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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
夫人からの贈り物

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78/222

01

 雑草の蔓延《はびこ》るその出外《ではず》れは、雑木林のようだった。

 こんもりと葉の繁った喬木《きょうぼく》の木立の合間を、短杖を肩にかけ、サリアタ氏が進んでいく。

 セナ魔法使いは長杖を横にし脇に持ち、石突《いしづき》をアラム少年がうしろから支えて歩いていた。

 そのあとを追うおれの目に、段々と、見えてくる。

 枝葉《しよう》の狭間――去りやらぬ夜の名残り。

 朝の西陽に滲《にじ》んでいく、藍色をした東の空だった。

 そこに棚引く煙りの出どころは、白々(しらじら)と明《あか》らみはじめた人里の影。

 そうしてやがて、夜明けを迎える広大なパガン台地が、眼前にひろがった。


 海抜の高い平《たい》らかなその地勢は、見晴《みはる》かす耕作地によって、より顕著であった。

 青葉の一面に広がる畠の彼方は靄《もや》が掛かったように霞《かす》み、北の一画に何軒もの切妻《きりづま》屋根が寄り添うようにたたずんで、出歩く人々の姿が家影《やかげ》に見えた。

 敷地の境であろう丸木を組んだ柵の手前で、魔法使いは足をとめ、ビルヴァの村を見渡す。

 不意に遠くで、獣が大きく一声《ひとこえ》啼《な》いた。

 すると氏が慌てたように。


「ああ、いかんいかん。怯《おび》えさせてしまったかな」


 村の北側から聞こえたその啼き声は象擬《ぞうもどき》のものだった。


「どうにか間に合ったな。それにしても、この景色を肉眼で眺めるのは、本当に久方ぶりだ。うむ、疲れた」


 振り返った。


「町まで、ごとごと揺られながら、ひと眠りにするかな」


 もうすでに眠っているような目をして微笑み、柵沿いに北へ向かって、とぼとぼ歩きはじめた時だった。


「サリアタ様あっ」


 今度は野太《のぶと》い大声が飛んできた。

 目を向けると、畠の畝《うね》から畝へと渡りつつ、こちらへ駆けてくる大柄の男が一人。

 ものすごい勢いで近づいて、われらの前に立ったと思う間《ま》もなくその場にうずくまり、顔だけをもたげて何度も辞儀をした。

 愛嬌のある面立ちをした、体格の立派な青年だったが。

 息切れて、まともに言葉が出ない様子。


「おう、チャルか。お早う。元気そうでなにより」


 ぜえぜえ息を整えながらぺこんと頭を下げる。


「お早うございますう。無沙汰をしておりますう」


「皆も息災かね」


 笑顔でこくこく頷きながら。


「お待ちしておりました。サリアタ様のじゃがいもは、もう、ぜんぶ積んであります」


「いつもすまんのう。こたびは喋る荷物も追加で頼む」


 おれを見て、手招いた。


「この元気な若者はな、村長の次男坊で、名はチャル・クランチ。出荷の御者《ぎょしゃ》につく。こちらはわしの客人。マテワト・フロリダス殿だ」


 柵越しに握手を交わした。


「サリアタが参ったと、ナグジに伝えておくれ」


「父はただ今、お務めのほうに行っておりまして。さっき出たばかりですが。すぐに戻ると言っていたので。すぐに戻ると思います」


 氏に向かって答えていたが、彼の視線はちらちらと、おれの背後へ移ろった。

 そこには、セナ魔法使いが立っていた。


「ならば待つとしよう。うちのはもう起きとるのかな?」


「あ、はい。メソルデが朝食を運んでいたので、お目覚めかと。お知らせしてまいります」


 勢いよく走り出した彼が、また勢いよく戻ってきた。


「食事の用意をしてありますから。村屋《むらや》のほうにいらしてください」


 そうして今度こそ、走り去った。

 実直そうな、好感のもてる青年である。




 彼のにぎやかな振る舞いで、われらに気づいたらしい村の人々が、家屋の傍らで手を振っていた。

