暗闇のペルセポネ
その彼女は不思議な人だった。出会ったその日に彼女から声をかけて来てくれ、それから付き合うことになった。
グレーな日常が、パステルピンクに染まる。まるで春風のような人だった。
おしゃれだし、可愛らしい。俺にはもったいない彼女。一緒に住むようになるまで時間がかからなかった。
そんな俺に、友人が「幸せ者!」と言ってアパートまで押し掛けてきた。俺は彼女の名を呼んでビールを出すように言うと、彼女はニコニコしながらビールとグラスを運んできたが、友人は変な顔をしていた。
「なんの真似だよ」
「なんの真似って? 紹介するよ。彼女のレイミだ」
「冗談はやめろよ」
「冗談? なんの?」
どうやら友人には彼女の姿が見えないらしい。しかも、友人は彼女が幽霊で、俺に取り憑いているから、早々に寺に行くように勧めて来たのだ。
友人はすぐに帰ってしまい、俺は彼女を呼んで友人の非礼を詫びたが、彼女はケロっとして友人の言うことは本当だと言ってきた。
しかし、互いに結ばれる運命にあるのだから回りなどは関係ない。このままでいいじゃないかと言った。
俺はどうしてよいか分からなくなってしまった。彼女は幽霊なのだ。俺は生きている。生と死のものたちが果たして通じあったとして幸せでいれるものかと。
俺は結婚にも憧れているし、子供も欲しい、と彼女に正直に言うと、彼女は険しい顔をしながら答えた。
「実は私の肉体は、樹海の中に置いてきてあるの。それを一緒に迎えに行ってくれないかしら? そしたら私は肉体と魂が融合して、ちゃんとした戸籍のある人間に戻れるわ」
「ちゃ、ちゃんとした? キミは自殺でもしたのかい?」
「ええ。でも私の肉体は焼かれたわけじゃない。きっと上手く行くわ」
本当だろうか? しかし、彼女の言葉を信じるしか方法がない。そうすれば彼女は元の人間に戻れ、結婚して子供も作れるというのだ。
◇
俺たちは車で樹海まで来た。彼女の肉体はずっと奥にあるようだった。俺たちは手を繋いで、その場所へと向かい、目的地につく頃には日が完全に落ちていた。
光の無いところで彼女はこう言った。
「今から肉体と融合するわ。そして、あなたの手を繋ぐ。そしたらあなたは私がいる後ろを振り向かずに私を連れて車まで戻る」
「ど、どうして?」
「それは私の身体が朽ちているからよ。その姿を見られたらもう人間には戻れない。でもあなたの手を握って樹海を出る頃には完全に元に戻れる。そしたら、私を抱き寄せてちょうだい。それが幽霊が人間に戻れるルールなのよ」
「そ、そうなのかい?」
「そうよ。でもね、この場所にはたくさんの悪霊がいて、私とあなたの邪魔をするわ。それに負けて振り返ってはダメよ」
「わ、わかった」
暗闇の彼女の気配はフッと消えた。だがそれは僅かな時間。やがて俺の左手が取られ弱々しく握るものがいた。
彼女かどうか分からない。先ほどまで元気に話していたのに。
そうか。今の朽ちている肉体と融合したから、声帯も朽ちているのだ。そう思っていると、かかとをツンと蹴られた。進めということだろう。
俺は暗闇の中、進み始める。考えてみたら恐ろしい。この僅かな懐中電灯の明かりの中で、後ろには死体のレイミを連れているのだから。
ズリ、ズリ、と身体を引き摺り歩く音が聞こえる。それも一つではない。何体も何体もおるようだ。
そのうちに、首筋にハァハァという獣の吐息がかかるようになってきた。
振り向きたい──!
全身が恐怖で包まれ、足が小刻みに震える。歩くのがやっとだ。
怖い、恐ろしい。
たくさんの悪霊に辺りを囲まれて身がすくむ。どうしていいのか分からない。
その時、しゃがれた声が聞こえた。
「大 丈夫、そのま ま 進むのよ。こいつら は 邪魔を する だけ だもの」
それは彼女の声だった。声帯がいくらか復活して、声が出せるようになったのだろうと思った。
それから、彼女の握る手のぬくもり、足取りの軽さに希望を感じ始め、出口まで急いだ。
やがて出口が見える。その頃には空は白み始め、朝の訪れを告げていた。
あと少し、あと少し……。
「ああ、もう大丈夫。さあ私を抱き締めて──」
俺はその声に振り返る。だが、彼女は崩れた顔で苦笑した。
「今の、私じゃない」
とたんに彼女の肉体は崩れ始めた。悪霊だ。悪霊の邪魔だったのだ。
俺は膝をついて、崩れる彼女の肉体に涙を落とした。
そんな時、映画やドラマだったら彼女は復活するのに、そうはならない。なるはずもなかった。俺がルールを破ったのだから。
「仕方がない。帰りましょ」
俺が顔を上げると、そこにはレイミ。俺は口をあんぐりと開けてしまった。
「ど、どうして?」
「どうしてって、肉体はダメになっただけだよ。今までの私はダメにはなってないよ?」
俺は深くため息をついた。
「なぁんだ……。俺はてっきり……」
「でももう本当に肉体は元には戻らないわ。子どもは産めないわよね。でもね、私はもう死んでるから、あなたが死ぬまでずっと側にいれる。それでどう?」
「うーん、まあ、それでいいかぁ」
俺と彼女は手を繋いで車へと向かった。