03
「そうか。おのれの命よりも大切な人間を、喪ったか。それで合点がいった」
この人物を前にして、なおも沈黙することに、意味はあるのか。
「実に上手に仕上がっている。紐と石座をつなぐ銅の鎖の意匠など、なかなか凝っておる。こしらえたのは、おまえさんかね?」
「いえ。自分で作ったと、言っていました」
「ほう。手先の器用な女性だったのだな」
「はい──」
鉄鉱山の閉山処置を、名乗り出た。
それをみずから主導し、モハネトク鉱石を管理下に置いたことで、おれ自身に対する周囲からの捜索は、遠ざかった。
その状況を、意図的につくり出したのかどうか、自分でもよくわからない。
点滴台の長細い影が、高原の一室に濃く落ちていた。
消え入るような、か細い声で、君は言った。
(いつかの式でね、着けるつもりだったの。びっくりさせようと思って、あなたに内緒で作ったの。でも、班の凍結が決まって、持ってはいられなくなって。汚染の可能性もあったから、首飾りごと、学校に移した。今もまだ、あると思う)
誰もいない解析室。
標本箱の隣に、それはあった。
包まれていた花柄の布が、現実に対するささやかな、抵抗のように感じた。
せめて、首飾りだけでも、残したいと思った。
だからおれは、研究室の戸棚の奥に、仕舞ったのだ。
気づいたのは、封鎖が完了したあとだった。
首飾りの石座に、石が、嵌まったままだった。
愕然となった。
おのれの正気を初めて疑ったのは、その時だ。
校内の庭園が、お気に入りだった。
(長老さん、あたしをどこに連れてったと思う? 貯鉱場よ? どれでも好きなのをって。口説かれてるのかと思ったわ。なにその顔)
この世に、たった一つ。
たった一つ、手許に残ってしまった。
残してしまった、この石は。
(大きめのやつはさすがに、遠慮したわよ。それでも、光りがいちばん綺麗なの、選んだけどね。うふふ)
おれにとっては、もはや──。
「言わずともよい」
サリアタ氏が、重たげに呟いた。
「おまえさんの心中は、おおよそ察する。だが事が事だ。このままでよいはずもない。あえて申しておかねばなるまい」
じろり、見据えた。
「経緯はどうあれ。暴挙であったな。かく申したこの石は、一個人の事情を超える代物だ。恣意に扱ってよいものではなかった。それをおまえさんは、人目を忍んで隠し持ったな。形見とでも思ったか?」
身に当たる風がしたたか、冷たく感じるのは、涙のせいだけではないだろう。
高峰の落とす山颪が、暮れなずむ聚落に吹きはじめていた。
「石の正体はわからずとも、災難の元凶であろうことは断じていた。その不穏な石を、携え、巷間を歩きまわった。その点もおおいに問題なのだが、禍をもたらした忌まわしき石を、想い人の記憶が染み込む首飾りの石座から、はずさずに、置いた。それがなにを意味するか。混同してはならん。少なからずの縁は有ろうが、この石にまで、深く想いを込めてはならん。それがなにを意味するか。マテワト・フロリダス。おまえさんは確かに賢いが、確かに危うい」
麦藁帽子が、かるく左右に揺れた。
「リリはこうも申しておった。しかれども本性は、高潔であり、人柄は好ましく、信ずるに足る人物と。なるほどその見立ても、きっと正しい。おまえさんの心は、なかなかに珍しい。普通ならば忘れてしまう今生の役回りを、無自覚ながらも正確に感得している。我欲の充足ではなく、利他の成就だ。ただ、そこから生じた義務感や使命感が、災難の経験によって歪んで発露し、こたびの暴挙をおのれに許してしまったようだ。元来の気位は、貴族と、申してよいかもしれん。おまえさんは、滅私の心を持っている。人間嫌いの姫様が、近づかれたのも頷ける。だから」
おれをまっすぐに見つめた。
「無理強いはしたくないのだ。時が必要であれば、好きなだけここにおるとよい。けれども、いかほど時が過ぎようと、わしの意思は変わらぬ。わかるな?」
サリアタ氏が言っているのは、この世に残った、一つの石の処遇だ。
首飾りと記憶を共有する物体である前に、不可視光線を放射する危険な物体であるこの石と、心理的に訣別し、おれが進んで手放すことを、自分に預けることを、望んでいるのだ。
いや、氏はすでにそれを、決定している。
遠い森の深みに坐す、一人の魔法使いに、求めたこととは、なんだ?
答えを知りたい。
われわれを襲った不運の原因を。
モハネトク鉱石の正体を。
それが動機となって、決意した旅の目的とは、なんだ?
遠くに。
どこか遠くに。
この世の誰の手にも届かない、ずっとずっと遠くに。
異論など、あろうはずがなかった。
樹海の魔法使いにたくしてしまうことが、二か月ものあいだ禍をまとい、当地に及んだ愚かなおれの、為し得る現状最善の後始末だろうと思う。
石の正体を知った今、これまでのように扱うことは、さすがにもうできない。
「日が暮れる」
余光に淡くにじむ東の宵空を望んでいた氏が、顔を戻した。
「風もいよいよ冴えてきた。場を移そう」
そうしてゆっくりと尻を浮かせた。
木箱をつかみ、ひどく重そうに持ちあげた。
その瞬間。
心のどこかで痛みが走った。
治りかけの瘡蓋を、剥がされたような、ぴきりとくる小さな痛み。
と同時に湧きあがる、子供じみた激しい感情。
咄嗟に手を差しのべた。
「わたしが持ちましょう」
その言動は、老人に対する気遣い。
では、ないことを、おれは自覚した。




