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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ケーキ

作者: 麿猫

いちご2パック。

生卵1パック。

牛乳1本。

バター1箱。

バニラエッセンスの小瓶1本。

生クリーム1パック。

これらをスーパーの袋から取り出して居間の机の上に並べる。

居間件寝室からすぐの台所へ向かい、戸棚の前に立ち、いつから仕舞い込んであったのか判断つかない未開封の砂糖を1袋取り出す。賞味期限を確認して、見なかったことにした。ボウルやら泡立て器やらはかりやら諸々必要になりそうな小道具も取り出す。一番大きなボウルの中にどんどん詰め込み重ねる。これから使うもの全てだ。そのすべてを重ねる。出しすぎた気もするし、これぐらいが当然のような気もする。

その道具の全てに薄くかかった埃を軽く水洗いをしつキッチンペーパーで拭いてやる。

それを纏めて居間まで持ち出し机に音を立ててボウルを置く。そこから重ねた道具を一つずつ取り出し机の上に雑然と並べた。

必要な道具が机の上に所狭しと並んだ。

壮観である。

いや、これも当然の光景だろうか?


よし。

声に出して気合を入れてみる。

男の1人世帯にこんなもんがあるのが不思議でならないのだが、そういう考えはもう古いのだ。

実感なんざほとんどないが、時代は変わっているらしい。

戸棚の奥底から久しぶりに日の目を見た鉄製のケーキ型を見つめながら思う。

確か、13センチ、4号だったと記憶している。

よし。

もう1度気合を入れてみる。

作業スペースを確保する為に机の脇に諸々を窮屈に寄せた。

先ずは…

小麦粉と薄力粉を測り、ボールに入れる。

測り入れてから疑問が浮かぶ。記憶の中にあるレシピに従ったが、記憶違いということはなかろうか。

スマホを使って検索し、記憶に丸をつける。

薄力粉と小麦粉は…

次は…


いや、レシピを見ながら作るのはやめよう。

記憶を手繰り寄せながら作る方が面白いじゃないか。

スポンジが膨らまなかったら、その時はレシピを見直せばいい。

1回失敗したら勉強し直す機会だと謙虚に受け取ればいいし、うまくいったら褒めてやろうとも、出来て当然だとも、その時の感情に従えばいい。

次に何をすればいいか忘れて完全に作業が詰まってから考えよう。

的確に分量を測り、適切に材料の振り分けを行い、作業を進める。

あ。湯煎して砂糖溶かすんだったわ。

キッチンへ移動してやかんで湯を沸かす。

いちいち移動するのも面倒になったので、一気にこちらで作業を進めることにする。

最初からそうすればよかったのだが、これから使う道具一式を全て見ておきたかったのだ。

並べて見たかっただけなのだ。


湯が沸くまで、スマホでFacebookに目を通した。

笑顔の写真を暫く見つめる。

ぐらぐらと湧き立つ音が聞こえたのでスマホを仕舞い作業に戻る。

先ずは生地作りからだ。

湯煎しながら砂糖と卵黄を混ぜ合わせる。

一気にかき混ぜる。

砂糖が粗目から溶け出して液体状になるのを手の感覚で確認すると素早く湯煎を外して更に混ぜる。滑らかに色が均一になるまでひたすらに混ぜる。

ハンドミキサーなんてもんはこの家に無い。腕力でひたすらに掻き混ぜる。

こういう時ばかりは、筋肉が付いた太すぎる腕にも有り余る体力にも感謝である。

こういう単純作業は無心になれるとよう言われるが、私の場合は思考に浸りがちになる。

久しぶりにケーキを作ろうとした理由を思い返す。

後輩を祝うためだ。

3つだか4つだか下の、去年の配置転換から同じ部署で働くようになった、それなりにミスもするがそれなりに優秀で、ごく平凡な同僚を祝うためだ。

「そうだ、私、結婚式したんですよ!」

昨日。金曜の夕方。終業後に彼女から告げられた。

エレベーターの中でたまたま一緒になり、突然の告白だった。

さよならの挨拶でもするように軽く告げられた祝報に些か戸惑いながらも、おめでとうと伝えた。

入籍は?相手は?