 それに気づいて氏も、短杖を持った手を振り返す。


 村長の息子であるチャルの言動が示したのは、樹海に住まう老魔法使いに対する、ビルヴァの村の評価。

 深い敬意が窺えた。

 そういえば、ゾミナ様。

 サリアタ氏の奥様が、この村でお暮らしと聞いた。

 そのあたりのつながりが、関係しているのだろうか。


 柵沿いを歩き出して、氏が。


「フロリダス殿。実はなあ。おまえさんに、まだ、申しておらんことが、あってな」


 あらたまったような口調で言う。


「わしが原因のことでもあるし、余計なことを口にして困惑させるのもどうかと思って、様子を見ていたんだが。まあ、そんなこんなで、ここまで言いそびれた。唐突な話しになってしまって申しわけないんだが……。この村にな、おまえさんに会わせたい者が、一人おるんだ」


「もしや。奥様ですか?」


 応えると、きょとんとした顔が、見返した。


「……話したっけ?」


 マルセマルスカス氏からお名前だけ伺ったと伝えると、そうだったのかと苦笑した。


「うむ。まあ、そのとおりだ。ゾミナは、わしの連れ合いで、もう長いこと……。別居になった事情については、まあ。察していただけると、助かります」


 背後で、くすくす笑う声がした。


「こたびのわしの真意は、ゾミナも、承知しとる。同行するおまえさんのこともな。石についての細かな内情までは話しとらんが、来訪の経緯《いきさつ》と職掌《しょくしょう》については、すでに通してあるんだ。それで、おまえさんに会いたがっとってなあ。心配しとると言うべきか」


「え? 心配ですか?」


「うむ。ここのことでな」


 自分のおでこを指先で叩いてから、おれを指差した。


「このあいだ、畠の中で話しをしたとき。おもちゃ箱から出てくる坊を見とったろ。あのときはわしが傍《そば》におったからだが、あのあと、わしが近くにおらんでも、坊の姿を何度か見とるな。ぼんやりと、かもしらんが」


 翻訳作業の日々の雨間《あめま》、一軒家の軒先に立っていた半透明の氏の人影。

 その前にも、川原の風呂場へ出向いた際。

 姿を直接に見たわけではないが、荒川の水飛沫《みずしぶき》が散って描いた氏の水影。

 おれは頷いた。


「どちらかと言えばおまえさんは、常人のなかでも鈍感の部類だが、それでも、わしらのような人種に囲まれておってはの。ゆっくり眠ってはおれまいよ」


 魔法使いが、言わんとするところ。


「それは、つまり……」


「おでこの目が、開《ひら》きはじめとる」


 やはり。


「今はまだ薄目を開《あ》けてる状態だがな。それで見えたり、見えなかったり」


「フロリダス先生が魔法使いになるの?」


 アラム少年が顔を突きだし、なぜか嬉しそうに言う。


「いや、それはない。後天的な覚醒は、そこまで深く目醒めることはない。ただな、わしらが普段、見ている世界を、覗き見る程度には開《ひら》いてしまうだろう。マテワト・フロリダスの今後を考えると、それはいかがなものかと思ってな。おまえさんには言わずに、黙って閉じてしまおうと考えておったのだが、リリに止められてなあ。閉じる前に問うべきだと。それもそうかと思いなおして、ゾミナに相談したのよ。そういう方面に関しては、わしよりも上手だもんだから」


「奥様も魔法使い」


 呟くと、氏は頷いた。


「まあ、そんなわけでな。事《こと》のついでに、ゾミナに会ってほしいんだ。急な話しで、申しわけないが」


「いえ。わかりました」


 話しの主旨は、急な話しでも、ないのだった。

 現状のままなら遠からず、かく申された状態になるのではと、薄々に感じていたことである。

 それが現実の問題として今、投げかけられた。

 魔法使いが見ている世界を、垣間見る。

 おれには想像の絶する世界を。

 われながら、本当に呆れるところである。

 好奇心がもたげていた。

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