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07

 ビルヴァの村の一日も夜明けとともに始まって、早朝の村道そんどうで行き合う方々の多くは、すでに仕事の装いであった。

 われわれが村をつ今日でもあり、会うひと会うひと全員から帰路の安全と再訪を願う言葉をかけられた。

 それで都度つど、応対しながらの歩みとなってしまい、サリアタ様が炊事場へ着くより先に村長ナグジャーイ・クランチ氏が、割烹着を振り乱して此方こなたへ走ってきたのだった。

 われらに気づくや血相を変え、突進。


「ああっサリアタ様っ? 水槽で今っ。あああ暴れてっ」


「うむ、すまんすまん。その件で来た。おはようナグジ」


 脱力のご様子であった。

 坊っちゃんの存在については村長も、里の作物の出荷事情からご存じだったがその運び屋さんが村に現れたのはこたびが初めて、見たのも初めてとのことであり、台所の床を水浸みずびたしにした犯人の素性を知ってとても驚かれていた。

 当地において超常現象の原因はたいていオズカラガス様に帰されるが村人たちの迷惑になるような悪戯いたずらは一切したことがないらしく、水影みずかげに浮かびあがった半透明の姿形を目にし、サリアタ様になにか不吉なことが起こったのではと、やはりそう思ったそうで、そのご本人からの説明を聞いて心底、安堵したように笑ったのだった。

 そのに道の彼方にて、炊事場へ向かうご婦人方の姿がちらほら見えはじめ、村長は慌てた様子でわれらにお構いなくと言い置くと、割烹着をはためかせながら戻っていった。

 そうして悪戯の張本人は、サリアタ様に捕まった。

 守護霊ばりに背におんぶされ、今は眠っていると言う。

 貯水池への途中みちなかずっと、重い重いとこぼされていた。




 寝間着姿の少年が、欄干らんかんのない石橋のたもとでうずくまり、つかまえた二匹の躄蟹いざりがにをにらめっこさせている。

 朝早くに来たからか昨日はあった風がない。

 橋から望む池の北面も張りつめたような水鏡みずかがみで、水面下に隠れた基部をあたかも透かし見せるかのように灰色の三角柱が、水面みなもにはっきり映り込んでいた。


「やっぱり答え合わせとしか受け取れんよなあ。わしらの詰めを、後押しするような内容だもんな。どれもこれも」


 サリアタ様と並んで立って眺める供養碑は昨日、表面全体に蔓延はびこる苔を村長がぬぐい落としたばかりであり、雑な造りの素地の歪みが遠目でも明瞭に見て取れた。


「ええ。その後押しの情報を漏れなく含んでいたのが、ウニク他界の場面だった。そういうことなんだろうと思います」


「うむ。だが、とは申せだよ。さすがに一千年も前の話だからのう。あの柱にしてもさ、作り物の見込みが高いんだよな。実際の死に場所は、そこじゃあ、ないかもわからんよ」


 倉持さおりの記憶が見せたウニク終焉の地について、現在の石碑が示すその座標の正確性に疑問を呈された。

 確かに、そうであってもおかしくない年月が過ぎていた。

 その可能性も十二分じゅうにぶんに考えられた。

 事実はどうあれ証明の仕様がないことなので相槌あいづちを打つだけにとどめたが、おれは……そこだと思っていた。

 厳密ではないにしても、この近傍だろうと思っていた。

 漠然と、そう離れた場所ではないはずだと感じていた。


「けれども、村の敷地のどっかなんは、疑いなかろうね」


「はい。その点は間違いないでしょう」


 おれは一帯をまわし見た。

 総面積、約三十平方メートルのこの人工池は、天然池を模したような擁壁ようへきの入り組んだ造成で、周辺地区にひろがっている防風林の裏手側に位置する。

 いたるところに生い茂った雑草と、雲のたなびく空の青さと、西の林冠りんかんにうっすらと覗くかすみかった山の鋭峰――。

 見渡す景観は昨日と変わりないものの、あらためて参ったその場所から受ける印象は、だいぶん違っていた。


「あの情景を見た今となって、思うんです。ビルヴァの村が、この土地に築かれた理由には、ここが、地球国とゆかりの深い巫女の死地だった過去も、一つにあったのではと」


「ありそうだねえ。ここのご先祖は地球国人だもんな」


「仮にもし、そうだったとしたらです。この村が、ビルヴァの名で呼ばれるようになった起源。由来は推定ビルヴァレス。しかし、その家名の人物は……二人、いるんですよね」


 述べるとサリアタ様が、こちらへ顔を向けた。


「いかにも。存在感は父ちゃんに引けを取らんよな」


 おれは頷いた。


「龍の落とし子、死没地跡。地球国のいしずえとなった一人の女性が、生涯を終えた場所に彼らは、を建立しています」


「ウニクが愛されておったあかしでもあるかもな」


「そう考えてみるとです」


 魔法陣の構成図とた正三角形の内心点。

 禁足地となった地球国を示すと推定した謎の絵柄――⛩――は、おれの見立てでは神域をあらわすのだった。

 その記号と、よく似た外観を示すビルヴァの門であった。


「ああ。あの門構えも、ウニク起源だと?」


「村の正門を抜けた先に存在したのは、ウニクが逝去せいきょ。あの門構えの原形は、ウニクの籠堂こもりどうの天井絵。描かれていた一つの記号。だとしたらやはりあの形状は神聖な意味をもつ。記号を神域と捉えたわたしの推理を裏打ちします」