そんな疑問が浮かんだのだが、業務報告だと身構えていて頭が切り替わらずに言葉が口から出てこない。

「会社の人たちにはまだ秘密なんですが、先輩にならいいと思ってお伝えしました!」

もしも気になるのであれば画像をFacebookに載せてあるので見てください、そう淡々と用件だけ告げて、ロクな会話もせずに彼女は早々に帰って行った。

帰宅後、Facebookに早速ログインをした。

昔々に人付き合いでアカウントを作るだけ作って何年も使用せずにいたSNSがここで活かされるのだ。

確か、大学在学中に作成したはずだ。だから繋がっている人も学友が多い。というか学友しかいない。誰しも頻繁に更新はしてないが、なんだか誰もが幸せそうで充実した様子だ。

自分は1度も更新した記憶が無い。アカウントを作ってから画面を開いた記憶が殆どない。

私と違ってみんなマメだ。あまりSNSが向いていない性分なのだろう。

あまり会えていない友人たちの様子を伺い知ることが出来て、なかなかに興味深い。

旧友の近況に一通り目を通した後、検索画面を開く。

検索。

SNSは使わないが、会社で使われているポータルサイトは当然使いこなせるし同じ要領で検索すれば、すぐに見つかる。

彼女の本名を打ち込む。

検索結果は同姓同名が複数ヒットしたが、結婚式の写真を直近で載せていたのは1人だけだった。

ウェディングドレス姿の女性が2人写っていた。

仲良く手を繋いだ女性2人の写真だ。

顔は敢えて写さないように載せられたその写真でも、毎日会社で見慣れた背格好で彼女と断定するのは簡単だった。

その写真を初めて見た時の感覚は、どれが正解だったのだろう。


泡立て器を持つ腕が止まる。

ハンドミキサーが無くても、この太腕が在れば大丈夫だ。

そうやって強がってみたものの、疲れる時は疲れる。

自動ハンドミキサーが欲しくなるがそんなもんは無い。

ボウルの内を撫でるように泡だて器を添わせて生地をすくい上げた。

色も白っぽくなってきたし、もう少し混ぜて、粉物と牛乳とバターを合わせれば終わりは近い。

再び生地を混ぜる作業に取り掛かる。


何故、俺に言ったんだろうか?

聞いた方がいいのかもしれないが、さして興味も無い。

こういう無頓着なところが理由だろうか。答えを聞く気もないのでわからない。

仕事中は私と言うよう努めた結果、常態化して私生活でも抜けにくいのだが、俺と自称するなんて…思考が内へ内へ入っているのかもしれない。


彼女の姿を見てやはり驚いた。相手の姿を見ても、やはり驚いた。

彼女は仕事だけの相手だ。それ以外なんの興味も無い。

彼女にも、彼女の私生活に殆ど興味が無い俺でさえ驚いたのだ。

俺は元々他人の生活に興味がない。あれやこれやと詮索されるのがむず痒い。だから、あまり他人に関して詮索をしたくないというだけなのだ。

大多数はそうではないだろう。むず痒さなど、感じていない、それを抱えながらも関りを強く持とうとする。

そういった人たちは、どう反応するのだろうか。

俺よりも強く驚くのだろうか。

それとも、あっさりと受け入れられるのだろうか?

もしかしたら強く否定すらするかもしれない。


誰しもが、先入観に囚われている。『こうあるべき』という先入観。

俺もそう。きっと彼女だってそうだ。

だから隠してしまうことがある。

だから、隠していたのだろう。


俺のガタイを見てみろよ。プロレスラーみたいじゃねえか。明らかに格闘技経験者な見目である。人を殴ったことなんか一回も無いのに、喧嘩強そうですねとか、スポーツ何かされてるんですか?と聞かれる。

