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03

 重たげなまぶたをすっと閉じた。

 言葉を待ったが、なかなか続かなかったのでそのまま眠ってしまったのかと思った時、厚ぼったい唇のうごくのをやっと見た。


「師が持っていた竹明たいまつ火影ほかげが、洞窟の壁面で、大きく震えていたのを憶えている」


 まぶたがひらき、流れていく煉瓦道れんがみちへ目をやった。


「わしも、二人に同行した。家に置いて行かれたら、独りで留守番になってしまうからの。弟子入りをする十年以上前にルイメレクは奥様を亡くされていて、子もなかったから、わしのことを実の子のように扱ってくれててなあ。厳しい師であったが、本当の親子のようにな。わしの歩みの肝心は、白髪の老魔法使いの背中をひたすら追うことだった。だからわしは、どんなに道が険しくても、泣かない約束をした」


 おれは、ふと思った。

 ミラチエーゲ・ルイメレクと、カユ・サリアタ。

 カユ・サリアタと、アラマルグ・バレストランド。

 なんとなく頷いて、樹海の魔法使いを見た。


「ルイメレク様は、看破かんぱされたのですか?」


 問うと、こちらへ顔を向け、頷いた。


「しばらく黙々と観察したあとで、言った。これは、先史文明の原動機かもしれないと」


「蒸気機関をご存知だった」


「だが、詳しくはわかっていなかった。若い時分に職能を修める過程で少しかじったことがあると話していたが、原理も構造も疎憶うろおぼえだった。かろうじて存在は知っている。そんな感じだったな」


 疎憶うろおぼえであっても、百年前の時点であれを見て蒸気機関と見抜いたのは、素晴らしい。


「聞いた瞬間のドレスンは……興奮気味の師とは反対に、なんとも複雑な表情をしていたよ。おのれの人選に間違いがなかったこと、発見物の価値を知る手がかりが得られたことには満足していたようだったが、いちばんの問題がな。探検家の仲間うちで叩き合う冗談口が、現実になったと言って苦笑いを浮かべてた。ご先祖の落とし物ってのは、もう長いこと見つかっていないのだろう? 本人もまさかと思ったようだ」


「はい。届け出の記録は確か、紀元一〇〇年辺りが最後です。それまでに上がった報告はほとんどが文献で、わずかに遺物もありますが、腕時計や装身具などの身の回りの小物。蒸気機関のような大物の現存は、前代未聞です」


 先史遺産は漏れなく公文書館に帰属し、それらの発見物は例外なく、ご先祖の遺失物として扱われる。

 発見者には相応の謝礼金が支払われる規定となっているが、要は落とし物を拾って届けたのと同義なので、資源情報の報奨金に比べると微々たる額なのだった。

 過去に届け出られた未発見の先史遺産の大半は文献であり、あの蒸気機関の現存報告がなされていたら多くの識者しきしゃが色めき立つ大発見となったろうが、ご先祖の遺失物であることには、変わりない。

 その点を中央議会がどのように判断し、いかほどの謝礼金を提示するか、おれにも見当がつかなかった。


「まあ、その前代未聞の落とし物が、発見から百年後の今も、森のなかで沈黙しておるわけだ。届け出なかった理由については、始めとあととでは、意味合いがだいぶ違ってくるのだが……。始めの頃は、師の入れ知恵だった。あれをロヴリアンスが知ったら間違いなく、役人と学者が出張でばってくる。そうなったらもう一般人は近づけなくなると考えたようだ。蒸気機関という異世界の原動機を前にして、機械屋の食指しょくしがうずうずしてたからのう。それでドレスンに言ったのよ。この物体は、金属で造られている。まるごと公文書館へ放り投げて見返りの駄賃を期待するより、これをあなたが秘匿し、こっそり解体し、資源として報告したほうが、ずっと儲けが多くなるぞと囁いて、にやり。そのときの師は、とっても悪い顔してました」


 おれは膝を詰めた。


「質問があります。発見時点の蒸気機関の状態は、現在の部品が欠けた状態では、なかった」


「そうだ。話したとおりだ」


「解体前の蒸気機関をご覧になって、ルイメレク様は、なにかおっしゃってはおられませんでしたか? つまり、回転運動を作業動力に変換する、なんらかの装置。それがわかれば、配備の目的の推測が立つかもしれません」


 訊ねると、氏はおれを、じっと見つめたのだった。

 意味深長な眼差しだった。

 そうして、やがて――。

 こくりと頷いた。


「ただ、先に断っておこう。決定的な証拠があったわけではない。あくまで想像の話しだ。確かなところは、なにも判っておらん。……だが実はわしらもな、あの蒸気機関は、実際に働いていた可能性が高いと、考えておった」


 背筋がぴんと伸びあがった。


「あれの発見から、何年も経ってのちだ。ルイメレクがある日、こんなことを話したのよ。おまえさんの指摘のとおり、分解する前の蒸気機関には、からくり装置が付いていたそうだ。なんでも、複数の歯車を組み合わせて、回転を速める仕組みのものだったらしい。だから動力の受け手はおそらく作業に、高速回転を必要とするものだったはずだと言ってな。それでルイメレクは、蒸気機関の用途を、電気の生産と予想した」


