03
「龍は、神である。口にするのも憚れるが、人に、神殺しなどできやせん。もし、人に殺される神があったなら、それは、人が造り出した邪神よ。龍は、邪神ではない」
そこで不意にサリアタ氏が身体を横に傾け、おれの背後へ目をやった。
アラム少年もうしろを見る。
釣られて振り返ると、そこに居並ぶ魔法使いたちも振り返り、北に聳える巨山を見あげた。
「形代は残らない」
氏の声に皆、前を向く。
なんだか、わからないまま、おれも前を向く。
「形をもって類を成す理による願立ては、焚き上げをもって完了となるからだ。その形代が、残った。焚き上げを行う前に、祈祷を主導した魔法使いの身に、なんらかの問題が起こったってこと。それを無頭の杖の残存に当てはめて推し量れば、その問題とは、呪詛を仕掛けた当人の死……以外にないのだ。神なる存在は、身のほど知らずには容赦がない。ラズマーフの首を刎ねた刃が、龍の逆鱗に触れた。たちまち呪詛返しを喰らって死ぬ。ラズマーフを形代に用いる呪詛は、とりもなおさず自殺行為。禁じ手なのだ」
拾った一個のじゃがいもを手の内で転がしながら言う。
「その理に則った呪詛と看た場合。仕掛けた当人は、承知のうえだったと思う。正気の沙汰ではないのだが、ほかにいくらでもやりようがあるなかで、呪詛返しの手順を踏んだことになるからの。呪詛絡みの死ってのはよう。まともな死に方にはならんのよ。その酷い死をさ、わざわざ選んだことになる。狂人の絶望か、あるいは。時に、そうした行為には、無言の発言が含まれる。おのれの悲惨な死様を曝すことで、誰かに、なにかを訴えようとしたか。……これはだめだな」
じゃがいもを竹籠の一つに入れた。
「ラズマーフに掛けられた呪いが、肖りの理なのか、形をもって類を成す理なのか。憑いていた存在は杖に関わる二人の人間……呪われたほうか呪ったほう、どっちかの魂であったろうが。わしは現物を視ておらん。いつの時代の人間か、その素性についても、真相は、あきらめるほかない」
思った。
サリアタ魔法使いは、千里眼の使い手。
そのちからに物理的な距離は関係ない。
おれは言った。
「わたしがあの杖を失った場所は、山麓の西でした。木々が朽ち果てた土地の引割。サリアタ様なら、お見通しに」
「それがな。見つからんのだ」
「え……見つからない?」
「リリからその話しを聞いてさ。わしも気になってね。らしい存在感を探知してみたんだが、どこにもおらんのよ。……ああ、ラズマーフ自体はあったよ。断層の底に、逆さまんなって突き刺さっておるのを千里眼で視た。おまえさんの雰囲気がわずかに残っておったから、それに間違いない。だが、からっぽなのだ。奈落で逆立ちしておる杖には今、なんも憑いとらん。ただの杖になっとる」
「どういうことでしょうか?」
「たぶん……姫様の仕業だろうなあ」
姫様の?
「山麓の森は、清浄なるちからが充満しておる。自然物はおのずから善の気質を持つから、もとより清らかだったんだが、その気質の偏りが一層に深まったんは、この森に、姫様が誕生されてからだ。あの可愛い女神様が、森をお散歩されることで、それだけで、場が浄化されていく。邪な魂がやってきて、森の一部に不潔が生じても、濃密な水準で清潔が保たれる。……器物にとり憑く類いってのは、執着心が呆れるほど強い。みずからの意思で離れることは、まず、ないんだ。しかし、離れた。圧倒的なちからが働いたと看るべきだろう。つまり無理矢理、引っ剥がされた。そして、消えた。杖に宿っておった魂は……滅せられたと思う」
最後の言葉を聞いた瞬間。
ばん、と記憶が脳裡を過った。
どす黒い闇の奥底から、見あげてくる凍えた眼差し。
怖気を喚起する、禍々しい瞳が、射抜くように見つめてくる。
どこからともなくあらわれる、光り。
寂光とでも言うべき、それは凄まじい、容赦のない聖性を醸す、まばゆい光り。
およそ人声とは思えぬ、断末魔が迸る。
身の毛のよだつ残響が消え去ると、邪悪な視線は立ち消えた。
光りが、閃く――。
それは危地を脱した、あとの夜。
更けゆく森の眠りにみた、不思議な夢の記憶だった。
半ば茫然となって、こんな夢をみたと、内容を話してみると、サリアタ氏は合点したように何度も頷いた。
