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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
不可解な機械
31/205

03

 そもそもの魔法使いが樹海に居を構えた理由。

 訊ねたとき、マルセマルスカス氏は、言葉を濁した。

 おれの質問には噛み砕いて明快に、真摯(しんし)に答えてくれていた彼が、その問いだけは。

 答えなかった。


 洞窟の奥。

 そこにひろがる深い闇に跳ね返るような川の水音。

 ゆっくりと立ちあがり、角灯の火を差し向けた。


 奥知れぬ暗中へ、おれは歩を進めた。

 姫様もあとをついてくる。

 その脚がすぐに先に出て、顔を明かりに近づけた。

 おやと思い、角灯を前方に掲げて見ると。

 目の前は、岩盤の黒い壁だった。

 行き止まり。

 やはり、洞内は狭かったか。


 波打つような漆黒の壁面が、微かに、照り返しを放っているのに気づく。

 触れてみると、丸みを帯びていた。

 山麓に暴露する岩盤の肌は、卸器(おろしき)のように荒れているが、この洞窟の内壁はなめらかだった。

 風雨の侵食がない、原形を(とど)めるようなその様相は、あきらかに通常の岩石洞窟とは異なる。

 ホズ・レインジの裾野の地盤は熔岩との推定を、また一つ裏付ける根拠のように思えた。

 しかし、認められたのはそれくらいで、引き返した。


 失われている部品類は、土台に固定された弾車(はずみぐるま)以外、一切ないことがわかった。

 残った弾車(はずみぐるま)にさえなんらかの形跡があれば、目的の予想もある程度は立ったろう。

 回転運動を、作業動力に変換する装置。

 なに一つ見当たらない。

 労働力が目的でなかったとすると、初期型の設計思想を構造に示すとおり、再現実験か。

 確かに、強固な壁に囲まれている洞窟は、蒸気力の試運転にはうってつけだ。

 これがまるごと鉄で造られている理由もその点に求められるが、弾車(はずみぐるま)はともかく貴金属製の土台の実地試験など、とてもではないが意義は薄い。

 立地に目的を見いだすなら、(はた)を流れる渓川(たにがわ)の水――その水温だが。

 天然の冷水を排気の冷却に導入すれば、出力の上昇が見込めるだろう。

 だが、それとて必須の条件ではない。

 常温の水であっても事足りる問題である。

 なにもわざわざ、こんな山奥で……。


 一見して欠損の多くは分解後に運搬が容易と思われる部品であり、持ち去られたような印象を受ける。

 隠し財宝がごとき貴金属の(かたまり)を、偶然に発見した探検家たちの仕業だろうか。

 そんなことができるかどうかは、ともかく。

 サリアタ氏は、これを完全に放置しているようだった。

 師の遺産とも、資金源とも、みていないように感じられる。

 管理者はルイメレクでも、所有者は違う。

 その可能性が濃厚だが、しかし。

 そう考えてもやはり、放置の理由がわからない。

 所有者が誰であれだ。

 貴重な鉄資源を回収しなかったのは、なぜだ……。


 吐息をついて、(かぶり)を振った。


 散らかっている頭の中が、一向に片づかない。

 手繰(たぐ)る道理の糸が、どれもどこかで、ぼやけてしまう。

 もしくはふつりと、途切れている。

 片づけようとしたこと自体、間違いだったようだ。

 僻地の樹海で朽ち果てた、不可解な鉄製の蒸気機関。

 おれには到底、はかり知れず。

 そぞろ、われわれの知性とは別の系譜から、導き出された結論のようにも思えてくる。


 うなだれ、固まっているおれの顔を、鼻先で突きあげるように覗き込んでくる姫様に、苦笑した。

 おのれの傍らに、神なる存在が居る状況にはもはやなんの疑問もないのに、鉄の人工物にはひどく困惑している自分が、心中なんとも滑稽に映った。

 いくら頭をこねくりまわしたところで、答えは得られそうにない。

 だからと言って、サリアタ氏に訊ねるのも。

 無断で立ち入った場の内情を。

 しかもおれは、やらかした。

 廃棄同然とは言え、その一部を傷つけた。

 この性分には、われながら困ってしまう。

 角灯を持ちあげた。


 ふたたびボイラの状態を(あらた)める。

 姫様も一緒についてきた。

 この寸法の圧力容器を造るとなると、当然ながら町の鍛冶屋では無理だ。

