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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
樹海の魔法使い
40/205

02

「おまえさんが持ち込んだ、例の物だよ。だが、そのままではだめだ」


 掘っ立て小屋の傍らで歩みをとめると、右腕をもたげて指差した。


「量が足りず、底が抜けておるのだ。巾着袋をくるんでいるものを解いて、折り畳んで、箱の底に敷いてから、入れておくれ。布も一緒にな」


 遠くから、促された。


 当地のあるじに違いない、異相の老人。

 突然のことで、まごついたが、おれは急いで背嚢はいのうをおろした。

 汚れた乾布かんぷのかたまりを取り出す。

 土鉄つちがねの板で包まれた、革製の巾着袋。

 それをいったん脇に置き、木箱のふたに手をかけた。

 重い。

 力を込めて、持ちあげると。

 蓋の裏側に、金属と思われる灰色をした一センチ幅の板が取りつけられていた。

 そしてその表面に、乳白色の紙が一枚、貼ってある。

 箱を覗くと、側面の四周に同様の金属板が隙間なく設置してあった。

 そこでふと、マルセマルスカス氏の言葉が思い出された。


(その封じは、意味合いとしましては、サリアタ様ご自身に対する処置のようです。わたしなど足許にも及ばない深遠な感受性をお持ちの方ですので、それが秘める力に感づかれた。換言すれば、その影響をもろに受ける。そういうことかと、思われます)


 同じ土鉄つちがねに違いない灰色の囲いは、確かに底だけ、抜けていた。

 おれは指示どおり、くるんでいる土鉄つちがねの板をはずし、折り畳んで底に敷き、乾布も敷いたその上に、革製の巾着袋を収めた。

 重い蓋をかぶせ、木箱を閉じた。


「結構」


 面妖な眼差しが、立ちあがったおれを見据えたまま、近づいてくる。

 百を越す年齢とは思えない、しっかりとした足取りだった。

 得も言われぬ圧迫感に、気後きおくれする。

 生唾が、うまくのみ込めなかった。


「よくこそ、と、言いたいところだがな。こたびの客人は、なかなかに厄介だ」


 厚い唇がわずかにゆがみ、口角がもちあがった。

 笑った──ようだったが、おれは硬直した。


「すでに聞いておるとは思うが。おまえさんが足労そくろうをかけたルイメレクは、もはやおらぬ」


 そうして目の前で、立ちどまった。


「わしは、魔法使いの弟子である。サリアタと申す」


 名乗りを受け、はっとなって、あわてて姿勢をあらためた。


「マテワト・フロリダスと申します」


 三回目で、やっと正しく自分の名前を告げられた。


「サリアタ様。ご面会をお取りはからい頂き、心より、感謝申しあげます」


 頭をさげた。


「わざわざ迎えにまで出てくださり、恐縮です」


「迎え? ──ああ、それはわしではない。フロリダス殿」


「はい」


 わしではない?


 足許の木箱を鋭く注視するサリアタ氏。


「おでの意図は、承知しておる」


 夢の中とは言え、同一人物としか思えない老人の出迎えが。

 わしではない、とはどういう意味か。


「まずは話しを聞こう。よろしいかな?」


 おおいに戸惑ったが、いやおうもなかった。


「もちろんです」


 脈動が早鐘はやがねのように打つ。


「どこで見つけた」


「ラステゴマの鉄鉱山です」


 答えると、じろり、おれを見つめた瞳が、わずかに彷徨さまよった。


「ラステゴマとな。もしや。あの災難か?」


 表情は変わらなかったが、声音こわねには驚きの色がこもっていた。

 おれは大きく頷いた。


「三年前に。偶然そこで」


 産地を告げただけで、即座に災難と結びつけた。

 この人物は、やはり。


「なんと。あれこれ、噂は耳にしておったが」


 言いながら、ゆっくりその場に尻を据えると、地べたに胡坐あぐらをかいた。

 おれも腰をおろし、木箱を挟んで、差し向かいとなった。


「まさかな。鉱脈を見つけたのか」


「はい」


「鉄鉱山と申したな」


「はい」


「鉄との共生きょうせいか。ほかに随伴ずいはんの鉱物は」


「いえ。とくには聞いておりません」


 すると、上目遣いでおれを見た。


「おまえさんは、ラステゴマの人間か?」


「そうです」


「当人か。それはそれは、長旅であったの」


 麦藁帽子に手をかけ、おもむろにはずした。

 禿頭とくとうだった。

 間近で、サリアタ氏のひたいを認めた。

 間違いなかった。


「そうであったか。鉱脈をな」


 魔法使いは呟くと、小さく何度も肯首こうしゅした。


「はい。そこから掘り出された石は、すべて鉱山に戻しました。あまりにも禍々(まがまが)しく。故郷に、禁足地きんそくちができてしまいました」


「すべて?」


 聞き咎めた口調で言うと木箱を見、おれを見た。

 ぶわっと汗が滲む。


「あ、いや。そうでした。すべて、では、ありません。一つだけ……」


 歯切れ悪く、答えた男をサリアタ氏は、無言で凝視した。

 心の奥の底までも、見透かすような目であった。

 思わず視線をらすと、魔法使いが呟いた。


「いかにも。リリの申しておったとおりだな」


「リリ?」


「ここの長居者ながいものだよ。おまえさんのところにやった」


「マルセマルスカス様?」


「うむ。リリディーヌ・マルセマルスカス。やつがな、申した。客人は、理性的で、打てば響く。賢いが、あやういと」


 おれはうつ向いた。

 やはり、気づかれていたようだ。

 もしかすると、おれの正気を確かめるため。

 姫様のわがままに乗っかって、おれの意識の中に。


「そうですか」


 この世に、たった一つ。

 たった一つ、わが手許に残ってしまった。

 残してしまった、この石は。


「紫に、あやしく耀かがやいておるな」


 しわだらけのひらいた手が、木箱の蓋の上に、かざされるのが見えた。


「これでは、なんぞ宝石と見紛みまがえても、無理はない。だが、その耀かがやきの裏には、とんでもない猛毒を秘めておる」


 はっとして、おれは顔をあげた。

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