中学は野球部だったが幽霊部員だし、高校なんて帰宅部だ。帰宅部だったのに発育ばかり良くてこんなになってしまっただけだ。

やっていたことなんて、家でお菓子を作っていたぐらい。焼き菓子から練り菓子までもう色々作っていた。作っては食べていた。

この見た目を作り上げた中身は相反して強くも暴力的でもなんとも無いお菓子なのだ。

それなのに見ればスポーツだのなんだのと言われて煩わしい。

高校時代に、作りすぎて余ったクッキーを学校に持って行って食べていた。

友人が目敏く見つけて、手作りのクッキーは誰から貰ったんだ誰が作ったんだとしつこく聞いてきた。

面倒くさいのでけんもほろろに流していたのだが、この言葉だけ耳に残って取れなかった。

万が一、お前がこれ作ってたら気持ちわりぃな。

戯れの一種だったのだ。さして悪意ある言葉でも無い。

それでも俺は、それ以降お菓子が作れなくなってしまった。


彼女は俺以上に稀有な目に晒されているんじゃ無いだろうか。俺みたいに無頓着な奴にすら違和感をぶつけられる。

ともすれば、もっと人をよく見よう知ろうとする誰かに質問責めにされたり勝手な感情をぶつけられたりすることだって多いのではないか。

そういうことに以前より寛容な世の中になったとはいえ、変わらない変えられないことも多い。

思い込みはなかなか捨てられない。


思慮にふける間も勤勉に動き続けた手のおかげでいい感じに生地が混ざった。更に粉物とバターを追加する。

僅かに粉がボールの外にこぼれた。後で片付けよう。

確か、ここからはゆっくり掻き混ぜるんだ。


写真に写る彼女の姿を見て、何故だかお菓子が作りたくなった。

感化されたのだろう。理由は色々付けられる。色々と、ごちゃごちゃと付けられる。

でも、俺はそれをしたくないと思った。

俺の行動に理由なんてない。シンプルにお菓子が作りたくなったから作っているだけだ。


お祝いとして受け取って欲しいと思わなかったと言えば嘘にはなるが本日は土曜日。次の出社日は月曜日。

それまでに無添加のケーキは傷んでしまって誰かに渡せるような代物でもない。

彼女を理由にしてケーキを作り始めたのではない。

これは俺が俺のために作る、俺が食べたいから作るケーキなのだ。


あ。オーブンを温めておくのを失念していた。

久しく作っていないと、やっぱり忘れてしまうことも多いようだ。

電子レンジ兼オーブン、通称オーブンレンジの愛機を操作する。

いつもスーパーのお惣菜ばかり温めているコイツがケーキを焼けるのか不安ではあるのだが、そこは機能性を信じるしかない。

どれぐらい待てばいいのだろうか。10分ぐらいか。

ゆっくり熱を帯びるレンジを見つめる。ガラス製の窓から何も入っていない真っ暗な電子レンジ内を暫く見つめる。

レシピを確認しないと決めたのだが、オーブンを温めておくのすら忘れてしまっていたのならば他の工程も忘れている可能性がある。

スポンジをダメにしてしまうのは嫌だ。生地を作り直すのは御免だ。確認しよう。

ズボンのポケットからスマホを取り出して画面を見る。Facebookの画面が開かれていたままで、彼女達の姿が目に入った。

微笑ましい。

それでいいじゃないか。

そういえば。月曜日に彼女に会ったらなんと伝えればいいのだろうか。見たよとだけ言うのは素っ気ないだろうか。

もう少し気に掛けた言葉を伝えるべきかどうか。どうしたらいいのだろう。こういうパターンは初めてだからわからない。

まあ、会った時に考えよう。多分、見たよとかおめでとうぐらいしか伝えられないけれど。

ああ、いいことを思いついた。

このケーキが無事に出来上がったら写真を撮ってFacebookに載せてみよう。

そして彼女に友達申請をしてみよう。


彼女とは比べ物にならないほどしょうもないしどうでもいい知らせだ。知人の知らせとも比較してもどうしようもないぐらいどうでもいい知らせだ。

それでも俺はケーキの写真を載せたかった。

ケーキを作りました、とコメントを併せて。


俺は作りたいから作ったんだ。

それだけでいいんじゃないだろうか。





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