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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
百年後の点景
90/205

06

 店を出たセナ魔法使いが、有り難うと小声で言った。

 その手が持っているのは一本の組紐だけで、花模様の髪留めは、髪につけたままだった。

 普段の髪形に戻った彼女だが、さっきよりも雰囲気が明るく感じるのは、気のせいではないと思う。


 魔法使いの実年齢は、傍目はためではまったくわからない。

 ただ、おれの言葉に対し、彼女があらわにした幾度いくたびかの反応は、洗練された婦人のそれでは、ないような気がした。

 二十歳はたち前後の姿そのまま、まるで少女のようだった。

 確かなところは聞けないが、仮に、酸いも甘いも知り分けた過去がその達観した人格を形成した元だったとしても、自身に関わることで男に依存するという経験は、少ないのかもしれない。


 まあ、それは、ともあれ。

 彼女には、感謝してもしきれない恩があった。

 ようやく一つ、恩返しが叶ったのなら、よいのだが。




 小一時間ほど離れていた駐車場に戻ると、宿場しゅくばの役人はまだ来ておらず、サリアタ氏とバレストランド魔法使いはすでに帰ってきていた。

 無事にがったと聞いて、色々な意味で安堵した。


「フロリダス殿。なんかすまんのう、あの髪飾り。余計な払いをさせてしまったようだな」


「いえ、余計などでは。かねがね言葉の礼だけでは、足りないと考えていたところでした」


「お陰でな。あれにしては珍しく、すこぶる上機嫌だ」


 そう言って、にたり笑うと氏は離れ、セナ魔法使いに声をかけた。

 アラム少年が象擬ぞうもどきたちの真ん前で、ぴいぴいと高い音の鳴る棒を振りまわして遊んでいた。

 それはなにか訊ねると、ホトトギスと呼ばれるメイバドルの土産物みやげものらしく、棒の先端から垂れる糸の先に厚紙で作られた鳥の模型が付いていて、それを回転させることでさえずりに似た音を発する仕組みの玩具であった。

 サリアタ氏に買ってもらったのかと思ったら違った。

 神社からの帰途、お昼通りを通った際に天ぷら屋の眼鏡男とまた会って、店の客が置いていった射的屋の懸賞品をいらないからとくれたのだと言う。

 くれた人物のことはやはり気に入ってない口振りだったが、もらったものは、そこそこ気に入ったようである。


 若い男が二輪牽引車にりんけんいんしゃいて来て、年嵩としかさの男が帳面を持っていないほうの手で、チャルと握手をした。

 ようやく宿場の役人があらわれた。

 詫びを口にしながらわれらにも挨拶し、積み荷を一渡ひとわたり確かめると、彼らは早速、査定に入った。


 おれは後尾の荷車の上で、買った品々を整理した。

 一つ一つ改めて背嚢はいのうに収めなおしていると、近づいてきたぴいぴい音が、ボンボンを食べたいと言う。

 十個しか買えなかったから、ゾミナ夫人への土産みやげはチャルのぶんも含めて五個とし、あとの五個をサリアタ氏とセナ魔法使いが一個、マルセマルスカス氏に持ち帰るぶんが一個、よって君の取りぶんは二個であると伝えると、彼が先生のぶんはと聞いたので、贈り主は勘定に入れないとおれは答えた。

