01
視界がたちまち宵になった。
太陽に蓋をしたような暗転に、足が自然と左へ流れる。
ホーキ川の切り立った岸の近傍を歩くのは、脆弱な土壌を踏む危険があったので避けたかったが、森の中は外から見る以上に暗かった。
入り組んだ木々に岸際まで近づかないとまともに光りは得られず、おれは薄暮の明度で妥協した。
陽射しの当たる川沿いでは、葉をもった光合成植物の多様な繁茂が見られたが、森内へと離れるに従って、植生は次第に変化し、十メートル足らずで林床は一面、水分のみで成長する苔植物の世界となった。
それらはおそらく、有史以前にご先祖が散布したと伝わる蘚苔植物群の純粋の子孫と思われた。
採取の衝動に苦笑する。
複雑な心持ちで踏みつけながら、うっすらと靄のかかる深緑に染まった森の底を、おれは歩いた。
歩いて、転んで、歩いて、その日が暮れた。
森の夜は、闇が濃い。
とりわけこの森は、濃密だった。
目がまったく役に立たず、手探りでどうにか角灯に火を入れて、ひと息ついた。
食事をし、早々に寝袋にもぐり込む。
聞こえてくるのは、通奏低音のような川流れの水音と、ときおりの風が林冠をなでる葉擦れの音。
その間に間に、虫たちの静やかに集く声。
鳥獣の気配は、どこにもなかった。
森の命は、もう早、眠りについているのだろうか。
人間は、なかなか眠れず。
寝返りを打ちながら、この森の行く末を思った。
枝葉の繁茂が、過剰だった。
理由はわからないが、ゆえに林床に届く光りが、極端に少なくなってしまっている。
これでは、森そのものを構成する樹木の苗も、日照の射す外縁部にしか育つ余地がない。
その余地は、しかし、異なる樹種の苗の育つ余地でもあり、生存競争の発生する空間である。
内側からの世代交代に故障が生じている森に、勝ち目はあるのか。
あるいはすでに、この森は、群落としての衰退期に入っているのかもしれない。
百年後か、五百年後か、はたまた千年後か。
その時この場所に立った人間は、なにを目にするのだろう。
山麓までを三日と見積もってはみたものの。
ホズ・レインジの威容は、太陽が三回昇っても、迫ってこなかった。
川端から望む対岸の森の北の彼方に、そろそろ見えるはずであったが、峰頭すらあらわれない。
起伏の強い地面に苔が覆ってすべりやすく、歩行が難儀であったこと。
朝が遅く夜の訪れが早いため、一日の行動時間に大幅な制限があったこと。
それらによって進捗が、はかばかしくなかったのは確かだった。
ただ、行程そのものは、おおむね順調であった。
距離は稼げていないが、そのぶん身体に負担をかけずに済んでいる。
新鮮な水も常にあり、体調は良好だった。
川岸に立ち並ぶ木々が空に向かって枝葉を拡げているので、天体の観測には毎度、手こずったが、川上は今のところ、真東にあった。
鈍足ながら確実に、樹海に近づいていた。
順調ではあったのだが、一つだけ、案外な点はあった。
森の門前で、鹿だか山羊だかの哺乳動物に出会して以来、鳥獣の姿を見ていないのだ。
遠くで反響するような鳴き声は聞こえるし、糞もあちらこちらに落ちている。
間違いなく存在しているのだが、姿を一切、見ないのである。
もっとも、周囲は常に仄暗く、視野も木々に遮られ、とても狭いので、おれが気づいていないだけかもしれない。
調和の長らくなじんだ森に異物が侵入しているわけだから、警戒心を強めるのも当然と言える。
それならそれで、面倒事が一つ減るので、よいのだが。
彼らの庭で、偶発的な接触すらなく、野生動物たちの姿をまったく見かけないというのも、なんだか妙な気分だった。
自分の置かれている状況に、違和感を覚えたのは、四日目の夕刻だった。
遅々として進まぬとは言え、ホズ・レインジの麓に、確実に近づいてはいるのだ。
これまでの歩行距離から推測すれば、今にも見えてよい頃であった。
しかし、彼の山は、北の彼方に影も形も覗かない。
進路の方角は間違えていない。
それはあり得なかった。
沈みゆく夕陽の方角と、ホーキ川の上流の方角とは、ほぼ一致していた。
川筋は、確かに東へ延びている。
となると、考えられるのは。
闇夜に張った天幕の中で、角灯の灯りに二枚の地図を照らした。
先に買った高価な地図は、観光地図よりも縮尺が小さく広範囲であったが、ホーキ川は省かれていた。
それでも川と街道の交差点に相当する地点から、山麓までの直線距離の比率は、観光地図と同じ。
推定四十キロ。
だがこの状況を考慮すると、実際は、それ以上の距離があるように思える。
倍は、あるのではなかろうか。
