01
雑草の蔓延るその出外れは、雑木林のようだった。
こんもりと葉の繁った喬木の木立の合間を、短杖を肩にかけ、サリアタ氏が進んでいく。
セナ魔法使いは長杖を横にし脇に持ち、石突をアラム少年がうしろから支えて歩いていた。
そのあとを追うおれの目に、段々と、見えてくる。
枝葉の狭間――去りやらぬ夜の名残り。
朝の西陽に滲んでいく、藍色をした東の空だった。
そこに棚引く煙りの出どころは、白々と明らみはじめた人里の影。
そうしてやがて、夜明けを迎える広大なパガン台地が、眼前にひろがった。
海抜の高い平らかなその地勢は、見晴かす耕作地によって、より顕著であった。
青葉の一面に広がる畠の彼方は靄が掛かったように霞み、北の一画に何軒もの切妻屋根が寄り添うようにたたずんで、出歩く人々の姿が家影に見えた。
敷地の境であろう丸木を組んだ柵の手前で、魔法使いは足をとめ、ビルヴァの村を見渡す。
不意に遠くで、獣が大きく一声啼いた。
すると氏が慌てたように。
「ああ、いかんいかん。怯えさせてしまったかな」
村の北側から聞こえたその啼き声は象擬のものだった。
「どうにか間に合ったな。それにしても、この景色を肉眼で眺めるのは、本当に久方ぶりだ。うむ、疲れた」
振り返った。
「町まで、ごとごと揺られながら、ひと眠りにするかな」
もうすでに眠っているような目をして微笑み、柵沿いに北へ向かって、とぼとぼ歩きはじめた時だった。
「サリアタ様あっ」
今度は野太い大声が飛んできた。
目を向けると、畠の畝から畝へと渡りつつ、こちらへ駆けてくる大柄の男が一人。
ものすごい勢いで近づいて、われらの前に立ったと思う間もなくその場にうずくまり、顔だけをもたげて何度も辞儀をした。
愛嬌のある面立ちをした、体格の立派な青年だったが。
息切れて、まともに言葉が出ない様子。
「おう、チャルか。お早う。元気そうでなにより」
ぜえぜえ息を整えながらぺこんと頭を下げる。
「お早うございますう。無沙汰をしておりますう」
「皆も息災かね」
笑顔でこくこく頷きながら。
「お待ちしておりました。サリアタ様のじゃがいもは、もう、ぜんぶ積んであります」
「いつもすまんのう。こたびは喋る荷物も追加で頼む」
おれを見て、手招いた。
「この元気な若者はな、村長の次男坊で、名はチャル・クランチ。出荷の御者につく。こちらはわしの客人。マテワト・フロリダス殿だ」
柵越しに握手を交わした。
「サリアタが参ったと、ナグジに伝えておくれ」
「父はただ今、お務めのほうに行っておりまして。さっき出たばかりですが。すぐに戻ると言っていたので。すぐに戻ると思います」
氏に向かって答えていたが、彼の視線はちらちらと、おれの背後へ移ろった。
そこには、セナ魔法使いが立っていた。
「ならば待つとしよう。うちのはもう起きとるのかな?」
「あ、はい。メソルデが朝食を運んでいたので、お目覚めかと。お知らせしてまいります」
勢いよく走り出した彼が、また勢いよく戻ってきた。
「食事の用意をしてありますから。村屋のほうにいらしてください」
そうして今度こそ、走り去った。
実直そうな、好感のもてる青年である。
彼のにぎやかな振る舞いで、われらに気づいたらしい村の人々が、家屋の傍らで手を振っていた。
それに気づいて氏も、短杖を持った手を振り返す。
村長の息子であるチャルの言動が示したのは、樹海に住まう老魔法使いに対する、ビルヴァの村の評価。
深い敬意が窺えた。
そういえば、ゾミナ様。
サリアタ氏の奥様が、この村でお暮らしと聞いた。
そのあたりのつながりが、関係しているのだろうか。
柵沿いを歩き出して、氏が。
「フロリダス殿。実はなあ。おまえさんに、まだ、申しておらんことが、あってな」
あらたまったような口調で言う。
「わしが原因のことでもあるし、余計なことを口にして困惑させるのもどうかと思って、様子を見ていたんだが。まあ、そんなこんなで、ここまで言いそびれた。唐突な話しになってしまって申しわけないんだが……。この村にな、おまえさんに会わせたい者が、一人おるんだ」
「もしや。奥様ですか?」
応えると、きょとんとした顔が、見返した。
「……話したっけ?」
マルセマルスカス氏からお名前だけ伺ったと伝えると、そうだったのかと苦笑した。
「うむ。まあ、そのとおりだ。ゾミナは、わしの連れ合いで、もう長いこと……。別居になった事情については、まあ。察していただけると、助かります」
背後で、くすくす笑う声がした。
「こたびのわしの真意は、ゾミナも、承知しとる。同行するおまえさんのこともな。石についての細かな内情までは話しとらんが、来訪の経緯と職掌については、すでに通してあるんだ。それで、おまえさんに会いたがっとってなあ。心配しとると言うべきか」
「え? 心配ですか?」
「うむ。ここのことでな」
自分のおでこを指先で叩いてから、おれを指差した。
「このあいだ、畠の中で話しをしたとき。おもちゃ箱から出てくる坊を見とったろ。あのときはわしが傍におったからだが、あのあと、わしが近くにおらんでも、坊の姿を何度か見とるな。ぼんやりと、かもしらんが」
翻訳作業の日々の雨間、一軒家の軒先に立っていた半透明の氏の人影。
その前にも、川原の風呂場へ出向いた際。
姿を直接に見たわけではないが、荒川の水飛沫が散って描いた氏の水影。
おれは頷いた。
「どちらかと言えばおまえさんは、常人のなかでも鈍感の部類だが、それでも、わしらのような人種に囲まれておってはの。ゆっくり眠ってはおれまいよ」
魔法使いが、言わんとするところ。
「それは、つまり……」
「おでこの目が、開きはじめとる」
やはり。
「今はまだ薄目を開けてる状態だがな。それで見えたり、見えなかったり」
「フロリダス先生が魔法使いになるの?」
アラム少年が顔を突きだし、なぜか嬉しそうに言う。
「いや、それはない。後天的な覚醒は、そこまで深く目醒めることはない。ただな、わしらが普段、見ている世界を、覗き見る程度には開いてしまうだろう。マテワト・フロリダスの今後を考えると、それはいかがなものかと思ってな。おまえさんには言わずに、黙って閉じてしまおうと考えておったのだが、リリに止められてなあ。閉じる前に問うべきだと。それもそうかと思いなおして、ゾミナに相談したのよ。そういう方面に関しては、わしよりも上手だもんだから」
「奥様も魔法使い」
呟くと、氏は頷いた。
「まあ、そんなわけでな。事のついでに、ゾミナに会ってほしいんだ。急な話しで、申しわけないが」
「いえ。わかりました」
話しの主旨は、急な話しでも、ないのだった。
現状のままなら遠からず、かく申された状態になるのではと、薄々に感じていたことである。
それが現実の問題として今、投げかけられた。
魔法使いが見ている世界を、垣間見る。
おれには想像の絶する世界を。
われながら、本当に呆れるところである。
好奇心がもたげていた。




