02
「おまえさんが持ち込んだ、例の物だよ。だが、そのままではだめだ」
掘っ立て小屋の傍らで歩みをとめると、右腕をもたげて指差した。
「量が足りず、底が抜けておるのだ。巾着袋をくるんでいるものを解いて、折り畳んで、箱の底に敷いてから、入れておくれ。布も一緒にな」
遠くから、促された。
当地のあるじに違いない、異相の老人。
突然のことで、まごついたが、おれは急いで背嚢をおろした。
汚れた乾布のかたまりを取り出す。
土鉄の板で包まれた、革製の巾着袋。
それをいったん脇に置き、木箱の蓋に手をかけた。
重い。
力を込めて、持ちあげると。
蓋の裏側に、金属と思われる灰色をした一センチ幅の板が取りつけられていた。
そしてその表面に、乳白色の紙が一枚、貼ってある。
箱を覗くと、側面の四周に同様の金属板が隙間なく設置してあった。
そこでふと、マルセマルスカス氏の言葉が思い出された。
(その封じは、意味合いとしましては、サリアタ様ご自身に対する処置のようです。わたしなど足許にも及ばない深遠な感受性をお持ちの方ですので、それが秘める力に感づかれた。換言すれば、その影響をもろに受ける。そういうことかと、思われます)
同じ土鉄に違いない灰色の囲いは、確かに底だけ、抜けていた。
おれは指示どおり、くるんでいる土鉄の板をはずし、折り畳んで底に敷き、乾布も敷いたその上に、革製の巾着袋を収めた。
重い蓋をかぶせ、木箱を閉じた。
「結構」
面妖な眼差しが、立ちあがったおれを見据えたまま、近づいてくる。
百を越す年齢とは思えない、しっかりとした足取りだった。
得も言われぬ圧迫感に、気後れする。
生唾が、うまくのみ込めなかった。
「よくこそ、と、言いたいところだがな。こたびの客人は、なかなかに厄介だ」
厚い唇がわずかに歪み、口角がもちあがった。
笑った──ようだったが、おれは硬直した。
「すでに聞いておるとは思うが。おまえさんが足労をかけたルイメレクは、もはやおらぬ」
そうして目の前で、立ちどまった。
「わしは、魔法使いの弟子である。サリアタと申す」
名乗りを受け、はっとなって、あわてて姿勢をあらためた。
「マテワト・フロリダスと申します」
三回目で、やっと正しく自分の名前を告げられた。
「サリアタ様。ご面会をお取りはからい頂き、心より、感謝申しあげます」
頭をさげた。
「わざわざ迎えにまで出てくださり、恐縮です」
「迎え? ──ああ、それはわしではない。フロリダス殿」
「はい」
わしではない?
足許の木箱を鋭く注視するサリアタ氏。
「お出での意図は、承知しておる」
夢の中とは言え、同一人物としか思えない老人の出迎えが。
わしではない、とはどういう意味か。
「まずは話しを聞こう。よろしいかな?」
おおいに戸惑ったが、否も応もなかった。
「もちろんです」
脈動が早鐘のように打つ。
「どこで見つけた」
「ラステゴマの鉄鉱山です」
答えると、じろり、おれを見つめた瞳が、わずかに彷徨った。
「ラステゴマとな。もしや。あの災難か?」
表情は変わらなかったが、声音には驚きの色がこもっていた。
おれは大きく頷いた。
「三年前に。偶然そこで」
産地を告げただけで、即座に災難と結びつけた。
この人物は、やはり。
「なんと。あれこれ、噂は耳にしておったが」
言いながら、ゆっくりその場に尻を据えると、地べたに胡坐をかいた。
おれも腰をおろし、木箱を挟んで、差し向かいとなった。
「まさかな。鉱脈を見つけたのか」
「はい」
「鉄鉱山と申したな」
「はい」
「鉄との共生か。ほかに随伴の鉱物は」
「いえ。とくには聞いておりません」
すると、上目遣いでおれを見た。
「おまえさんは、ラステゴマの人間か?」
「そうです」
「当人か。それはそれは、長旅であったの」
麦藁帽子に手をかけ、おもむろにはずした。
禿頭だった。
間近で、サリアタ氏の額を認めた。
間違いなかった。
「そうであったか。鉱脈をな」
魔法使いは呟くと、小さく何度も肯首した。
「はい。そこから掘り出された石は、すべて鉱山に戻しました。あまりにも禍々しく。故郷に、禁足地ができてしまいました」
「すべて?」
聞き咎めた口調で言うと木箱を見、おれを見た。
ぶわっと汗が滲む。
「あ、いや。そうでした。すべて、では、ありません。一つだけ……」
歯切れ悪く、答えた男をサリアタ氏は、無言で凝視した。
心の奥の底までも、見透かすような目であった。
思わず視線を逸らすと、魔法使いが呟いた。
「いかにも。リリの申しておったとおりだな」
「リリ?」
「ここの長居者だよ。おまえさんのところにやった」
「マルセマルスカス様?」
「うむ。リリディーヌ・マルセマルスカス。やつがな、申した。客人は、理性的で、打てば響く。賢いが、危ういと」
おれはうつ向いた。
やはり、気づかれていたようだ。
もしかすると、おれの正気を確かめるため。
姫様のわがままに乗っかって、おれの意識の中に。
「そうですか」
この世に、たった一つ。
たった一つ、わが手許に残ってしまった。
残してしまった、この石は。
「紫に、妖しく耀いておるな」
皺だらけのひらいた手が、木箱の蓋の上に、翳されるのが見えた。
「これでは、なんぞ宝石と見紛えても、無理はない。だが、その耀きの裏には、とんでもない猛毒を秘めておる」
はっとして、おれは顔をあげた。




