君が語る僕の詩-③
「ゼン様は随分と陽気なものだな。1000年も封印されていたのに、暗い顔ひとつ覗かせん」
「ええ、あれはあの方の本来の性格に近いものですね」
緑に囲まれた部屋の一角、細かな木彫りの模様のテーブルに紅茶と菓子が並べられ、ティアとユイは談笑していた。
「本来の性格に近い・・・・・・と言うと少しは異なるのか?」
「元々はもう少し穏やかな性格だったのです。人とのコミュニケーションが苦手な方でした。あんなによく喋るのは、それはそれで長い封印の影響なのだと思いますが」
「なるほどな」
会話のタネはもっぱらゼンのことだった。
「ゼンが封印から目覚めて最初に発した言葉、なんだったと思いますか?」
「あん?そうだなあ、やはり長い封印から目覚めたのだから『・・・・・・ここは、どこだ』とか『俺は、いったい・・・・・・』とかそれっぽいことをそれっぽい雰囲気でカッコつけておったのだろ?」
ユイは呆れ顔で答える。その答えにティアはくすっと一笑する。
「それがですね・・・・・・」
「ふっ・・・・・・はっはっはっは!なんじゃそれは。目覚めてから喋りすぎだろう!はっはっは」
「それも、一糸まとわぬお姿でしたので、さすがの私もあれが本当にゼン様なのか一瞬混乱してしまいました」
ティアはゼントの再会の場面、その一部始終をユイに語った。
「ほお、つまりあれだな。ティア様はゼン様の全裸を余すことなく目撃したということだな。ゼン様のあんなとこやこんなとこまで全て。いやはやとんだムッツリ精霊もいたものだ」
「なっ!そんなことはありません!さすがにゼン様の大事なとこまでは・・・・・・って何を言わせるのですか!」
「何も言わせとらんよ」
ユイはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながらティアをからかう。
コホンと軽く咳払いするとティアは冷静さを取り戻すようにつらつらと語り出す。
「目覚める、と言っていましたが実のところゼン様は眠らされていたわけではないのです。ただ、四肢の自由を奪われ、コキュートスの最深部に囚われていた。一番初めの私は、ただ訳もわからず喚き散らし呪詛を吐く主を見ていることしか出来なかった。しかし徐々にゼン様は自問自答を重ね、ある種の悟りを開いたようです。」
「そして神の御座にたどり着いたわけか」
「!・・・・・・ご存知なのですね」
ユイは目を逸らすように空を仰ぎ、一つ呼吸を置いた。
「その時に大叔母様・・・・・・ユリア様が仰っていたのよ。かの魔王が主の元へ至ったと」
「魔王・・・・・・」
ティアはその言葉を噛み締める。ゼンがなぜ魔王と呼ばれることになったのか。それは長年仕えていたティアですら知らないことだった。
いや、もしかしたら最初の光の精霊であれば知っていたのかもしれない。何らかの思惑でその記憶は継承されなかった・・・・・・そう考えた方が自然に思えた。
「思えば、全ての始まりはその時なのかもしれんな。最初に大叔母様がこの世を去り、続け様にほかの超越者たちも姿を消した。そして入れ替わるようにゼンが目覚めた。神とやらは何を考えておるのだろうな」
「・・・・・・ゼンは封印が解かれる直前、神の御座への扉を開きそこで何やら話をしたそうなのです。ですが精霊である私は創造主を語ることはできません。結局何が起きたのか、詳しい話は聞けませんでした」
謎は深まるばかり・・・・・・か、そうユイがこぼす。
ティアからすれば目の前に座る幼女もまた得体の知れない相手だった。何もかもが彼女の掌の上で、ゼンを利用し陰謀をめぐらせているのでは、そう何度も疑った。
だが、この世界において味方は多い方がいい。
知る者のいないこの1000年後の世界において、超越者の存在は貴重だ。
そんな思惑くらいユイにもバレていることだろうが、それでもお互いに詮索し合わないのはゼンというこの世界のイレギュラーがあったからだ。
そのあまりにも強大すぎる力は抑止力にするには過ぎる力だった。
まさしく魔王として人類共通の敵になってもおかしくない。そんな存在が間にいればこそ、互いに余計な諍いは避けるのが懸命だと判断した。
その魔王もわずか一週間ばかりで、余計な問題を抱はするまい。
────そう、思っていた時期が私にもありました。
ティアは顔をしかめる。軽蔑と叱責の念を込めた渾身のしかめっ面である。
「いや、だから明日デートすんだよ俺」
その原因の変態淫乱発情期到来最低糞野郎はまるで気にすることなく惚気顔で今日のあらましを聞いてもいないのに勝手に喋る。そろそろ黙ってくれませんかね。
「そろそろ黙ってくれませんかね」
おっと、つい口が。
「いや辛辣過ぎないか?」
「申し訳ありません。ゼン様。いや変態様」
「ついでに聞くが変態要素は今の俺にはないよな?」
不毛な掛け合いが続く。見かねたユイが助け舟を出す。
「その男吊るしてしまえ」
おっと、つい口が。
「ねぇ、君らなんなの?俺なんかした!?」
翌日、ゼンは意気揚々と城下町に繰り出した。
その後ろには、変装したユイとティアが建物の影からゼンを監視もといストーキングしていた。
「なぜ私まで変装を・・・・・・。ユイ様だけでよかったのでは」
「お主、さては自分の人並み外れた美貌を理解しておらんな。我と二人、絶世の美女が何もなしにこんな下町を歩いてみろ。途端に人だかりができてしまうぞ」
