表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
暴かれた事実
44/205

03

「そうか。おのれの命よりも大切な人間を、うしなったか。それで合点がいった」


 この人物を前にして、なおも沈黙することに、意味はあるのか。


「実に上手に仕上がっている。紐と石座いしざをつなぐ銅の鎖の意匠など、なかなか凝っておる。こしらえたのは、おまえさんかね?」


「いえ。自分で作ったと、言っていました」


「ほう。手先の器用な女性だったのだな」


「はい──」


 鉄鉱山の閉山処置を、名乗り出た。

 それをみずから主導し、モハネトク鉱石を管理下に置いたことで、おれ自身に対する周囲からの捜索は、遠ざかった。

 その状況を、意図的につくり出したのかどうか、自分でもよくわからない。


 点滴台の長細い影が、高原の一室に濃く落ちていた。

 消え入るような、か細い声で、君は言った。


(いつかの式でね、着けるつもりだったの。びっくりさせようと思って、あなたに内緒で作ったの。でも、班の凍結が決まって、持ってはいられなくなって。汚染の可能性もあったから、首飾りごと、学校に移した。今もまだ、あると思う)


 誰もいない解析室。

 標本箱の隣に、それはあった。

 包まれていた花柄の布が、現実に対するささやかな、抵抗のように感じた。

 せめて、首飾りだけでも、残したいと思った。

 だからおれは、研究室の戸棚の奥に、仕舞ったのだ。

 気づいたのは、封鎖が完了したあとだった。

 首飾りの石座いしざに、石が、まったままだった。

 愕然となった。

 おのれの正気を初めて疑ったのは、その時だ。


 校内の庭園が、お気に入りだった。


(長老さん、あたしをどこに連れてったと思う? 貯鉱場ちょこうじょうよ? どれでも好きなのをって。口説かれてるのかと思ったわ。なにその顔)


 この世に、たった一つ。

 たった一つ、手許に残ってしまった。

 残してしまった、この石は。


(大きめのやつはさすがに、遠慮したわよ。それでも、光りがいちばん綺麗なの、選んだけどね。うふふ)


 おれにとっては、もはや──。


「言わずともよい」


 サリアタ氏が、重たげに呟いた。


「おまえさんの心中しんちゅうは、おおよそ察する。だがことが事だ。このままでよいはずもない。あえて申しておかねばなるまい」


 じろり、見据えた。


経緯いきさつはどうあれ。暴挙であったな。かく申したこの石は、一個人の事情を超える代物だ。恣意しいに扱ってよいものではなかった。それをおまえさんは、人目ひとめを忍んで隠し持ったな。形見かたみとでも思ったか?」


 身に当たる風がしたたか、冷たく感じるのは、涙のせいだけではないだろう。

 高峰の落とす山颪やまおろしが、暮れなずむ聚落しゅうらくに吹きはじめていた。


「石の正体はわからずとも、災難の元凶であろうことは断じていた。その不穏な石を、たずさえ、巷間こうかんを歩きまわった。その点もおおいに問題なのだが、わざわいをもたらした忌まわしき石を、想い人の記憶が染み込む首飾りの石座いしざから、はずさずに、置いた。それがなにを意味するか。混同してはならん。少なからずのゆかりは有ろうが、この石にまで、深く想いを込めてはならん。それがなにを意味するか。マテワト・フロリダス。おまえさんは確かに賢いが、確かに危うい」


 麦藁帽子が、かるく左右に揺れた。


「リリはこうも申しておった。しかれども本性は、高潔であり、人柄は好ましく、信ずるに足る人物と。なるほどその見立ても、きっと正しい。おまえさんの心は、なかなかに珍しい。普通ならば忘れてしまう今生こんじょうの役回りを、無自覚ながらも正確に感得している。我欲の充足ではなく、利他の成就だ。ただ、そこから生じた義務感や使命感が、災難の経験によってゆがんで発露し、こたびの暴挙をおのれに許してしまったようだ。元来の気位きぐらいは、貴族と、申してよいかもしれん。おまえさんは、滅私めっしの心を持っている。人間嫌いの姫様が、近づかれたのも頷ける。だから」


 おれをまっすぐに見つめた。


「無理強いはしたくないのだ。時が必要であれば、好きなだけここにおるとよい。けれども、いかほど時が過ぎようと、わしの意思は変わらぬ。わかるな?」


 サリアタ氏が言っているのは、この世に残った、一つの石の処遇だ。

 首飾りと記憶を共有する物体である前に、不可視光線を放射する危険な物体であるこの石と、心理的に訣別けつべつし、おれが進んで手放すことを、自分に預けることを、望んでいるのだ。

 いや、氏はすでにそれを、決定している。


 遠い森の深みにす、一人の魔法使いに、求めたこととは、なんだ?

 答えを知りたい。

 われわれを襲った不運の原因を。

 モハネトク鉱石の正体を。


 それが動機となって、決意した旅の目的とは、なんだ?

 遠くに。

 どこか遠くに。

 この世の誰の手にも届かない、ずっとずっと遠くに。


 異論など、あろうはずがなかった。

 樹海の魔法使いにたくしてしまうことが、二か月ものあいだわざわいをまとい、当地に及んだ愚かなおれの、為し得る現状最善の後始末だろうと思う。

 石の正体を知った今、これまでのように扱うことは、さすがにもうできない。


「日が暮れる」


 余光よこうに淡くにじむ東の宵空よいぞらを望んでいた氏が、顔を戻した。


「風もいよいよ冴えてきた。場を移そう」


 そうしてゆっくりと尻を浮かせた。

 木箱をつかみ、ひどく重そうに持ちあげた。


 その瞬間。


 心のどこかで痛みが走った。

 治りかけの瘡蓋かさぶたを、がされたような、ぴきりとくる小さな痛み。

 と同時に湧きあがる、子供じみた激しい感情。

 咄嗟とっさに手を差しのべた。


「わたしが持ちましょう」


 その言動は、老人に対する気遣い。

 では、ないことを、おれは自覚した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