「……え?」


 おれは面食らった。


「電気を作る機械をうごかすには、磁石の回転が不可欠なんだろう?」


 ご先祖の発電機の原理は、電磁誘導。

 金属の細い線を螺旋状に巻いて発条ばねのような形にした電気伝導体のそばで、磁石の両磁極を回転させると、磁場の変化により電気伝導体に付帯する電気粒子も変動し、そこに電気粒子の位置の差――電圧が生じ、電流が発生する。


「それを自分で作ろうとして、調べていくうちに、気づいたようだ。先史人類の利器の大半は、電気がなければ使い物にならなかった。それも大量に消費した。その供給のための動力源だったのかもしれないとな」


 唖然となった。

 ルイメレクは、なにを言い出すのか。

 その推測を事実としたら、先史文明の発電機も、あの場に存在していたことになってしまう。

 のみならず発電機に従属する機器類もだ。

 それを裏付ける証拠はないとの前置きは、あったが。

 の魔法使いは、発電機の再現実験を試みていた。

 その作動原理を学んだことで、蒸気機関の出力から、発電動力に察しが及んだ。

 発想の道理は通っている。

 確かに通っては、いるのだが、しかし……。

 なんか、変だ。

 どうしてルイメレクは、そのような発言を。

 存在しない利器を前提に、なぜ、発電機に言及を。

 思考が飛躍してないか。

 決定的な証拠のない状況で、蒸気機関と発電機とを結びつけるには、双方の橋渡しとなるなんらかの根拠がなければ、不自然のように思える。

 おれはすぐにその点を――ルイメレクの発言の違和感を口にした。

 すると氏が、ぷっと吹きだした。


「もうな、おまえさん」


 相好そうごうを崩し、笑い声をあげた。


「自分では気づいてないかもしらんが。さっきから顔付きが、あぶないんだ。じいっと睨みつけるような三白眼さんぱくがんで。ときどき急に、薄ら笑いを浮かべたりするし」


 思わず顔面を両手で撫でる。


「わが師も、関心事かんしんじに食いついたとき、似たようなつらをしとったなあと思ってな。なんだか可笑おかしくなった。けれども、そのつらはよく響くつらだ」


 言って破顔はがんした表情をにわかに真顔に戻すと、まっすぐにおれを見た。


「まさに、そこよ。そこのところが、前代未聞の発見を、ロヴリアンスに告げなかったあとの理由。始めとあととで意味合いが、がらりと変わってしまった理由だ」


 その時だった。

 チャルがわれらへ呼びかけた。


「曲がります。なにかにつかまってください」


 二頭のき声とともに荷台が前後にがたがた揺れた。

 速度を落としつつ獣車ししぐるま煉瓦道れんがみちを右折し、雑木林のなかを通る平坦な土の道に入った。

 ビルヴァへの経路から外れた――。


「見つかってもいない電気の機械に、ルイメレクが言い及んだ根拠」


 車輪の跡に立っていく、土煙つちけむりを見やりながら。


「その根拠が眠る場所に、この車は今、向かっておる。ご先祖の手帳だ」


 はっと息をのんだ。


「師が持っていた竹明たいまつの炎が、洞窟の奥の暗がりを照らしたときだった。隅の地面に、ぼろぼろの布切れが落ちてあることに、ルイメレクが気づいたんだ。その前にかがんでわしに竹明たいまつを手渡すと、師が両手で、ゆっくりと布切れを持ちあげた。わしらも脇から覗き込んだ。するとその下に……。装丁は整っていても、ぼろぼろに朽ちた、一冊の手帳が」


 そうだったのか。

 ご先祖の手帳も、あの洞窟の中にあったのか。

 それで合点がいった。

 ルイメレクが読み解いたその手帳の中に、ご先祖が、電気を消費したと思われるなんらかの行動が、書かれてあったのだ。

 その記述から、同空間にあった蒸気機関の存在理由を求めた推測が、発電機の動力源。

 と、言うことは……。

 あの洞窟に蒸気機関を構築したご先祖は、先史文明の魔法のような電気機器を、所持していた……?


 呆然となって、目の前で欠伸あくびをしている魔法使いを見つめると、その視線に釣られ、おれも木々の狭間に空を見あげた。

 陽はだいぶ東へ傾いて、深めの昼下がりにあった。

 もうもなく、夕刻に差しかかる。


「二時間ほどで着くだろう。それまで、休んでおくか」


 疲れたように小声で言って、荷台にごろんと寝転んだ。

 積み荷がなくなる帰路は、象擬ぞうもどきたちの脚も速くなると、聞いていたが。

 暮れなずむときの長い夏の一日いちじつでも、村屋むらやの門戸をくぐるのは、やはり日没後になりそうだ。

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