼女にとって『初めて自分の立場が脅かされるかもしれない存在』の登場に不安を感じるのは無理もない。なんていうか、叱られた後でしょげてる子猫みたいだ。
「わ、私はその……寿四郎さえ側に置いてくれるなら、格下げで側室でも良いと思ってるけどその……離縁だけは……」
「きゃ~何この娘可愛いっ! 」
ネガティブな想像に落ち込んで沈んでいる光にそう言ってすり寄る若芽。ちょいアナタ!? まさか女子もイケるクチだったりするんですかっ!?
「大丈夫よ、貴女を追い出したりなんてしないわ。寿四郎さまの事を愛してる者同士、今日からはお姉さんだと思ってね♪」
「お、お姉さまっ!? ありがとうございます」
「それにしても寿四郎さま。こ~んな可愛い娘にここまで慕われてるなんて罪な存在ね」
そう言って俺の脇腹を肘でつつく若芽。光も若芽の態度に感銘を受けたのか目をキラキラさせて若芽の方を見ている。なんだろう、これ逆に俺が家内での立場を脅かされそうな気しかしないのだけど……まぁいいか。
俺達3人は微妙な空気感のままで子供たちが居る城の中庭へと向かった。
「あ! ちちうえだ!! 」
「お父上! おかえりなさいませ」
「……」
俺の姿を見つけて槍の稽古を中断して三郎と四郎、それに春菜が駆け寄ってくる。他の小さい子供たちの世話をしている鈴夏と千秋は若芽の姿を見るや驚いた表情を隠さず、肝心の次郎は俯いて下を向いていた。
「父上、後ろにいる女性はどなたですか?」
春菜が訝しそうな顔をして尋ねる。まだ幼いながらも小春にそっくりな顔でそう言われると、若芽が初めて駿河に来た時の事を思い出してしまうな。俺は軽く息を吸い込み、小さな決意をして告げた。
「新しくウチの家族になる若芽さんだ。それと……兄妹になる次郎だよ」
ハッとしたような表情で顔を上げる次郎。
「次郎、おかえり。多分、覚えていないと思うけど……お前の父上だよ」
「ちち……うえ?」
「ああ。って言ってもすぐに慣れるワケは無いよな。少しずつこれから、親子になっていこう。よろしくな」
「次郎。私からも、よろしく頼む」
次郎と俺の間に寿壱が立つ。その表情は穏やかな笑みを湛えていた。
「ここ数日で、もしかしたらそうなんじゃないかなって思っていたのだけど、次郎が私の弟だとついさっき確信しました。だって、父上と同じだったから」
「寿壱?」
「覚えていないかもしれませんが以前、父上にお聞きした事がありましたね?私が壱で弟が三郎なら次郎はどうされたのですかと。その時、父上は凄く困ったような表情で『次郎は幼くして亡くなった』と言っておりましたが、ずっと違和感を感じておりました。父上も、何処かで次郎は生きていると信じていたのでしょう?そして出来るならばもう一度会いたい、と」
その時のことは覚えてはいなかったけれど、まさかまだ9歳の自分の息子にそんな事を見抜かれるとは思っても居なかった。寿壱は本当に聡い子だと思う、俺に似なくて。
「ほら、次郎。父上も。ようやくこうして会えたのです。もっと笑ってください」
「そうだな……次郎。改めて、よろしくな」
「父上……それと兄上」
こうして俺達はぎこちなくではあるけど、8年ぶりにちゃんと再会を果たした。お互いに居ないものだと思って過ごしていた8年間、特に次郎にとっては生きてきたそのほとんどの時間が簡単には変わるわけはないだろうけど、少しずつ時間をかけて取り戻していけたら良いなって思う。
その為にも、俺達がこうして平穏無事に過ごせる時間を守り切らなきゃだよな。まずは目の前に迫っている武田勝頼が侵攻してくる脅威に、どう立ち向かうかだ。




