01
ことん、と、風が発てるわずかな音にでも、耳朶に響くほど。
静かのうちに流れる夜を、もてあました。
疲れ切っているはずなのに、眠れなかった。
ひんやりとしていた布団はすでに、温かく。
同じ思考が寄せては返し。
嘆息を引きずりながら、心悶えていた。
愚の骨頂。
見捨てられても当然の所業を、やらかした。
自覚前の自分と、自覚後の自分。
いったいなにが変わったか。
セナ魔法使いは、なにを変えようとしたか。
あの日から心中で、絶えることなく燻り続けていた、自殺念慮の――所在。
虚しい欲求の根底が、揺らいでいる感じがする。
それはおそらく、ためらいだ。
だが、それだけだ。
状況そのものは、なにも変わっていない。
人形は消えていないし、心ともつながったままと。
自分が自分にかけた呪いは、わずかも解けていないのだ。
それを解く道筋として、魔女は去り際に、なかなかの難路を指し示した。
君ではない誰かを。
確かに、そうなれれば、簡単なのかもしれない。
生物学的にもそれが、正しい選択なのだろうと思う。
だが、あいにくおれは人間で、それも要領の悪い、つまらぬ男に仕上がった。
今さら、ものになるとは思えない。
君ではない誰かを、愛する。
いや、愛されるなど。
そんな自分を、一抹も想像できない。
呪いの解除は、今後のおれの行動に、すべて懸かっていると言われたが。
今のところ、途方に暮れるほかすべがない。
サリアタ氏に対し、マルセマルスカス氏に対し、セナ魔法使いに対し。
おれはどんな顔をして、翌日を迎えたらよいのか。
なによりスベラルタヤにこそ、合わせる顔がないのだった。
おれは君の姿を、あろうことか忌物にしてしまった。
それを償う手段を見いだせない愚か者が、その責務を果たすには。
すでにマテワト・フロリダスは、終わっているのだから。
このフロリダスは終わり、フロリダスが生まれる。
生まれたフロリダスは、おれではないフロリダスだ。
スベラルタヤ・トカーチを知らないフロリダスだ。
恋人の思い出のすべてを、忘れ去ったフロリダスだ。
しかし、このフロリダスに、本当に、そんな覚悟が持てるのか。
サリアタ氏に言えるのか。
自我崩壊は考慮せず、このまま人形を、消してくれと。
「おれに言えるのか」
ごとり。
思わず呟いた直後、音が鳴った。
近くから聞こえたように感じ、半睡のまぶたをゆっくりともちあげた。
布団にもぐった時と少しも変わらず、屋内は真っ暗だった。
頭をもたげ、辺りに目を配るが、なにも見えない。
人のいる様子もなかった。
風が鳴らした音だったようだ。
おれはふたたび、まぶたを閉じた。
閉じたまぶたの裏側に、坐卓の傍らに立つ人影のうしろ姿が、見えた。
その人影は、作務衣を着ていた。
つる禿げの小柄な老人。
そんな印象のうしろ姿だった。
だからおれは、ああサリアタ様ではないですかと、声をかけた。
すると、人影が、振り返った。
まなじりの厚い皺が怒気のごとき鋭い目許。
面識のないままに、この状況であったなら、おれは震えあがったに違いない。
そこにいたのは、サリアタ魔法使いだった。
当地のあるじが、坐卓の前で、なにかを持って立っている。
空の食器だ。
卓上に目をやると、そこに置いたはずの洗った食器が、消えていた。
樹海の魔法使いは、客に出した食器を片づけに来た。
どうやら、そういうことのようである。
当然ながらそれらは自分で、炊事場へ持っていくつもりでいた。
まさかあるじみずから下げに参られるとは、思いも寄らず。
非常に恐縮し、そんなお気遣いは無用ですと、おれは言った。
言ったところ、サリアタ氏は。
おれに向かって大きくぺこりと、頭を下げたのだった。
違和感。
元気よく軽やかに、首を縦にふったその素振り。
まるで子供の振る舞いのように感じられた。
サリアタ魔法使いとは、会ってまだ間もないが、その反応は、違うと思った。
なんか変だと思っていると、またもやぺこりと、子供じみた辞儀をした。
釣られて思わず、おれも首をこくんとして、礼を返した。
すると氏は、ひょいと土間へ跳びおり、玄関扉をひらいて、出ていった。
閉じた扉に、ぱたん、と、音が鳴った。
坐卓の上には、火のない蝋缶が一つ、残ってある。




