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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
雨上がりに聞く
72/205

03

「龍は、神である。口にするのも(はばか)れるが、人に、神殺しなどできやせん。もし、人に殺される神があったなら、それは、人が造り出した邪神よ。龍は、邪神ではない」


 そこで不意にサリアタ氏が身体を横に傾け、おれの背後へ目をやった。

 アラム少年もうしろを見る。

 釣られて振り返ると、そこに居並ぶ魔法使いたちも振り返り、北に聳える巨山を見あげた。


形代(かたしろ)は残らない」


 氏の声に皆、前を向く。

 なんだか、わからないまま、おれも前を向く。


「形をもって類を成す(ことわり)による願立(がんだ)ては、焚き上げをもって完了となるからだ。その形代(かたしろ)が、残った。焚き上げを行う前に、祈祷を主導した魔法使いの身に、なんらかの問題が起こったってこと。それを無頭の杖の残存に当てはめて推し量れば、その問題とは、呪詛を仕掛けた当人の死……以外にないのだ。神なる存在は、身のほど知らずには容赦がない。ラズマーフの首を()ねた刃が、龍の逆鱗(げきりん)に触れた。たちまち呪詛返しを喰らって死ぬ。ラズマーフを形代(かたしろ)に用いる呪詛は、とりもなおさず自殺行為。禁じ手なのだ」


 拾った一個のじゃがいもを手の内で転がしながら言う。


「その(ことわり)に則った呪詛とた場合。仕掛けた当人は、承知のうえだったと思う。正気の沙汰ではないのだが、ほかにいくらでもやりようがあるなかで、呪詛返しの手順を踏んだことになるからの。呪詛絡みの死ってのはよう。まともな死に方にはならんのよ。そのむごい死をさ、わざわざ選んだことになる。狂人の絶望か、あるいは。時に、そうした行為には、無言の発言が含まれる。おのれの悲惨な死様(しにざま)を曝すことで、誰かに、なにかを訴えようとしたか。……これはだめだな」


 じゃがいもを竹籠の一つに入れた。


「ラズマーフに掛けられた(まじな)いが、(あやか)りの(ことわり)なのか、形をもって類を成す(ことわり)なのか。()いていた存在は杖に関わる二人の人間……呪われたほうか呪ったほう、どっちかの魂であったろうが。わしは現物を()ておらん。いつの時代の人間か、その素性についても、真相は、あきらめるほかない」


 思った。

 サリアタ魔法使いは、千里眼(せんりがん)の使い手。

 そのちからに物理的な距離は関係ない。

 おれは言った。


「わたしがあの杖を失った場所は、山麓の西でした。木々が朽ち果てた土地の引割(ひきわり)。サリアタ様なら、お見通しに」


「それがな。見つからんのだ」


「え……見つからない?」


「リリからその話しを聞いてさ。わしも気になってね。らしい存在感を探知してみたんだが、どこにもおらんのよ。……ああ、ラズマーフ自体はあったよ。断層の底に、逆さまんなって突き刺さっておるのを千里眼でた。おまえさんの雰囲気がわずかに残っておったから、それに間違いない。だが、からっぽなのだ。奈落で逆立ちしておる杖には今、なんも()いとらん。ただの杖になっとる」


「どういうことでしょうか?」


「たぶん……姫様の仕業だろうなあ」


 姫様の?


「山麓の森は、清浄なるちからが充満しておる。自然物はおのずから善の気質を持つから、もとより清らかだったんだが、その気質の偏りが一層に深まったんは、この森に、姫様が誕生されてからだ。あの可愛い女神(おんながみ)様が、森をお散歩されることで、それだけで、場が浄化されていく。(よこしま)な魂がやってきて、森の一部に不潔が生じても、濃密な水準で清潔が保たれる。……器物にとり憑く(たぐ)いってのは、執着心が呆れるほど強い。みずからの意思で離れることは、まず、ないんだ。しかし、離れた。圧倒的なちからが働いたとるべきだろう。つまり無理矢理、引っがされた。そして、消えた。杖に宿っておった魂は……(めっ)せられたと思う」


