君が語る僕の詩-②
ゼンは城下街に一人いた。
ティアから城を追い出されたためである。
あてもなくぶらりと散策することにしたゼンだったが、どこを見てもこの街の文化水準の低さを感じずにはいられなかった。
建物は三階建てのマンション型。一階は商店を営み二階から上は宿や、自宅としているものが多かった。これはやはり中世ヨーロッパを思わせる建築様式だった。
ただ一点、異なるものといえばその建物はどれも純白の大理石調で造られていたことだった。
統一された色調の街並みは、どこか異世界じみた雰囲気を感じさせた。
軽く触れると、ひんやりとした硬さが指先に伝わる。大理石のように見えるがやはり違う。ゼンの知らないユリアが造り上げた特殊な鉱石だろうか。
「本当に知らない世界に来ちまったみたいだ・・・・・・」
ふと脳裏に1000年前の光景が浮かぶ。
科学が発達し、高層のビルが、幾重も連なる山のようにそびえ立ち空を覆っていたあの頃を。
けれど自分の見ていたものはまた違う。赤く錆び付いた鋼材の骨組み。ボロきれのような布が建物と建物の間を渡り、薄汚れた空からこぼれるわずかばかりの光さえも眩しかった。
そう、自分は恵まれた子供ではなかった。
貧困に喘ぎ、その日食べるものさえありつけず、疑い、憎み、妬き、飢え、渇き、あらゆる不快が日常だったあの頃を。
─────あの時、俺をあの場所に導いたのは誰だっけ。
ドンッと足元を衝撃が掠めた。
子供がぶつかったらしい。
ごめんなさいと大きな声で謝る子供を見て、ゼンは育ちがいいんだなとこぼした。
ここに生きる人々は皆活き活きとした顔をしている。
露店が道に並ぶ。青果店にパン屋、串焼きなんかもある。それら食文化は自分のいた時代と何ら変わりないように見えた。
「それひとつ貰えるか」ゼンは目に付いた串焼きを一本買った。
そういえば王宮での食事はいつも豪華絢爛としていて、こういった庶民的な食べ物は目覚めてからまだ食べていなかった。
一口かじると口いっぱいに広がる肉汁と醤油ダレの味が幾重にも重なりなんとも形容しがたい繊維感が歯切れ悪く舌の上を転がり・・・・・・うん、これはなんというか・・・・・・お世辞にも美味しいとは言えないな。というかはっきり言ってまずい。
見た目だけが継承されたのだろう、肝心の風味とか味付け、食感は全くの別物だ。
これはもしかすると他の食べ物も同じなのではないかと思いつつも、食べ物を捨てるわけにもいかず路地裏を散策しながらもっちゃもっちゃと歯切れ悪い肉(いや、もしかすると肉ですらないかもしれないが)を口に放り込む。
目線が合った。路地に潜む、小さな人影。
それはかつての自分と同じ目をしていた。
────分かっている。これは意味の無い行為だ。
これが何を生むわけでもないことは十分に理解っている。
ゼンはわざとらしく、串焼きを袋に戻し地面に捨てた。
施しではない。これは落としたものをただ盗られるだけだ、と。
そしてその場をあとにする。
こっそりと隠蔽の魔法をかけ、その子供の行動を見守る。串焼きを拾い上げると子供は路地の奥へと駆けていった。
なんとなく気になり後を追う。
子供は拾った串焼きをもっと小さい子供に分け与えていた。
2人とも体は小さく痩せ細り、時折咳き込む様子もみせた。
ゼンは何も無い空間に手を突っ込むと、収納空間にあったものを掴み子供たちの見える場所に落とした。
「お兄ちゃん、あれ・・・・・・」
「果物、か?どうして急に落ちてきたんだ」
「赤いね、とってもキレイ」
「こら!勝手に取るな!毒かもしれないだろ兄ちゃんが毒味するから待ってろ」
お兄ちゃんと呼ばれた串焼きを拾った方の子供が果物に手を伸ばす。子供は果物を一口かじると、途端に顔を驚かせた。
すぐさま小さい方の子供に食べさせる。
「おいしい!おいしいよお兄ちゃん!」
「ああ、こんなの食べたことない。なんだろこの赤くて丸い果実は。リンゴみたいだけど俺たちの知ってるものとは全然違う」
実際、ゼンが落としたのはリンゴだった訳だがこの時代には無いものだ。
ただ1000年前は普通にあったありふれたリンゴというだけだが。
己の偽善を冷笑しながらも、子供たちが食べ物にありつけたのを見届けたゼンは散策を再開した。
「あの子供たち、会話の端々に教養を感じた。元々は特権階級の子供だったのか、それともあの程度は普遍的なのか・・・・・・まだ知らないことが多いな。この世界の文化や教育水準、識字率その辺は知っておいても損は無いはずだ」