 口をもごもごさせながらぴいぴい音が離れてすぐ、アラム静かにして頂戴ちょうだいと優しく叱ったセナ魔法使いはチャルの隣に立っていた。

 役人たちの応対をする彼の傍らで、垂布をかけたままではあるが査定作業を見つめるその目元は、あきらかに微笑んでいた。

 そんな彼女のやわらかな視線を難しい顔の役人たちもちらちら意識している様子であり、その状況を眺めていたサリアタ氏がにやにやしながら寄ってきて、小声で。


「いつもより高く売れるかもな」


 言ったので、おれは苦笑した。


「用足しは、もう、ぜんぶ済んだのか?」


 はいと応えると氏は頷き、荷台の隅を指し示した。

 そこには氏の段袋だんぶくろが置いてあった。


「わしの用事も終わったよ。積み荷が片づき次第、出発だ。たいして時間はかからんだろうが……。それまで、ちょっと、町を歩かないか?」


 にわかに緊張した。

 この町行きの目的――雨上がりの日の約束が、いよいよ目前に迫っての誘いだった。

 荷台からただちに降りると、氏が三人に、日暮れ通りに行ってくると告げた。

 ぼくも行くと顔を向けたアラム少年をセナ魔法使いが即座にひっつかみ、制止した。

 サリアタ氏が微笑んだ。


「バレストランド。帰り支度が整ったら、呼びに来ておくれ。最後に、水飴みずあめを買ってやろう」


 そう言い置くと、おれを伴って、駐車場を出た。




「町の人たちに迷惑をかけてしまったよ。抜かったわ」


 広場の片隅で歩みをとめ、時計塔を見あげながら氏が苦笑いを浮かべた。

 鐘の一件だ。


「とっとと神社に連れてってしまうべきだった。わしの落ち度だ。まさか、衛者えいじゃが鐘を鳴らすとは思わんかった」


 え?

 衛者えいじゃが鐘を?

 聞き間違えと思い、すぐに訊ね返すと。


「もちろん、鐘を鳴らしたのは、わしらを追ってきた魔女の霊だがな。しかし、先方さんがそんな行動を取れたのは、衛者えいじゃが、相手を掣肘せいちゅうしなかったからなんだよ。魔女の霊が鐘を鳴らす目算もくさんで、わざと束縛をゆるめたんだ」


 聞き間違えではなかった。


「どうも、彼らは彼らで、なにやら厄介事をかかえておったようだな。その渦中に、目の色が変わった霊が現れたもんだから、あれを町に引き込んだ者を特定しようとしたようだ。わしらはちからを隠しておったからなあ」


 だんだら模様の毛織帽子を、ぐいっとおろした。


「魔女の霊は鐘を使ってわしらをあぶり出そうとしたわけだが、衛者えいじゃはその霊を使って、わしらをあぶり出そうとしたのよ。それで、ちからを漏らしたバレストランドが見つかって、自分らの案件とは無関係とわかり、警戒を解いたと。内実は、そんなところだろう」


 ため息しか出なかった。

 おれには及ばぬところで、そんな内幕があったとは。


「おまえさんも会ったと思うが。わしも神社の帰りに、初めて会ったんだがね。バレストランドにあのやかましい玩具をくれた色男。あの男は衛者えいじゃだよ。ちからを隠しておったが、間違いない」


 聞いて、合点した。

 アラム少年に声をかけてきた、眼鏡をかけた天ぷら屋の店員――その物言いには、少し違和感があったのだ。

 彼が魔法使いであり、時計塔に潜む魔女の霊を承知のうえでの発言となれば、納得である。


「なるほど」


「ちからの強さから考えると、この町の衛者えいじゃたちの筆頭だろうな。凄腕揃いの魔法使いを率いている男だよたぶん。切れ者の雰囲気があったわ。ただ、ちょっと女には、だらしなさそうだったがなあ」


 ちらりとおれを見て、笑いながら、踏み出した。

 英雄、色を好むと謂う。

 目的(まっと)うのためならば、手段を選ばない性質の人間のようであったが、命懸けの役目を負う者に対しては、なにも言えない。




 日暮れ通りに入って真っ先に目についたのは、酒場の派手やかな看板であった。

 飲食店がのきつらねるお昼通りと似たような様子だが、やがて見えてきたのは木造の立派な劇場で、道脇には多くの屋台が立っており、射的屋やふだ遊びなどの賭け事を行う遊戯場もちらほらあって、比較的に繁華街の色合いが濃い。