「魂が滅せられるってのは、存在そのものが消えるってことだ。天下からも、天上からもな。もはや、生まれ変わることはない。永遠の無に帰す。救いのない結末よ」
樹海の魔法使いはため息を吐き、うつ向いた。
「森の可愛い姫君は、純粋ゆえに、恐ろしいお方なのだ」
しばらくのあいだ、静まり返っていた。
あの杖に宿っていた邪念は、呪われたほうか呪ったほうと、氏は言った。
呪った加害者ならまだしも、呪われた被害者のほうが、邪念と化してしまう場合もあるのか。
だとしたら、本当に救いのない結末である。
過ちを償う道すら永遠に閉ざされる断罪に、酌量が一切なかったのだから――。
気づくと、魔法使いたちは三々五々に散っていた。
サリアタ氏が、アラム少年に用を頼んで彼も去り、また日陰の下は二人になって、静かな口調で言った。
「おまえさんの心持ちが、健全であったなら、つけ入る隙なんぞなかった。だが例の災難が原因で、心中に大きな空洞ができていた。その空洞に、つけ込まれたのだ。見た目はまっすぐでも、根性の捻じ曲がった杖にな。前の持ち主は、宿の女将だったそうだが、その女性も、つけ込まれてしまった一人だったろう。どんなに真っ当な人間でも、淡々と生きていくのは、難儀であろうからのう」
「はい……サリアタ様。ご教授ありがとうございました」
氏は微笑んで立ちあがり、住居に入っていった。
前庭の地面には、大量のじゃがいもが転がっていた。
傍らに置かれている三つの竹籠を見た。
左の竹籠には、形はまちまちだが大柄のじゃがいもが。
右の竹籠には小粒のじゃがいもが入っていて、真ん中の竹籠には皮が緑に変色したものや濡れて腐ったような、あきらかに食べられそうにないじゃがいもが放り込まれていた。
膝元に転がる一個を手に取った。
食べられそうだったが、微妙な寸法だった。
このじゃがいもは、左か、右か、どちらに入るじゃがいもだろうかと、考えていると。
「それはぎりぎり左だな」
出てきたサリアタ氏が、笑顔で言った。
「形がよいので、大目に見てもらおう」
「両端の籠の区別は、なんでしょうか」
手のじゃがいもを左の竹籠に入れながら訊ねると、氏が三つそれぞれを指し示し。
「左が売り物、右が食用。真ん中は、食えんから土にする」
「売り物ですか?」
「そう。ここで作った野菜や果物の上出来は毎度、市場に出しておるのよ。森を東へ抜けたところに、ビルヴァっていう小さな農村があってね。そこの作物と一緒に、町で売ってもらってるんだ。貨幣獲得の貴重な手段。ああ、そうだった。さっきの件、承知した」
さっきの件?
なんだったっけかと、ひそやかに記憶を巡らせていると。
「それで気兼ねをせずに済むのなら、頂戴しよう」
言われ、思い出した。
印画紙に消費した銀の代価。
「だが、金はいらん。代わりにさ、塩を買ってくれんか」
「え? 塩を買う?」
「森の恵みってやつは、気前はすこぶるよいのだがな。塩だけは、ここでは手に入らんのよ。外から仕入れるしかない。その塩で、帳消しにしよう。どうだ?」
「勿論お望みに従いますが。しかし塩を買うとなりますと」
町へ出向かなければならない。
すると氏が、おもちゃ箱を指差した。
「そろそろ直しが必要だった。後作のために農具の修理をしておきたい。外出のついでに、町まで足を伸ばすとしよう。塩はそこで買っておくれ。おまえさん自身も、身の回りで足りない物なんかあるだろう。さしあたっては着替えだなあ」
呵々と笑って、空を見あげた。
「太陽が三回昇った日の早朝、村の車が出荷に出る。間に合えば便乗できるはずだ。二日寝かせれば森もいくらか落ち着くだろうし、そんでも、わしの足だと山の東まで半日くらいかかっちまう。やむを得ん。明後日の火灯頃に出発しよう。目的の場所に立ち寄るのは帰り道になるが、おそらく日が暮れていようから、ビルヴァで一泊する。そこで話そう」
おれは口元を引き結び、低頭した。
山の東のビルヴァの村から獣車の移動で、日帰り可能な距離に位置する町は、知る範囲で二つあった。
ホズ・レインジの北方に立つ小さなカリノと、ここから東方に立つ大きな――。
「そうと決まったら売り物の抜き出し、急ぐとするか」
「お手伝いします。それで当日、向かう町とは」
ネルテサス地方で、もっとも古い歴史をもつ文化名所。
「うむ。メイバドルだ」




