第88話 信長という男
「貴様……信長! 」
「くっくっく、長政よ。今どんな気分だ?悔しいか?惨めか?」
目の前に立ちはだかる信長と呼ばれた男は戦国のこの時代には似つかわしくない異様な服装をしていた。気の荒そうな漆黒の馬の上で南蛮胴に身を固め、その上には尖った襟のついた外套を羽織っている。その片手には槍や刀では無く、火縄銃を短くしたピストルのような物を持っていた。先程のはソレで撃ってきやがったのか。周囲の燃え盛る炎から陽炎が立ち上り、その男の異様な雰囲気を増長させている。
「この馬上筒とやら、まだまだ改良せねば使えんな。結局最後に頼るのはコレになるか」
そう呟いてピストルと火縄の中間ぐらいの銃を投げ捨て、刀を抜く。こちらも生き残った数人と共に刀を抜くが敵は信長を含めてざっと見ても20騎以上、多勢に無勢だ。
「信長、貴様のような男だけは生かしておくわけにはいかぬ。俺の命に代えても貴様を討つ! 」
「ほう、面白いな。やってみるがいい」
すぐさま長政を囲む兵達が信長に斬りかかるが、こちらは銃で何処かを撃たれたか落馬したかで傷を負っている者ばかり。それを知っているからか信長は配下の者に敢えて手を出させず、繰り出される攻撃を全て躱しながら狂気に満ちた笑い声をあげ、一人、また一人とまるで狩りの獲物でも仕留めるように次々と討ち取る。
その姿はさながら異世界ファンタジーに出てくる魔王のような悪魔的な雰囲気を纏っていた。第六天魔王、とはよく言ったものだ。
「無様だな、長政。俺の妹を娶り俺の弟として言う事を聞いておれば今頃、朝倉攻めの総大将として4万の手勢を率い名声と領地、全てを手に入れていたというのに。貴様のその座は代わりに家康めにくれてやったわ」
「黙れ! 貴様の様な者の犬として力を手に入れた所でその先に何がある? 義も持たずに全てを捻じ伏せた後に残るのは怨嗟の渦と破滅だけよ」
「義、か……やはり貴様はつまらん男だな、長政。ここで死ね」
次の瞬間、長政の心臓には信長の刀が深々と刺さっていた。カチャリ、という音と共に絶命した長政の身体から刀を抜き出すと信長はその切っ先を俺に向けてくる。
「たしか貴様は……思い出したわ。武田信玄や北条氏康などという時代遅れの老いぼれどもの飼い犬だった、つまらん男だな」
先程までの狂気を孕んでいた表情が薄れ、急に何の感情も持たない能面のような色の白い細面の顔に変わる。血の付いた刀をもはや使い物にならんと呟いて投げ捨て、全く興味が無さそうな声音でこう吐き捨ててきた。
「貴様の様な犬、この俺が相手をしてやる価値も無いわ。我が軍勢にでも討ち取られるがいい。殺れ」
周りを取り囲む配下にそう言い放つと踵を返す。その瞬間、今まで抑圧されていた俺の中の怒りが一気に爆発した!
「ふざっけんなテメー!! ナメるのもいい加減にしろ!! 」
信長の両脇から近付いてくる鎧武者にこちらも全力で向かっていき、姿勢を落としたところからの斬り上げで一人、そのまま後続を袈裟懸けでもう一人、そこから突きを繰り出して三人を沈める。俺じゃマグロほどの剣の腕は無いが、それでも毎日鍛錬して近くで戦い方を見ていれば少しは見様見真似でも近いものは繰り出せる。
「ふん、小賢しい! 少しは出来るようだな。次!! 」
信長の指示で今度は4人が同時に取り囲んで斬りかかってくる。右、左と反転しながら斬撃をいなして斬り付け一体ずつ討ち取っていくが、こちらも鎧の隙間から通った斬撃で何カ所も浅い傷を負っている。
「くそがぁぁぁぁ!! 信長ァ!!! 」
このまま配下をけしかけられ続けては負ける、そう判断した俺は馬に乗りこちらの戦いぶりをニヤニヤと眺める信長に向けて渾身の突きを放った。自らの優位を過信して油断していてくれるなら好都合、この一撃で全部がひっくり返ってくれればと一縷の望みを掛けながら。だが……
「ぬるいわッ! 」
渾身の一撃は信長の胴体に届く寸前のところで抜刀によって払われ、甲高い金属音と共に刀は真ん中から折れて弾け飛ぶ。咄嗟に生き残っている兵が俺を囲むように動く。気配で把握した限りでは周囲に5人、正面には信長。絶体絶命だ。
「俺を直接狙ってきた所は褒めてやろう。だがここまでだ。」
信長がそう言って刀を振り上げた瞬間だった。奴が乗る馬の首元にキラリと光る短剣のようなものが刺さり、突然の痛みに驚く馬は嘶き声をあげて前足を振り上げる。その勢いで信長は馬上から振り落とされ、手下たちの注目はそちらに集中。さらに俺を取り囲んでいた何人かの信長の兵が急に倒れ、何が起こっているのかとその場は騒然となる。
「寿四郎さま、こちらへ」
俺もその場で起こっている事に気を取られていると、短い女の声と共に細い腕からは想像もつかない力で手首をぐいと引っ張られる。次の瞬間には俺を取り囲んでいた兵達が目や鼻を押さえて屈みこみ、咳き込んでいた。
「さ、早く」
「待てぇ、貴様! この俺にこのような恥をかかせて逃げるなど許されると思うな」
手を引かれながらも振り向くと、ヨタヨタとした足取りで信長が一心不乱に刀を振り回しながら、敵味方問わずに行く手を遮るものを斬り捨てて追って来る。その姿はまるで悪鬼か何かのようで俺に恐怖に近い感情を植え付けた。長政が『この男は生かしておくべきではない』と思った事も納得できる。
しかし、とにかく今は逃げなくては。
そう納得した俺は手を引く後ろ姿を信じると決め、火炎と煙の隙間を伝って暗闇へと逃げる事にした。
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この話で第8章にあたる部分が終わります。
そして次の閑話でなんと!連載100話です。




