01
踏みしめるこの地の先に住まう、一人の魔法使いが、いかなる人物か。
まったく予想がつかなかった。
百を越えた高齢者であり、深遠な感受性の持ち主。
マルセマルスカス氏の口からこぼれた人物像は、それくらいしかなかった。
名はおそらく名字と思われ、女性か男性かもわからない。
聞かなかったからだが、異能者の資質に、性別は関係していない。
常人であれば年齢からある程度、姿形を推しはかれるが、相手が魔法使いだと難しい。
実年齢が百歳ともなれば老境に至るのは避けられまいと思えるが、個人差がだいぶあるらしく、妙齢の魔女が七十二歳の老婆だった例をおれは知っていた。
先祖学の権威である先生が、賢者と評されたルイメレクの後継者。
サリアタとは――。
森がひらりと瞬いた。
姫様の背から小鳥が三五と飛び立ち、とっさに羽ばたきを樹間に追う。
そのまま視線を方々に投げた。
が、光源になるようなものはなく、すぐに姫様を見ると、歩みが停まっていた。
周囲を窺うように素早く顔を動かしている。
こたびもやはり、錯覚ではないようだった。
あの洞窟の付近で感じた、森の閃きが、またもや起こったのだ。
注意深く周囲を見まわす。
鬱蒼たる木陰に、人影をさがした。
束ねて垂らした長い黒髪が、大きく揺れたように感じた、あの去り際の人影を。
木々に目を配るうち、ふっと脳裡に、一つの記憶がよみがえった。
それは、森の墓場を命からがら抜け出し、就いた眠りの中に見た、夢の記憶だった。
おれを見つめる禍々しい瞳が、容赦のない聖性を醸す光りに、打ち砕かれる。
どうして今、あの不思議な夢を、思い出したのか。
光り。
共通する事象で、記憶が釣りあげられたのか。
自分でもよくわからなかった。
なにか反応を示されるかと、姫様の動向を注視していると、片耳をぴくんとふるわせて、ふたたび歩きはじめた。
歩調が一段、速くなったのは、乗客が去ったからだろう。
懸命にあとを追いながら、おれはしきりに首を傾げた。
森に漂う雰囲気が、違ったように感じたのだ。
肌に触れる空気の質感のようなものが、粗くなったような、軽くなったような。
目に映る景色に、それとわかる変化はなかったが、満ちる空気がまるごと、がらりと入れ替わったように感じられ、何度も首を傾げた。
ただ、嫌な感じはしない。
むしろ、この雰囲気こそが、森全体になじんでいるような気がした。
妙な感覚に戸惑いつつ、蹄をたどる。
それから半時ほどが過ぎた頃だった。
先導者の前進が停まった。
坂の中途で、木陰にたたずみ、追いすがる人間を見おろしていた。
しかし、その彼方にはまだ森が続いている。
近づきながら周りを探ったが、住居らしき物影は見当たらない。
追いついても、姫様はその場を動かなかった。
黒光りする円らな瞳が、おれをじっと見つめている。
「どうされました?」
怪訝に思って問いかけた。
すると姫様は首を巡らし、踏み出した。
ところが、数歩ほど進んだところで振り返り、おれの前まで戻ってきた。
そうしてじっと、人間を見つめてくる。
状況がのみ込めず、呆けたように突っ立っていると、同じ動作が繰り返された。
それでおれはあらためて、辺りをまわし見た。
深い森の木間に目を凝らす。
こもるような重い水音が微かに、おそらくは渓川の上流と思われるが、それが遠くに聞こえるだけで、不自然な物音はなく、人跡も、やはりどこにも見えなかった。
到着したわけではないようだ。
しかし、姫様の素振りは。
自分の直感はまったくもって当てにならないが、これは確かだろう。
なにかを、おれに伝えようとしている。
いったいなにを訴えているのか、意味深な行動を反復する姫様に、あたふたと話しかけ、意図を読み取ろうと頑張っていた、最中。
染み入るように、脳が麻痺していく感覚に襲われ、頭がぐらりとなった。
気絶すると悟った瞬間に意識が、がくんと落下した。
わが意識の昏冥は、おそらくは刹那であった。
はっと両目を見ひらくと、行く手にひろがる森の様子が、一変していた。