絶世の美女?と聞き返したいところだったが、本人のいたって真面目な顔を見ると本気で言っているのがわかる。つっこむのも野暮というものだろう。
もっとも精霊であるティアからすれば美的感覚というものが人のそれとは乖離していることを自覚している。今のこの姿もゼンの好みに合わせた結果の産物であり、実のところ服飾にもそれほどこだわりがあるわけではなかったため、変装すること自体に嫌悪感や気恥しさを感じてはいない。
ただ、何となくゼンの好みではなさそうな服に少し引っ掛かりを覚えいるだけだ。
─────どうせ変装するのなら、彼の好みに合わせればよかった・・・・・・。
・・・・・・あいつらバレてないとでも思ってんのかな。
ゼンは後ろのストーカー二人の存在にとっくに気がついていた。
せっかくのデートだと言うのにこれでは台無しだ。
メイとは特に待ち合わせや時間の指定はしていなかった。けれど何となくまたあの丘へ行けばすんなり会えるのではないかと期待してのことだった。
再びあの路地裏に入る。そういえば昨日のあの子供たちはどうなっただろうか。今日も食べるものを探して徘徊しているのかもしれない。
路地の奥へと向かう。ひとつ曲がり角を左に行きあの崩壊した区画へと足を向ける。
そこで人影とぶつかった。
「悪い!大丈夫か?」
ゼンがとっさに謝ると、その人影はゼンの服の裾を掴む。力強く握る拳に雫が垂れ落ちる。
「助けて!お兄ちゃんが・・・・・・!」
その人影は昨日の子供のうち小さい方の子供だった。
「・・・・・・!何があった・・・・・・」そう言い終わる前にゼンは懐かしい気配を感じた。
腹の奥に響くような重い魔力。
─────魔物・・・・・・!
「任せとけ・・・・・・!」
体は勝手に動いていた。仄暗い魔力を追い、駆け出していた。
路地は入り組んでいた。所々崩壊した家屋が目に付く。気付けばあの崩壊した区画にたどり着いていたらしい。
壁が崩れ、広場のようになっている廃墟があった。そこに何かを取り囲むように魔物の群れがいた。
人が倒れている───!
魔物は中級の狼型のようだった。ゼンは威圧を試みる。押さえ込んでいた覇気を一瞬だけ解放する。途端に魔物は怯み一目散に逃げ出した。
「おい、大丈夫か!」
ゼンは倒れている人影のもとへ急ぎ駆け寄った。
「こいつは・・・・・・」
倒れていたのは昨日の子供だった。弟を庇ったのか、全身に噛み傷がひろがっていた。
魔物から受けた傷は猛毒に等しい。全身を蝕むように汚染が広がり、やがて死に至る。
腕に抱くこの小さな子供の体では、きっと、もう、耐えられない。
ゼンは誤解されやすいが、けして理想の為にがむしゃらに行動するような人間ではない。むしろかつての戦争を経験したことで、リアリストとしての冷徹な側面が確かにあった。
そしてゼンの見立てではもうこの子供は助からないであろうことは目に見えて明らかだった。
唯一の希望があるとすれば慈愛の超越者による治癒魔法だけだ。しかしそれはユリアの死没とともに失われた。
「────いや、待てよ。ユイ!見ているんなら来てくれ!」
ゼンの呼び声に反応はすぐにあった。
「・・・・・・まあ、言いたいことは色々あるだろうが、まずはっきりと言っておこう。我には無理だ」
「本当に、できないのか?」
ユイは首を振る。「我に継承されたのは不老長寿のみだ。すまぬ」
「お兄ちゃん・・・・・・?」
小さい方の子供の声が虚しく響いた。
「任せろ・・・・・・って、言ったのに」
力無い言葉にも激しい憤りを感じさせた。
ユイは光の球を魔法で打ち出す。それは光信号の役割を担ったもののようだった。すぐさま遠くで警笛の音が聞こえた。
「あぁ、旧カリア地区だ。魔物の出現が確認された。至急、枢機院へ言伝を頼む。・・・・・・なに?もう動いているだと?・・・・・・あの小僧め。何か知っていたな」
ユイは何処かに連絡を入れているようだ。この時代の連絡手段は聞いていなかったが、どうやら今使っているのは念話のようなものだろうか。
間もなく、子供は息を引き取った。
遺体は解剖のため、王宮直属の医療部隊が引き取る手筈になったようだ。
喧騒が崩壊した区画に響く。
ゼンはただ、事態を観察していることしか出来なかった。
頭の中で先程の言葉がリフレインする。
────嘘つき
「気にしても仕方がないことです。ゼン」
いつしか傍らに立っていたティアが穏やかな口調でそう告げる。
「・・・・・・わかってる。俺に何もできやしないってことくらいな」
「冷たい女だと思われるでしょうか」
「あいつは多分血が繋がってない弟を守ろうと必死に戦ったんだと思う。弟もそんな兄貴を助けようと必死に誰かへ助けを求めた。・・・・・・なのに俺だけが、何も出来なかった」
ティアの問いかけには答えず、独白するようにゼンは言葉を連ねる。
亡くなった子供を兄と慕っていた小さい方の子供は、聖騎士団が保護する運びとなった。けれどこれはユイが好意で働きかけたことであり、例外の対応だそうだ。
そして女騎士に連れられて行く際、すれ違いざまに子供はその言葉を口にした。
「俺は、無力だ」
ティアは開きかけた口を閉じ、ただゼンの傍を離れようとはしなかった。
ゼンはぼんやりと目の前の過ぎゆく光景を眺めながら、ふと思い出した。
─────メイとのデート、すっぽかしちまったな。