03
モハネトク鉱石の究明は、もう早、学問上の意義だけではなくなっていた。
その疑惑は、曲折ながら新たな接点となった。
不確定種の情報ではなく、血液癌に関する情報。
それが見つかれば、帰納的に、鉱石の正体をも暴き出せるかもしれなかった。
今まで手がまわらなかった福祉関連に的を絞り、調べるつもりだった。
医療分野を当たっても、望みは薄かった。
(あたしならほら、大丈夫だから。あなたは、あなたの仕事をして)
世界最古の町並みが、霞んで見えた。
宇宙船着陸点の跡地に建てられた公文書館は、石組みの外壁に囲まれた、石造りの重厚な建築物である。
ご先祖は、膨大な情報が凝縮する魔法のような機械から、先史人類のあらゆる記録を半永久的に残すことが可能な媒体──紙へと転写した。
この場所は、その結果であり、この世でもっとも貴重な書物を、炎から守る砦であった。
われわれの文明が始まった土地。
その由緒を辿り、ロヴリアンスには世界中から観光客がやって来る。
荘厳な公文書館を訪れ、自分らの祖先が築いた巨大な歴史を前にして、感慨に耽るのだ。
しかし、そこから先の領域に踏み込む者は、数少ない。
知の宝庫たる書架室に入り、その場にずらりと並ぶ地球の物語を読み解くためには、先史人類の多くの言語を理解していなければならないからだ。
世界各地の図書館に収蔵されている不親切な教科書の写本は、そのほとんどが、われわれの公用語に翻訳されたものであり、その作業をも担う先祖学者は、地球とこの星とを結ぶ架け橋のような存在と言えた。
そしておれも、その末席を汚す一人だった。
公文書館のすぐ近くに中央議会の庁舎が建っており、その隣に公営の宿があった。
滞在費を負担してくれるため訪問のたびに使っていたが、代わりに宿泊者は学識や技術を公共施設や産業振興に供する義務を負う。
時間的にも精神的にも余裕がなかったので、場末の木賃宿に荷を解いた。
同宿となった芸術家や篤学者たちと貧しい晩餐を囲い、安酒を傾けながら議論する場に自分も交ざっている状況は、ほかでは得難い愉悦だったがそのときは、気鬱であった。
古都に入ってひと月が経った。
当たりをつけた福祉関連の原本は、押し黙ったままであった。
なにも語ってはくれなかった。
焦りの日を追うごとに、故郷の様子が気になりはじめた。
心ここに在らずでは、集中力が散ってしまい、やむなく探索を断念した。
今度も手ぶらの帰路となり、複雑な心境で、郷里に馳せ戻ったおれを待っていたのは。
秒読みの日々だった。
(これで、元凶があきらかになったわね。正しかったことが証明されたわ)
なによりも、恐れていたことが現実となった。
遅かったのだ。
すでに取り返しのつかないところまで、蝕まれてしまっていた。
自責の念。
その時のことは、今もよく思い出せない。
校舎が、臨時の病棟になっていた。
原因不明の体調不良を訴える者が、百人を越えていた。
そのうち、血液癌の発病者は、十八名。
全員が、モハネトク鉱石と長期間、直に接触していた人間だった。
一人目と二人目の罹患者は、すでに亡くなっていた。
医学所が、特効薬の研究をはじめていた。
血球を破壊している免疫を抑制する抗体を、血清によって付与できるかもしれないと、なにかを覚悟した男の顔で、医師は言った。
疑惑の鉄鉱山は、人手が足りず、開店休業状態となっていた。
病人の離脱だけでなく、健常の坑夫たちも、ほかの鉱山で働く坑夫たちも、わが身に降りかかる災禍を恐れ、入ることを拒否していた。
呪われた石。
彼らはいつしか、そう呼んでいた。
(医学所の先生がね。言ってた。あなたの言葉なら、きっと皆が耳を傾けるって。あたしも同感。しっかりして頂戴)
言われたが、答えに辿り着けなかった男に、そんな力など、ない。
皆が、愚かではなかったからだ。
君が、身を呈していたからだ。
役場の会議室に集った面々に、深い皺が刻まれていた。
中央議会から派遣された参事員が、おれのところに挨拶に来た。
先祖学大家の教え子が、不確定種の同定に動いていることを、誰もが知っているようだった。
参席を控えた解析班の経過として、既存の鉱物標本とは性質が独立していること、既知の毒性は検出されなかったことを報告し、自分の立場としては、固有種の可能性を示唆するに留まった。
場がざわつくなか、最後に、解析を担当した当校教員一名が、モハネトク鉱山関係者と同様病態を発症した旨を公式に述べ、着席した。
静まり返った室内に、書記の硬筆の走る音が、こつこつと響いた。
隣で、校長がうつむいて、咽び泣いていた。
顧問魔術師が言った。
(霊的存在の関与ならびに呪術の介在はない。病原となり得る有機的な形跡も一切、認められない。にも拘わらず、それは生体に極めて有害な特質を発揮したものと考えられる。われわれにも割り切れない、不可知の特質を)
挙手による多数決が行われ、全会の一致をみた。
モハネトク鉱山の永久封鎖が、決定した。
問題となった閉山処置は、おれが名乗り出、主導した。
素因である疑いは濃厚となったものの、発病との因果関係は不明のままだった。
モハネトク鉱石を汚染源と見なし、想定し得る感染経路を遮断する対策をもって当たるほかなかった。
おれは有志とともに雨合羽をまとい、手袋をし、口と鼻とを布で覆った。
学校に保管されていた標本を含め、掘り出された鉱石をモハネトク鉱山に集積した。
貯鉱場の鉄鉱石も無害とは言い切れず、長老は渋ったが、汚染源として扱った。
排水に使われていた蒸気機関を用い、それらすべてを残土もろとも鉱坑に戻し、坑口を封鎖した。
開けてしまった不運の扉を、永遠に閉じたのだった。