 ところどころ酔客すいきゃくの賑やかなその日暮れ通りを、サリアタ氏は黙々と歩いていた。

 足取りに迷いがなく、いったいどこに向かっているのだろうかと思いながらついていくと、石橋を越えた辺りから軒並みの様相は徐々に落ち着いてきて、商店よりも住宅のほうが多くなった。

 高く突き出た煙突から煙りのたなびく公衆浴場の門前を過ぎたところで、やっと氏が口をひらいた。


影道かげみちの店構えも、住人の顔ぶれも、すっかり変わった。変わらないのは塔だけだ」


 こちらを一瞥いちべつし、くすりと笑う。


「わしはなあ、フロリダス殿。十歳くらいの頃まで、この町に住んでいたんだよ」


「えっ。あ、そうなんですか」


 驚いて応えると、うむと頷いた。


「実を言えばな、わしにとってミラチエーゲ・ルイメレクは、六人目の師匠なんだ。最初の師となった魔法使いに預けられたのが、七歳のとき。だが、わしのちからをもてあまし、それから転々とたらいまわしにされてな。六人目でようやく、ルイメレクと出会った。その魔法使いの住所が、日暮れ通り二五二番地。このメイバドルだったのよ」


 言葉を耳にし、足の向く先を察した。

 一歩ごと、心臓が高鳴った。

 まもなく。


「建て替えられて、建物は違うがな」


 歩みがとまり、町角に立った氏が控えめに、指差した。


「あの花屋の一画が、日暮れ通り二五二番地だ」


 素朴な二階家にかいやの狭間に建つ、花やかな平家ひらや店前みせさきだった。


「ルイメレク様の……お住まいがあった場所……」


「めちゃくちゃだったわしのちからを、魔法として扱えるように整えてくれた魔法使いは、からくり職人だった。物作りが好きだったと話したな。ルイメレクは生業なりわいとして、水車に組み込む機構製作をやっておったんだよ。水車の動力で、粉挽こなひきやら紙漉かみすきやらの作業をする歯車の仕組み。それを作る技師だった。看板は出しておらんかったが、人伝ひとづてに聞いた客が、ちょこちょこやってきたよ。忙しくもなく、暇でもなく……。さっき渡った橋の近くに」


 言いながら振り返る。


「昔は、駄菓子を売る店があってな。ときどき、師から小遣いをもらっては、そこまで走って、水飴みずあめを買って、この道を、食べながらてくてく帰った」


 懐かしそうに微笑んで、吐息をついた。


「もう早、百年以上まえのことだ」


 顔を戻した日暮れ通りの彼方から、風にのって聞こえてくる、微かな物音。

 とんとんかんかん規則正しく、機械的な音だった。


「その日も……。水飴を頬張りながら帰ってきた」


 一言一句聞き逃さぬよう、サリアタ氏へ身を向けた。


「するとだ。師の家の玄関脇に、見知らぬ男が立っておった。ちょうどあの女の子が、おる辺りかな」


 花屋の店先に、店員らしい若い女性が出ていて、花々の居住まいをなおしていた。


「客なのか、通行人か、わからずに。しばらく遠目に様子を見た。そうしたら、玄関扉に近づいて片手を持ちあげた。客だとわかった。ところが、持ちあげた手を、そのままおろし、扉を叩かず、離れたんだ。そうしてこっちへ、とぼとぼ歩いてくる。若くはないが老いてもいない。思いつめたような顔してな。歩いてくるんだ。もし、その時……。わしが声をかけなかったら……。まったく。人が織り成すこの世の綾は、不思議だよ」


 呟いて、まっすぐにおれを見た。


「その男の名が、ドレスンだ」


「あっ、見つけたあ」


 不意に背後で大声がした。


「サリアタ様あー。先生えー」


 銀髪の少年が、手を振りながら駆けてくる。


「思ったより早かったなあ。うむ。よし、帰るか。フロリダス殿。話しの続きは、車の上でするとしよう」

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