 最後の言葉を聞いた瞬間。

 ばん、と記憶が脳裡を(よぎ)った。


 どす黒い闇の奥底から、見あげてくる凍えた眼差し。

 怖気(おぞけ)を喚起する、禍々(まがまが)しい瞳が、射抜くように見つめてくる。

 どこからともなくあらわれる、光り。

 寂光(じゃっこう)とでも言うべき、それは凄まじい、容赦のない聖性を(かも)す、まばゆい光り。

 およそ人声(ひとごえ)とは思えぬ、断末魔が(ほとばし)る。

 身の毛のよだつ残響が消え去ると、邪悪な視線は立ち消えた。

 光りが、(ひらめ)く――。


 それは危地を脱した、あとの夜。

 更けゆく森の眠りにみた、不思議な夢の記憶だった。

 半ば茫然となって、こんな夢をみたと、内容を話してみると、サリアタ氏は合点したように何度も頷いた。


「魂が(めっ)せられるってのは、存在そのものが消えるってことだ。天下からも、天上からもな。もはや、生まれ変わることはない。永遠の無に帰す。救いのない結末よ」


 樹海の魔法使いはため息を吐き、うつ向いた。


「森の可愛い姫君は、純粋ゆえに、恐ろしいお方なのだ」


 しばらくのあいだ、静まり返っていた。

 あの杖に宿っていた邪念は、呪われたほうか呪ったほうと、氏は言った。

 呪った加害者ならまだしも、呪われた被害者のほうが、邪念と化してしまう場合もあるのか。

 だとしたら、本当に救いのない結末である。

 (あやま)ちを(つぐな)う道すら永遠に閉ざされる断罪に、酌量が一切なかったのだから――。


 気づくと、魔法使いたちは三々五々(さんさんごご)に散っていた。

 サリアタ氏が、アラム少年に用を頼んで彼も去り、また日陰の下は二人になって、静かな口調で言った。


「おまえさんの心持ちが、健全であったなら、つけ入る隙なんぞなかった。だが例の災難が原因で、心中に大きな空洞ができていた。その空洞に、つけ込まれたのだ。見た目はまっすぐでも、根性の()じ曲がった杖にな。前の持ち主は、宿の女将(おかみ)だったそうだが、その女性も、つけ込まれてしまった一人だったろう。どんなに真っ当な人間でも、淡々と生きていくのは、難儀であろうからのう」


「はい……サリアタ様。ご教授ありがとうございました」


 氏は微笑んで立ちあがり、住居に入っていった。

 前庭の地面には、大量のじゃがいもが転がっていた。

 傍らに置かれている三つの竹籠を見た。

 左の竹籠には、形はまちまちだが大柄のじゃがいもが。

 右の竹籠には小粒のじゃがいもが入っていて、真ん中の竹籠には皮が緑に変色したものや濡れて腐ったような、あきらかに食べられそうにないじゃがいもが放り込まれていた。

 膝元に転がる一個を手に取った。

 食べられそうだったが、微妙な寸法だった。

 このじゃがいもは、左か、右か、どちらに入るじゃがいもだろうかと、考えていると。


「それはぎりぎり左だな」


 出てきたサリアタ氏が、笑顔で言った。


「形がよいので、大目に見てもらおう」


「両端の籠の区別は、なんでしょうか」


 手のじゃがいもを左の竹籠に入れながら訊ねると、氏が三つそれぞれを指し示し。


「左が売り物、右が食用。真ん中は、食えんから土にする」


「売り物ですか?」


「そう。ここで作った野菜や果物の上出来(じょうでき)は毎度、市場(いちば)に出しておるのよ。森を東へ抜けたところに、ビルヴァっていう小さな農村があってね。そこの作物と一緒に、町で売ってもらってるんだ。貨幣獲得の貴重な手段。ああ、そうだった。さっきの件、承知した」


 さっきの件?

 なんだったっけかと、ひそやかに記憶を巡らせていると。


「それで気兼ねをせずに済むのなら、頂戴(ちょうだい)しよう」


 言われ、思い出した。

 印画紙に消費した銀の代価。


「だが、(かね)はいらん。代わりにさ、塩を買ってくれんか」


「え? 塩を買う?」


「森の恵みってやつは、気前はすこぶるよいのだがな。塩だけは、ここでは手に入らんのよ。外から仕入れるしかない。その塩で、帳消しにしよう。どうだ?」


勿論もちろんお望みに従いますが。しかし塩を買うとなりますと」


 町へ出向かなければならない。

 すると氏が、おもちゃ箱を指差した。


「そろそろ直しが必要だった。後作(あとさく)のために農具の修理をしておきたい。外出のついでに、町まで足を伸ばすとしよう。塩はそこで買っておくれ。おまえさん自身も、身の回りで足りない物なんかあるだろう。さしあたっては着替えだなあ」


 呵々(かか)と笑って、空を見あげた。


「太陽が三回昇った日の早朝、村の車が出荷に出る。に合えば便乗できるはずだ。二日寝かせれば森もいくらか落ち着くだろうし、そんでも、わしの足だと山の東まで半日くらいかかっちまう。やむを得ん。明後日(あさって)火灯頃(ひともしごろ)に出発しよう。目的の場所に立ち寄るのは帰り道になるが、おそらく日が暮れていようから、ビルヴァで一泊する。そこで話そう」


 おれは口元を引き結び、低頭した。

 山の東のビルヴァの村から獣車(ししぐるま)の移動で、日帰り可能な距離に位置する町は、知る範囲で二つあった。

 ホズ・レインジの北方に立つ小さなカリノと、ここから東方に立つ大きな――。


「そうと決まったら売り物の抜き出し、急ぐとするか」


「お手伝いします。それで当日、向かう町とは」


 ネルテサス地方で、もっとも古い歴史をもつ文化名所。


「うむ。メイバドルだ」

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