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第89話 逃亡の先に

 暗闇と喧騒の中を手を引かれるがままに進んでいく。時折「居たぞ! 追え! 」と叫ぶ声が聞こえるたびに自分の事かと緊張が走り、その度に握る手に力が籠る。


「決して手を離さないでくださいませ」


 手を引いている女の凛とした声に何故だか懐かしいような感覚を覚える。いつだったか……俺はこの声を多分、聞いた覚えがある気がする。いつ、何処でだったかまでは思い出せないが。


 

『ワタクシをちゃんと捕まえていてくださいませ。ご主人様♪』



 信長とその一派から逃げてどれくらい走った時だったろうか?完全な夜半の暗闇の中でふいに突然、脳裏にある日、ある場面での掛けられた言葉の事が思い浮かんだ。


 あの時はふざけてわざと色気を出したような甘いトーンでのセリフだったから先程の真剣な声音とは全然違うはずだったのだが、どうしてか頭の奥でその2つの声が1人の女性の記憶に重なる。


 

「若芽……なのか?」



 俺がその名を口にした瞬間、早足で前を歩いていた女の足がピタリと止まる。8年前に忽然と俺の前から姿を消したままの、俺の側室だった女性。俺の不甲斐なさゆえに見限らせてしまって、その事を心の何処かで未だに後悔し続けている女性。



「……今はとにかく先を急がねばなりませぬので」


 その問いに肯定も否定もせず、短くそれだけを告げると女は左右を警戒し、方向を確認してまた足早に前へと進む。確かに小谷城下の喧騒は抜けたとはいえ、まだ織田軍の残党やら火の手の上がる方角を見て落ち武者狩りにと繰り出した者達に出くわす可能性はある。まだゆっくりと話せる状況ではない、という事だろう。もっとも、今ここで話す事になってもどうすればいいのか分からないけれど。


 

 俺の元を離れてからどうしていたのか、今でも俺に対して何か思っている事があるのか、気になって聞いてみたいとは思ったけれどそれらを飲み込んでひたすら歩く。


 無言のまま月が雲で翳った薄明りの中を、何処へ向かうかも知らされないままひたすらに歩き続ける時間は永遠のようにも感じられた。もしかしたら武田家からは俺を邪魔者として消すように密命が下っていて、人気の全く無い遺体も発見されないような山中で消されるんじゃ、なんて一瞬思ってみたりもしたが


「ご安心ください。命を奪えなどとは命令を受けておりませんので」


 と完全に思っている事を読まれて釘を刺されてしまった。確かにそれなら織田信長に殺されそうなところをわざわざ助けには入らないだろう。でも『命令を受けてない』だけでホントはすごーく恨まれていたりとか……ないとは言い切れない、よな?



 そんな風にモヤモヤと考え事をしながら早足で歩き続け、明け方近くに辿り着いた廃寺で短い仮眠を取る。翌朝は何処からか見つけてきてもらった商人風の服装に着替え、またひたすらに歩き出した。

 これまでいくつもの戦いにおいて俺を守ってくれた、軍監と半兵衛の合作『南蛮鎧・改』を今にも朽ち果てそうな古寺の床下に埋めるのは忍びなかったが、そこは仕方ない。


「なあコレ、何処に向かってるんだ?」

「船にて急ぎ駿河へお戻りになれるよう動いております」


 こちらを振り向きもせず辺りを警戒しながら早口で女が応える。多分、若芽で間違いないと思うのだが、昨日も今日も身なりに声までガラリと変えているので昨日ふと感じた直感が本当はただの勘違いで『若芽の名を知る武田の女忍びの一人』という可能性もあるんじゃないかと考え始める。


「どうして美濃の山中を通らず船なんだ?稲葉山にさえ戻れば……」


 俺の質問に足を止め、少しの沈黙の後で意を決したように女は1つの情報を口にした。

 

「つい先日、躑躅が崎(つつじがさき)館にて御屋形様……信玄様が亡くなられました。その跡を継がれるのはどうやら勝頼様になるようです。そして勝頼様は織田と結び、遠江・駿河に攻め入るつもりかと」


 その一言はとてつもなく衝撃的だったが、同時に俺の中で何かが繋がる。信玄の遺言による後継者指名が重臣たち家臣団立ち合いの元だったなら、信玄は勝頼に跡を継がせる事を承諾はしなかったはずだ。それをさせないために勝頼はわざわざ危篤の信玄に誰も近付かせなかったのだろう。


 そしてその勝頼は恐らく……俺達のやり方よりも、力ですべてを捻じ伏せる織田信長という男のやり方に親近感を感じているハズ。


 そんな勝頼が甲斐武田という武力に優れた大軍団を率いてなら、そのやり方を踏襲する事も可能となる。それも駿河を狙うのならば国主である俺と主力が不在だった方が良い。


『援軍を出せない』と甲府で言われた段階から、すでに謀られていたのか。あるいは、もっと前から。


「わかった。そういう事ならば急ごう」

「ええ。私も御屋形様・信玄様の最後の命令ですから、命を懸けてでも寿四郎さまを駿河までお連れします」


 初めて振り返りこちらをまっすぐに見た元側室・若芽の顔には確固たる決意が見て取れた。

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