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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
樹海の魔法使い
39/205

01

 ひらかれた枝折戸しおりどを通る時、なにか、起こるのではないかと、心構えをしてから踏み出したのだったが、なんにもなかった。

 土地の境界をただ、またいだだけだ。

 普通に歩いて、通過した魔法の門を返り見て、なんとなく頷いて、枝折戸しおりどを閉めた。


 真正面の家屋と木柵もくさくとのあいだの地面にも雑草が緑々(あおあお)と繁っていた。

 日常的な人の出入りのないのが判る。

 左右の草の繁茂具合を見比べてみると、右手側のほうが薄めで、わずかに土が覗いていた。

 おれはそちらへ足を向けた。


 獣道けものみちのような草地を踏み、家屋の角に差しかかったところで、傾斜したのきの先から褐色の羽毛のずんぐりとした鳥が一羽、ひょこりとあらわれた。

 頭頂に赤い鶏冠とさかと顎下に赤い肉垂にくすいがある。

 おすにわとりだった。

 曲がり角で、不意に出くわしたわれらは一瞬その場で固まった。

 すると雄鶏おんどりはやにわに羽をばたつかせると身をひるがえして逃げ出した。

 あとを追うように屋根を左に折れると、幾分まともな細い通りがまっすぐ奥へと延びていて、そのみちを今にも飛び立たんとする勢いで、彼は必死に走っていた。

 長細い路地に接して右に二軒、左に二軒。

 家屋が四軒、不揃いに建っている。

 距離をとって安心したのか、通りばたついばんでいる彼の向こうに、柵の外からも確認できたが畠と思われるひらけた平地がわずかに見えた。

 作物らしい鮮やかな緑が目に映える。


 静かだった。

 敷地内に入っても、人声ひとごえはどこからも聞こえてこない。

 帰らない客人たちの話しを伺って、静謐せいひつとは無縁の雰囲気を想像していたのだが。

 みちの両脇に建つ四軒の窓はすべて閉じてあり、家内の様子は知れなかった。

 気配は感じられず、どれも静まり返っている。


 散策する鶏を追い立てるように、あるいはいざなわれるように、路地を進んで家並みを抜けると、そこにひろがった平地はやはり畠であった。

 幾筋ものうねに沿い、根菜らしき瑞々(みずみず)しい葉が一面に並んでいる。

 収穫は間近のようだった。

 差し渡し、耕作地としては、大きくない。

 けれども、数人の居住であれば自給でまかなうに充分と思える面積だった。

 鬱蒼たる山林をならして畠をひらく。

 難儀なこの開墾かいこんもルイメレクの仕事だろうかと考えながら、深い森に囲まれた魔法使いの隠れ家を、おれは見渡した。


 畠の東側──枝折戸しおりどの左手側に見えた果樹らしき喬木きょうぼくの植え込みは、種類はわからないが、吊り鐘のような黄色い花が乱れ咲いており、賑やかだった。

 その南端の一画に、路地に並んだ四軒と同じ造りの家屋が一軒あった。

 畠の中ほどに粗末な掘っ立て小屋が建っていて、位置的にそれは便所か肥溜こえだめと思われた。

 気ままに徘徊している鶏たちの褐色もちらほらと目に入り、敷地の西端に視線を向けるとそこには簡素なとやがあった。

 しかし。

 肝心の人の姿が、どこにも見えない。

 やはり家内にいるのだろうかと、歩いてきた路地を見返した。


「おおっ」


 思わず声が出た。

 北の大空を覆い尽くす壮大な山肌が、頭上にひろがったのだった。

 もはや天心を突くような、ホズ・レインジの尖った峰。

 いただく冠雪を、傾きはじめた強い陽射しが橙色に、鮮やかに染めあげていた。

 ウルグラドルールをってまもなく、アデルモの握り飯を頬張りながら遠く望んだ独峰が、今や、畏怖いふをおぼえるほどの至近距離にそびえていた。


 感嘆の吐息をついて、目線を落とした時だった。

 畠の北端に沿った通り道に面する家屋の前に、箱が一つ、ぽつんと置いてあるのに気づいた。

 路地に並んでいる四軒の家屋の南東側の一軒。

 その玄関扉から少し離れた沿道に、二十センチ四方の木製の箱がある。

 なんだろうと思い、近づいた。


「そうだ。それに入れなさい」


 張ったしゃがれ声が背後でし、驚いて振り返ると、畠の彼方からこちらへ歩いてくる人の姿が。

 麦藁帽子をかぶり、首に手ぬぐいをかけた、作務衣さむえ姿の人物だった。

 その面構つらがまえ。

 一度見たら、二度と忘れぬ。

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