慈愛の超越者ユリアが遺した街。
あのお人好しの聖女様の事だ。子供たちへの教育は欠かすことはなかったはずだ。
それでもああいう身寄りのない子供が路地裏で人目につかない場所で生きている現実がある。
ゼンはそれが無性に腹立たしく思えた。
美しく着飾った街並み。足並みを揃えるように純白の建物が整然と立ち並ぶ。
しかし、その死角にあるのは美しさのために捨てられた街の醜さだった。
ゼンは崩れた区画にたどり着いた。元よりこうだったのか、何かがあったのかは分からない。
しかし建物の崩れ方を見れば自然にできたものではないことが分かる。
生活の跡が見える。崩れたテーブル、散乱した食器、ガラスが割れ扉も半壊している棚・・・・・・。
もしかしたらさっきの子供が住んでいた区画だったのかもしれない。
ふと自分のしてきたことはなんだったのかと、暗い感情が胸の奥にちらつく。
あの戦いはきっとこういう惨劇を無くすために自ら武器を手に立ち上がったのではなかったか。
化け物と呼ばれ、兵器と化しても守りたいものがあったからではなかったか。
戦う相手が人から魔物に移り変わったとしてもその思いだけは変わらなかったはずだ。
その思いを胸に戦い、裏切られ、封印され、孤独に怯えながらも1000年を生き永らえたのはあの戦いには意味があったのだと、そう思いたかったからなのかもしれない。
だが目の前にあるのは、見せかけの平和が続く裏切り者達が創った歪な世界だと言うのか。
「・・・・・・なぁ、お前ら。お前らはどうして俺を裏切ったんだ。この世界をどうしたかったんだ。教えてくれよ・・・・・・俺はこの先、この世界でどう生きればいい?」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「!」
遠くで何か声が聞こえた。
「歌・・・・・・?」
崩れた建物を足場に、より高い建物へと跳躍する。
区画の離れに緑の丘があった。そこに人影はいた。
「ここからじゃよく聞こえないな」
なぜだかこの歌声に惹かれる。
────もっと近くで聞きたい。
そう思い丘から少し離れた緑地へと跳ぶ。
ゼンの跳躍にかかれば数百メートルの距離など大した長さではない。一瞬にして飛び移ると耳をすましながらゆっくり歌声の主へと近づいていく。
歌声はより鮮明に清澄になっていく。
鳥のさえずりのように、川のせせらぎのように、美しい旋律がすうっと胸に染み渡る。
─────ああ 永い永い 時間の檻
かの英雄は永久の眠りにつくのか
人々は笑う 底に眠るは 大逆の使徒
五つの願いは聞き届けられた
慈しむ人よ
勇ましき人よ
厳かな人よ
賢しい人よ
卑しい人よ
見よ 世界はいま放たれた
けれど 彼らは知らず
未だ 明けぬ 果ての夢
滅びの夜明けが 目を覚ます
その果ては 何処か 何処か
奪われた聖杯 満たすは 何か
我は問う
汝の果ては 何処か 此処か
永い永い 時間の檻
きっと かの英雄は 滅びの夜明けと共に
されど かの英雄は 世界の楔を
解き放つ
思わず拍手してしまっていた。
「誰?」
声の主はやはり透き通る声で問いかけた。
「悪い。歌声が聞こえたもんで、気になってな。えっと、迷惑だったなら謝るよ。ごめん」
言葉を探しながら、声の主を見る。
美しく揃えられた長い黒髪は時折青く煌めき、美しさを際立たせる。やや小柄ながらもスラリと伸びた手足はティアを彷彿とさせ、身体を覆うワンピース調のドレスはその気品を見事に表現してみせていた。
どこかの令嬢だろうか、と身構える。
「いえ、ごめんなさい。私の方こそ迷惑でしたでしょうか」
「とんでもない。とても綺麗な歌声だった。タダで聞いたのが申し訳なくなるくらいだ」
大袈裟に身振り手振りして、無害を装う。
これくらいオーバーな方が相手も緊張しないで済むだろう。
「俺はゼン。訳あってこの街に滞在している流れ者だ。あんたはこの街の人間なのか?」
「え・・・・・・と、いえこの街の人ではありませんが、たまに来ているんです。ここは美しいから」
丘から見下ろす景色はまさに絶景だった。純白の美しい街並みが一望できる。
先ほどの一件がなければもっと素直にこの景色を堪能できただろうが。
「確かに、キレイだな」
「悲しそうな顔をなさるのですね」
え?と聞き返すと少女はまっすぐにゼンを見つめていた。
