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(あんたらがもっと早くに気づいていれば、うちの旦那は死なずに済んだ。どうしてよ。あんたらが殺したようなもんだ。あんたらは)
時に言葉は、人の心を切り刻む。
(ああっ、許してください。なんてことを。本当に。酷いことを言ってしまった。許してください。ああ、なんてことを。わたしは、ああっ)
葬儀の門を何度もくぐり、所々で漏れ聞く慟哭は、次第に遠ざかった。
禍の余韻でしばらく浮き足立っていたが、それもまもなく落ち着いて、世間は日常を取り戻した。
喪に服していた学校が再開され、おれも教壇に戻った。
校長から暫時の休養を勧められたが、生徒を前にしている時だけだった。
だからおれは立ち続けた。
ロヴリアンスへの訪問も継続した。
得られるものはなにもなくとも、アポニ・ドレスンの薫陶を受けた者として、先祖学者の責務として、自分だけは、思考を停止するわけにはいかなかった。
この星の片隅で、一瞬間、姿をあらわし、牙を剥いたその正体を、なんとしても突き止めたい。
わざとわれを忘れるように、日々を走りまわった。
だが──。
日日薬に託すには、傷が深過ぎた。
掛け替えのない、よすがを失い、すべての色が、褪せてしまった。
在りし日に浸っていた、楽しかった思い出が。
幸せだった思い出が、ことごとく、悲しみを呼び起こすだけの記憶に掏り替わってしまっていた。
わけもなく卒然と、涙を流す自分の姿を、呆然と見おろしている自分がいた。
静かに狂っていく心の軋みが、耳障りに感じるたび、日常に染み込む記憶から、おのれの記憶から、逃げ出したい衝動に駆られた。
ロヴリアンスへの出張は、そんな虚しい衝動の代替行動でもあった。
そしておれは、待っていた。
間違いなく、死病を発症する可能性が、おれにもあった。
それを求めている自分に気づいて、気づいた。
マテワト・フロリダスは、終わったのだと。
鉱山封鎖から一年後。
おれは校長に呼び出された。
そうして、無期限の休職を言い渡された。
(誤解しないでください。当校は、ラステゴマの宝を手放す気は毛頭ありません。ただ、取り戻していただきたいのです。先生。あなたはあの日から、ご自身の扱いが雑になった。わたしは今でも納得していません。あなたが閉山処置の陣頭に立ったことです。なにもあなたが、現場で作業に当たる必要はなかった。それからも今日まで、必要以上にご自身を酷使されている。痛々しくて見ていられない。生徒たちも心配しています。実は、複数人の保護者から、問い合わせがありました。あなたの精神状態についてです。わたしは彼らに、問題はありませんと、言えませんでした)
自分では、仕事のうえでは正気を保っているつもりだったが、公文書館の窓口で、顔見知りの司書に挨拶をし、書架室に入った瞬間だった。
おれはその場に立ち尽くした。
眼前にひろがる書架室は、もはや見慣れた光景だった。
なのに、漂う雰囲気が、よそよそしかった。
分野ごとに仕分けが為された原本が、本棚に納まり、ずらりと並んでいる。
その配置にも、なに一つ、違いはないのに、初見のような感覚があった。
学生の頃、先生に連れられ、初めて足を踏み入れたときの感覚とも違う。
知っているのに、知らないのだ。
その時の書架室は、おれの知らない書架室だった。
まるで、多次元宇宙論のような。
別の宇宙に有る公文書館に、迷い込んでしまったような。
館内は薄暗い。
日焼けによる原本の劣化を最小限に抑えるため、明かり取りの窓が小さいのだ。
斜陽の薄明が一層に暗く、重く感じた。
やがて、青波が舳に打ち込むように、現実が心を叩きつけ。
泣き崩れた。
思い知ったのだった。
この宇宙のどこを探しても、君にはもう、会えないのだということを。
この世界のどこに身を置いても、おのれの記憶からは、逃げられない。
この命が、この天下に在る限りは。
この手に、この一つの石が、有る限りは。
書架室のひろびろとした通路を、ただ、歩いた。
一万年に及ぶ先史人類の歴史が、おれの視界を流れていく。
流れていく──。
その瀟洒な別荘は、明媚な高原に建てられた、緩和医療施設だった。
三年前の秋。
冬支度をした落葉樹の、鮮やかな葉のひろがる道の先に、君はいた。
小首を傾げ、片目をちょっとだけ閉じ、葉を踏んで近づくおれを、睨むのだ。
それから少しも変わらない、太陽よりも輝く笑顔で。
ずっと手をつないでいた。
弱々しくも、離すまいとする指先に、残り火のわずかを知り、言葉を尽くした。
確か、ひと月くらいだったと思う。
君のいないその場所へ、日課のように、足を向けた。
葬送の轍が、降り積もった純白の雪で、すっかり消えてしまっていた。
(どうぞ落ち着いて、聞いてください。昨日の夜更け過ぎ、スベラルタヤ・トカーチの霊魂が、旅立たれました。言い残すことはなにかありますかと、お訊ねしましたら、一言だけ、あなたに伝えてほしいと。フロリダス先生。今生の彼女からの、最後のお言葉です)
待ってる。
いくらぬぐっても、前がまともに見えなかった。
姫様の背でくつろぐ小鳥たちの囀りが、おれの手を引いてくれた。
ささやかな森の演出に、心から感謝した。