「自分らが神域と見做みなしておった土地を、寄りどころにしたってことか。故郷の地球国ともつながりの深いこの土地を。なるほどのう。しっくりくるね」


 おれは苦笑した。


「全部ただの憶測ですけど」


 その場にかがみ、石橋に尻を据えた。

 下穿したばきの裾をまくりあげる。


「そんでもよ」


 言いながら腰を落とし、おれを見た。


「ウニクの魂が、ビルヴァの子孫に生まれ変わったんは偶然じゃあなかろ。メソルデは生まれるべくして生まれとる。それに実際この村は、神の子の気色けしきが、えらく濃い。サオリちゃんにとって居心地いいんだよ。ここも神様の領域だから」


 にやっと笑んで、供養碑を指差した。


「もういっぺん試してみるか?」


 靴を脱ぎながら頷いた。


「念のために反応を。なにも起こらないとは思いますが。なにも起こらないということを、確かめてきます」


 くすくす笑って両足を橋下へおろした時。


「あっ先生ぼくもっ」


 橋のたもとから元気な声が飛んできた。

 遊び相手の躄蟹いざりがにたちを池にはなすアラマルグ。


「おまえも入るんか」


「あたりまえじゃん」


 当たり前なんだ。

 すぐさま裸足になって彼は橋詰めから擁壁ようへきへりへ回り込むと池に向かってなんのためらいもなく、跳んだ。

 その無駄な跳躍のせいで寝間着の下穿したばきが早々にびしょ濡れとなるも気にしている様子はまったくない。

 波紋がいくつも伝播し、いで静まっていた水面に逆さまに映り込んでいた一本の鏡像が、たちまちゆがんだ。


「あれってメソルデと関係あるんだよね」


 ひたした素足の冷たさと、底に沈殿している砂利とを足裏に感じつつ、ばしゃりばしゃり、近づいていく。

 水面上約一メートル、横幅約二十センチの正三角柱。


「ああ。彼女の過去生、ウニク・ビルヴァレスが亡くなった場所を示すもの。わたしはそう考えている」


 まもなくわれらは近間ちかまに立った。

 周りをめぐってあらためて観察する。

 三面の状態は風化作用で穴だらけ、摩滅した丸い角線も認めた昨日と変わりなく、新たに目を引く点はないようだ。

 思い出す。


(男の声が潤んで響いた風の吹きゆく荒れ地であった。銀河のまたたくその大地に、透き徹るような女の声)


 おれは柱に向き直り、深呼吸。


「バレストランド。先生から離れなさい」


「触ってみます」


 石橋へ告げ、眼下の天面に手を伸ばした。

 置いた瞬間、思ったのは……こんな感触だったっけ。

 荒さとともに、ぬめりを帯びた湿り気が手のひらに伝わって、その肌触りの違和感に首をひねったところで気づく。

 そういえばあの時おれ、手袋してたわ。

 納得して傍らへ目をやるとアラマルグが興味津々の眼差しでおれを見あげており、石橋へ顔を向けるとサリアタ様も少し前のめりになって、おれを見ていた。

 つまり、予想どおりであった。


「なにも起こりません」


 水気に湿っただけの手を離した。


「そうかい。もう、そいつの役目は終わったんかもな」


 ぼくも触ってみたいと言ったので、様子を窺っていると少年の感想は……苦笑いだった。

 と同時に彼のお腹が、ぐうっと鳴った。


「帰ろう先生」


 笑いながら頷き応え、ばしゃり踏み出す。

 波立つ水面にきらめく微塵みじんの陽の光り。


(どうして……ここ、なのですか)


(月と、山と、湖が。ここなら、ぜんぶ見えるから)


 足を止めた。

 荒れ地の先で、月の明かりに反射していたのはポトス湖。

 それを前方に、返り見た視界が捕らえたホズ・レインジ。

 あの情景のなかでのおれは、の山を背にしていた。

 倉持さおりの記憶に従う視点は……東向きだった。


 一メートル足らずの三角柱を見おろした。

 おのれの立ち位置を、あの情景と同じ位置取りにする。


 生前、最期の言葉を残し、ったウニク・ビルヴァレス。

 巫女の亡骸を抱きかかえ、泣き濡れたまま意を決したように歩きはじめたドレイク・ビルヴァレスのあの場面。

 視線が一瞬、重なったように感じたのは、おれの眺める視座のほうへ向かってきたからだった。

 その際、彼は、進路の確認をしていない。

 迷いなく足を踏み出していた。

 見渡すかぎり、遮るもののない荒野のなかを。

 地球国の大頭領が、こちらへ向かって歩き出している。

 おれは背後を振り仰いだ。


「……サリアタ様。わかったかもしれません」


 西の彼方、防風林の緑々(あおあお)とした林冠りんかんの上、澄み渡る大空。

 かすみきり、峰の浮かび立つような巨山が、そこにあった。


「鍵穴の候補地点です。パガン台地の北方か、ホズ・レインジの南麓か。われわれがこだわるべきは、どちらなのか」

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