 専用の大掛かりな鋳造設備が必要で、それが整っている工場(こうば)は世界中にいくつかあるが。

 いずれも政庁が蒸気機関の生産のためにひらいた直轄工場(こうば)であり、現在では普及の進捗(しんちょく)がはかばかしくないことで、閉鎖の噂が絶えない。

 上のボイラの寸法と比較して、下の火室(かしつ)の寸法は、大き過ぎるように思えた。

 火室が無駄に大きいと、燃焼瓦斯(がす)の充足までに時間がかかり、水蒸気の発生も遅くなる。

 わかりきったことなのに、火室を大きく取った理由は。


 姫様が不意に首をおろし、火室の焚口(たきぐち)の匂いを嗅いだ。


 気圧だろう。

 この場所は、もはや山中(さんちゅう)

 標高はわからんが、海抜面より気圧が低い。

 ここで地表と同等の燃焼効率を出すためには、酸素の供給量を高めねばならん。

 それで火室を大きくした。

 謎の構成で鎮座するこの蒸気機関が、この場所で、実際に稼働していたことは間違いない。


 今や(すた)れたボイラに触れる。

 往時の見る影もないが、鉄で、造られている。

 おそらくは、鋼鉄。

 これならば充分に、高圧蒸気に耐えられる。

 かなりの出力が望めたはずだ。

 鋼鉄製のボイラの実用化は、未だ至っていないが。

 これの素性が、なんであれ。

 貴金属を惜しみなく投入し、造りあげられたその姿は、蒸気機関の理想像と言ってよかった。

 この理想像の実用化が、先史人類を変革に導いた。

 鋼鉄製のボイラが、あの巨大な機械文明の幕をひらいたのだ。

 排煙をたなびかせながら、機関車が(おか)の上を走り、蒸気船が海の上を走る。

 そんな光景を、あたりまえとする社会。

 そんな社会が、この星の上に築かれる日は、果たして来るのか。

 難しい問題だ……。




 文明の成熟度を測るうえで、大きな指標となるのが、社会の仕事量。

 その社会が、経済活動を支えている労働力を、なにに依存しているか、あるいは作り出しているか、ということだ。

 その尺度においてわれわれの文明は、揺籃(ようらん)期に(とど)まって久しい。

 水車の羽根車(はねぐるま)に、それがどれほど進化しようと、文明を牽引する力はない。

 ご先祖の歴史になぞらえば、中世に属する利器なのだ。


 ロヴリアンス地方の宇宙船古蹟(こせき)に建つ、公文書館。

 そこに収蔵されている先史人類の文献――(ぞく)に、不親切な教科書と呼ばれる膨大の記録群から時代の推移を読み解いた先達(せんだつ)の研究によれば。

 十八世紀中葉(ちゅうよう)に発生している産業分野の急激な発展は、鋼鉄製のボイラの実用化によって惹き起こされている。

 それまで矮小(わいしょう)な生産形態にあった産業従事者が、水車の仕事量を凌駕する、高圧蒸気を用いた百人力の蒸気機関を駆使したことで、経済活動に一大変革をもたらし、結果、彼らは中世からの脱却を果たした。


 以後の四百年間に及ぶ先史人類の動向――ご先祖着陸に至るまでの文明水準の推移は、記録の欠落により不明瞭な部分が多いが、その(かん)に散見する社会の機械化の速度は凄まじく、宇宙船が星々を(わた)る超高度文明へと、まっしぐらに駆け抜けた様子が窺える。

 もはや魔法と見紛う次元に達した科学力に比べれば、蒸気機関は児戯(じぎ)のようなものであるが、その研究によって蓄積される基礎的な科学知識が、覆轍(ふくてつ)を踏む萌芽(ほうが)となる危険性について、現在も議論が続いている。

 懸念の声があがるのはもっともであり、先史人類の事跡(ことと)のすべてを手放しに称賛する者はおそらくおるまい。

 巨大な文明がもたらす恩恵には、巨大な代償がともなうことを、われわれは身をもって承知しているのである。


 だが、重要なのは、先史人類がその歩みの過程で直面した問題は、万事(ばんじ)が前代未聞の出来事であり、そしてわれわれは不完全ながらも、それらと対峙した歴史という偉大なる前例を有する点である。

 その点を考慮し、地球史を辿る――蒸気機関の実用化に踏み切った中央議会の決断を、おれはおおいに評価する。

 力学的な水車では起こせない、社会を活性する人間の向上心を引き出す因子が、蒸気機関という化学的な原動機には間違いなく含まれていることが、細切れの史料からでも充分に読み取れるからだ。

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