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学校附属の医学所に、モハネトク鉱山の坑夫が一人、入院していた。
風邪に似た自覚症状を訴え、職業が鉱山労働者であったことから初診の際に医師はまず、瘴気による感染症を疑った。
病原菌の生息密度が高い空気を意味する瘴気は、換気の不充分な環境で発生しやすい。
長時間にわたり瘴気を吸い込むと、殺菌が追いつかずに免疫力が低下し、すでに潜伏していた病原菌の活性化なども手伝って重度の感染症を引き起こす。
その発生は、開発の進んだ鉱山において顕著であった。
この星の大気中に存在する病原菌は、ご先祖が地球から持ち込んでしまったものである。
記録によると、宇宙船の船体洗浄が不充分であったためと伝わる。
太陽系離脱時の状況を考慮すれば、無理からぬことと思う。
患者に感染症の疑いがある場合、まずは顕微眼による鑑別を行うのが通例であり、常人の医師は診断手順に従って医学所詰めの魔法使いに頼んだ。
結果、確かに患者は感染症を発症していたが、それ以上の問題が見つかった。
魔法使いが透視した血液の流れから医師が判断したのは、血球の不足だった。
血液を作る骨髄が、障害を起こしている。
その予断をもって問診したところ、眩暈や鼻血、歯磨き時の出血などの返答があり、即時入院となったのだった。
四度目のロヴリアンス訪問日程を調整していた日暮れの研究室に、非番の医師がふらりとあらわれた。
酔っていた。
無精髭を生やしたままの、疲れきった顔をして、とりとめのない話しをする。
血液型を聞かれたので答えると、自分も同じです光栄ですと言って、急におとなしくなった。
(あの患者の容態が、日に日に悪化してるんです。役場の先生が定期的に来てくれて、弱毒して、感染症は片づけてくれていますが。出血が止まらない。輸血をすると、少しはよくなるんです。でもまたすぐに。ずっと輸血し続けることなんて、できやしません。止血薬も試しましたが、焼け石に水。重度の貧血で、もはや自力で歩くことすら。紫斑も出てます。間違いないと思います。血液癌です)
うなだれ、呟いた。
(打つ手なしです)
医学所の図書室は、不親切な教科書の医療分野を網羅していた。
しかし、悪性腫瘍と血液異常に関する記録は、非常に少なかった。
写本の欠落ではなく、原本自体に記録がほとんどないのである。
対症療法すらおぼつかない。
それらの罹患は、患者と医師、双方において、座死を意味した。
その二つの病例だけ極端に情報が少ない理由はよくわかっていないが、わずかに残る記録からその治療には高度な科学力を要すると考えられており、どちらにしても難病である点に変わりはなかった。
だが、われわれは、進まねばならない。
おれは私見を述べた。
先史人類の医療の歴史は、人体実験の歴史と言ってよい。
すると医師が、はっと顔をあげ、驚いたようにおれを見た。
やはり、考えていたのだなと思った。
(今日の昼間。外来に、モハネトクの坑夫が二人、来たんです。二人とも風邪の症状を訴えたので、視てもらいましたが、彼らは感染症でした。血液に問題はなかった。先生、例の鉱物なんですが、なにかわかりましたか?)
不意に問われ、医師の来た理由をおれは察した。
不親切な教科書に記録が一切残っていない、未知の物質が発見された場所こそ、モハネトク鉱山だったからである。
原本を当たっても該当する記述は未だ見つかっていないこと、地球の地質には存在しない固有種である可能性を簡単に話し、あえてなにも聞かずに反応を待った。
医師は空の一点を見つめ、返事がくるまで、少しの間があった。
(もちろん根拠があってのことでは、ないんです。今日来た二人は確かに感染症で、骨髄にも異常はなかった。鉱山のなかは瘴気がこもりやすいですからね。よくある話しです。考え過ぎだと自分でも思います。ですが、なんとなく。気分が落ち着かないんですよ。嫌な予感がするんです)
その一か月後だった。
医学所に、モハネトク鉱山から一人の坑夫が担ぎ込まれた。
作業中に倒れたという話しは看護学生から聞いてはいたが、その患者の血液にも血球減少が認められたと知った時には、冷たいものが背筋をなぞった。
同じ職場にあった者が、同じ病気を発症した。
それも、症例の極めて少ない難病を。
医師の言葉がよみがえった。
血液癌の発病因子が、モハネトク鉱山とその産出物に潜んでいるのではないか。
漠然とした憶測が、現実味を帯びたのだった。
おれが動くより先に医師がただちに役場に掛け合い、鉱山の一時休止を要請したものの、断られたと顔をしかめた。
大規模な銅鉱山の点在するラステゴマ地方にあって、モハネトク鉱山は矮小ながら最重要の位置を占めていた。
採掘される本来の資源が、鉄鉱石であるためだ。
その操業停止は、公庫の甚大な減収に直結した。
あまつさえ、そこで偶然に発見された未知の物質──ちなんで呼ばれたモハネトク鉱石も、新種の宝石としてラステゴマ産の品目に加える計画があった。
学校からの解析結果を、役場は今や遅しと待ち望んでいる状況であった。
だが、憶測を事実とすれば、モハネトク鉱山の関係者に次いで罹患率が高いのは、不確定種と相対している三人の研究者たちだった。
うち二人も、親しい友人であった。
おれは急いで校長室を訪ね、事情を説明し、解析作業の中断を班に指示してくれるよう求めた。
その時点では難しい判断であり、立証のしようもなかったので役場の承諾を取りつけるのは厳しいとわかってはいたのだが、校長は。
(思い出しました。わたしが承った教授のご遺言を。フロリダスの発言は、ドレスンの言葉と思って聞いてほしいと。わかりました。説得してみましょう)
亡くなられて以後も先生の存在感はご健在で、研究者の命を守ってくださった。