「すみません。余計なお世話でしたね。・・・・・・ただ、あなたの顔を見ていると何となくそんな気がして」
「いや、そうなのかもな。キレイなものでも、どこかに綻びはある。そう思ったら、この景色が見せかけの子供騙しに見えてきて、何となく悲しくなったのかもな」
少女はまた、街並みの方へと向き直ると
「分かります」
とだけ答えた。
その一言で、ゼンは少し救われた気がした。
「名前、聞いてもいいか?」
「え?」
少女は長い髪を風に揺らしながら、目線だけでゼンを見る。
「あんたの歌、すごく綺麗で、なんて言うのかなうまく言えねえんだけどさ」
─────自分の行く末が見えた気がした。
「俺あんたのファンになっちまったみたいだ」
そう笑顔で告げた。
少女は驚いた顔を見せ、そのまま顔を伏せた。
「・・・・・・私は・・・・・・メイ・・・・・・」
「メイ・・・・・・か。よろしくメイ」
そう言ってゼンは右手を差し出す。
メイと名乗った少女は躊躇うように手を胸に当てる。何度か手を伸ばすかどうか迷う素振りを見せたが、ゼンはせっかちにメイの腕を掴むと強引に握手した。
瞬間、メイの顔に驚きとも恐怖ともとれる表情が浮かぶ。
しかしそれは次の瞬間には呆けたような顔に変わった。
「わ、悪いっ!ついもどかしくなって・・・・・・良くないよな!こういうのは!」
いけない、こういう所がノンデリだとか鈍感系最低主人公君とか言われる所以になるのだ。
俺はそんなラノベ主人公みたいな痛い男にはならないぞとゼンは慌てて手を離す。
「・・・・・・い、いえ。いいんです。なんでもありませんから。・・・・・・少し驚いただけで」
「ほんとごめん!俺ちょっと距離感掴むが下手でさ!えっと、無自覚というかなんというか」
しどろもどろになりながらも必死に弁解する。この場にティアがいたら確実に一言二言、辛辣な言葉を浴びせていたに違いない。
「ふふっ」
「・・・・・・え?」
目を向けるとメイは口元を上品におさえて笑っていた。その姿にようやく安堵したゼンはまたも大袈裟に肩をすくめてみせた。
「そうだ、さっきタダで聞いたのが申し訳ない、って言ってましたよね?」
不意にメイが悪戯な瞳を向けてくる。その姿に少しドキッとしてしまう。
「え、何?もしかして金銭要求してくる流れですか?もしもしメイさん?」
「そうですね、じゃあお代を頂きましょうか」
「待って今あんまり持ち合わせがなくてっ」
こういうコンサートとかライブってチケット代いくらだっけ。当時価格一万円くらいだろうか。もちろんそんなお金は無い。詰んだ。
「明日私とお出かけしてください」
「ごめんなさいっ・・・・・・て、え?」
「デートです」
出会って数分でデートの約束をしてしまった。
もしかしてこれはチャンスなのかもしれない。
誓って言うが、決して邪な思いはない。別に脱童貞だとかそんなことは思っていない。だって紳士だからね。
俺は今、絶好のモテ期が到来中だ。ひゃっほう!
「よろしくお願いします!!!」
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先ほどの丘では少女が一人黄昏ていた。
ゼンと名乗る男は飄々と立ち去っていった。
空間に歪みが現れたかと思うと、一人の老紳士が現れた。
老紳士は少女に向かって跪くと深く頭を下げた。
「メイルシュトローム様。お時間です。ご帰還を」
少女は老紳士を一瞥する。少しばかりの憂いを秘めた瞳は、先程まで共に過ごしていた男の、もうすっかり見えなくなってしまった後を追う。
「このままこちらに御座すことはできませんよ。あなたの存在は秘匿されなくてはなりませんから」
この老紳士の言うことは正しい。
少女はこの世界に存在するにはあまりにも大きすぎる咎を背負っていた。
「わかっています。・・・・・・ですがせめてもう一日、時間を頂けませんか」
「・・・・・・いいえ、最初に伝えたはずですよ。お時間です、と」
少女はあの時、彼の手を握った時確かに感じたあの温もりを思い出すかのようにぎゅっと拳を握りしめる。
やがて諦めたように俯くと少女は長い髪を揺らし、今度こそ老紳士を真っ直ぐに捉えた。
「わかりました。帰りましょう。レイメイ」
────ごめんなさい、ゼンさん。あなたとの約束守れなくなっちゃいました。
少女と老紳士は歪みへと消えていった。
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