もし、地図の誤りだとすると、山麓の位置が、二枚とも、同率でずれていることになる。
つまり、この二枚の地図の下敷きは、同一の実測図。
唸って、胸の前で腕を組んだ。
いや、仮にそうだったとしても、実測図に、ここまで大きな誤差が生じたのは、なぜだ。
この地方の地図を作成するうえで、ホズ・レインジの存在は三角測量の基準点に最適である。
実測が困難な場所であっても、近似値の算出は容易なはず。
地図の間違い、というのは、考えにくい。
首をひねりながら、背嚢の底に地図を押し込み、寝袋にくるまった。
天空の道しるべは、ホーキ川の導く先に、山麓を示している。
方角は、正しいのだ。
行くしかあるまい。
今、当地に身を置くおれは、進むしかない。
まぶたを閉じ、全身の力を抜いた。
やがて茫洋となった意識の奥底から、ひらりと念頭に浮かびあがった一つの可能性に、おれはとび起きた。
ホーキ川を天体の運行に照らしていたのは方角のみで南北の傾斜角度は確かめていない。
川の流れは蛇行しながらも大きな屈曲はなく東へ正確に延びていた。
だがそれを確認するのは一日に数回。
常に監視していたわけではない。
もし、その直線的な川筋が、少しずつ、北へ平行移動するような経路であったと、したら。
上流の方角は変わらずに。
「緯度のみが高くなる……」
進路の緯度が、北に、ずれてしまっている可能性。
「待て待て。それもおかしい」
緯度の変化に気づかないのはおかしい。
自分の座標が、徐々に北に傾いていたのだとしても、その過程で、川の上流に山があらわれる。
おれはそもそも、ホズ・レインジを見ていないのだ。
川を渡る山を、見落とした?
末広がりの高峰が、地平を横切るのに、気づかなかった?
実測図の誤りとするほうが、まだ理に適う。
だが、実際のところ、山が視界に入らない。
考えにくいことだが、見落としたのだとすれば。
北の彼方にホズ・レインジが見えないのは、彼の山が、おれの南にあるからだ。
距離的に、すでに山麓に踏み入っていると考えられる。
つまり、ホーキ川の水源は、山麓の西。
その水源に、おれは向かっていることになる。
うなだれ、深々とため息をついた。
それを確かめるには、夜明けを待って、南の空を見る。
話しは簡単だが、しかし、手段は。
南の方角を、此方から見るには、林冠の隙間を覗くしかないだろう。
そんな隙間が、あれば、だが。
対岸に渡れれば、南方を望むのは容易だ。
でも、どうやって渡る。
この辺りの川幅は四メートルほどに狭まってはいるものの、水深はまだ二メートル以上ありそうだった。
上流域に近いからか流速は増しており、しかも現在のホーキ川の水は、ほとんどが雪水。
泳いで渡るのは危険だ。
即席の橋を架けることも難しい。
途中、倒木を見た記憶がない。
やはり、此方岸から確かめるほかないだろう。
森の天井の比較的薄い場所を探して、木を登るしかあるまい。
それも不得手だが、ほかに方法が思いつかない。
高所ほど枝は細くなる。
その刈り取り程度なら、短剣でなんとかなるはずだ。
森の闇が薄れだし、北の方角がわずかにあかるくなった。
まんじりともしない夜が明けた。
はずだったが、しばらく経っても陽射しは強くならず、辺りは暗いままだった。
おれは角灯に火を入れて、ホーキ川へ出た。
対岸の森の彼方に見える北の空に、山の姿はなく、重々しい雨雲が垂れ込めていた。
南の空は、川に迫り出している枝葉にさえぎられ、やはりどうやっても視界に入らない。
流れの様子も、心なしか昨日より荒んでいるように感じられ、渡河の選択は捨てた。
そうしている間に、ぽつり、ぽつりと、雨粒が落ちはじめ、たちまち土砂降りとなった。
森に激しく降ってくるのは、林冠を叩く雨音で、降雨そのものは比して穏やかである。
けれども、雨水が幹を伝って滝のように流れ込み、地べたはみるみるうちに水浸しとなった。
おれはあわてて天幕の場所を変えた。
外套の頭巾をかぶり、角灯を掲げて周囲の木々を眺めてまわる。
幹を伝い流れる雨水の量から、その直上の枝葉の厚みを推しはかることが容易となり、すぐに何本か、登るのに適当な木の目星をつけることができた。
しかし、濡れた樹木はすべりやすく、ただでさえ不得手な自分には、難度が高くなった。
ため息をこぼしながら、それらの木々の根方に、目標として石を置いた。
天幕に戻った。
脱いだ外套を大きく払って、雨水を切る。
そうして寝袋に身をひそめた。
まるで砂子が、無尽に竹紙にこぼれ落ち、跳ねまわっているような雨音を、森の底に聞く。
響いている。
おれは、雨のやむのをじっと待った。