06
坐卓の彼方でお二人とも、怪訝な顔だった。
暫しの沈黙ののち、その顔を互いに向き合わせるとサリアタ様が小首を傾げ、両目を閉じた。
厚ぼったい瞼の奥で黒目が頻りにうごきまわる。
その眼球運動は魔法使いの方々が超自然的存在と交信する際の目遣いであり、ゾミナ様も同様の所作に入って。
「もし、そうならよ。村まで来たの初めてよ」
「うむ。森の出外れんとこで蜻蛉返りだろ」
「じゃがいも置いてね」
「だが、わしを追ってきた例なんぞ、これまで一遍もなあ」
やはり、正体を察している模様。
「溜め池には……おらんのう。念も、どこにも残っとらん」
「いそうなのは水場よね。湖のほうかしら」
探知の様子を黙って見守るおれの傍らで、チャルが、魔法使いの老夫婦をちらちら見ながら所在なげな面持ち。
目が合って、常人同士なんとなく頷き合う。
すると彼が大柄の身を揺すってこそこそ躄り寄ってきた。
顔を近づけ、もしかして……と小声で言う。
「池に出たサリアタ様の幽霊って。もしかして運び屋さんですか? 里の売り物を毎度おろしてくる」
「ああ。ええ、おそらく」
「毎度ゾミナ様に言われた場所へ見に行くと、野菜や果物なんかが山積みになってて。でも、一度も会ったことないんですよね、運び屋さんと。お化けだとは聞いてるんで、会いたくても、わたしには見えやしないんですけど」
そう言って、どこか納得した顔を浮かべるチャルだった。
その運び屋さん……存在自体は確かにお化けなのだったが、なかなかに不思議な出自の存在であり、会ったら会ったで面食らうこと間違いなしの相手でもあるため、会わずに済んでいるのなら、会わぬままでもよいのかなとは思う。
「いないわねえ。漁場にも。もう帰っちゃったのかしらね」
「あるいは来たばっかりか、だな。ちと網を広げてみっか」
先ほど布団をかたす合間にゾミナ様から伺ったのは、このあと朝餉が済み次第、長老はじめ村役の方々が送別の挨拶においでになると。
村衆もその際こぞって見送りに参じるだろうとのことであり、朝食後は、おれは場を外せなくなりそうだった。
なので、行くなら今だった。
垣間見た背景を踏まえ、あらためて行ってみたかった。
ビルヴァを離れる前にもう一度……あの場所へ。
「おった。井戸の底」
はっはと薄笑い、ひらいた細い瞳が隣の奥様を一瞥するや、すぐさま対面のわれらへ移ろって言ったのだった。
「坊がおるわ。村に来とった」
やっぱりか。
「正体は毎度の運び屋さんだ、チャル」
「あらまあ、そんな所にいたの。いらっしゃい坊っちゃん」
ゾミナ様は瞼を伏せたまま。
子供をあやすような優しい口調で。
「なあに? 水がたくさんあって嬉しいの? よかったわねえ。そう、わたしゾミナよ。憶えててくれたのね。えらい」
坊っちゃん――そう呼ばれた存在はサリアタ様の分魂。
魂は魂から生まれ出づるという天上の神業を、天下においてやってのけたカユ・サリアタ魔法使いの、魔法使いとしての真骨頂であり、里での家事の手不足を補うため、ご自身の魂から気合一発、搾り出したと聞いている。
お化けと同じく自我を持った個性的な存在だったが、精神年齢は幼いまま成長の兆候もないと言い、そこのところは生みのサリアタ様もよくわからないらしく、人間になったことがない魂だからではないかと推測されていた。
ゆえになのか、その見かけの姿は、親の姿と瓜二つ。
サリアタ様の寸分違わぬ写し身であり、容貌は怒気を刻む異相の老魔法使い……だが振る舞いは年端のいかぬ無邪気な子供という極めて特殊な存在感に仕上がっていた。
「おい坊、なんでこっちにおる。リリがきっと困っとるぞ」
まったく……言うこと聞きゃしねえ、と苦笑い。
「たぶん、来て半時と経ってないな。さっき先生から情景の内容を聞いておった最中だろう。気づかんかったわ」
「そうゆうとこは耄碌したわね」
呟いた夫人の横顔をサリアタ様は凝いっと見つめた。
「……わしがなかなか帰らんからか」
「違うみたい」
くすくす笑って一瞬、覗いた碧い瞳がおれを見た。
「先生の魂を辿ってきたようよ。里にいないって」
「道理でな」
「おいで坊っちゃん。フロリダス先生こっちよ。明日には先生も里に……あらあらあら、水遊び楽しくなっちゃった? ちょっとカユ、炊事場の水槽でばっしゃんばっしゃんやり始めたわよ。台所には今、ナグジしかいないようだけど。気づいて見てる」
「行ったほうがいいか」
「河童が飴玉もらったみたいな顔してる」
「行ったほうがいいな」
笑いながら、よっからせ、と腰をあげた。
おれも、一緒に立ちあがった。
釣られてチャルも尻を浮かせた。
こちらを見返すサリアタ様におれは言った。
「わたしは貯水池へ。あらためて参ってこようかと」
「ああ、そうだね。もういっぺん立ち寄ってみっか」
「にしても相変わらずの坊っちゃんだわねえ。見た目が」
「皆まで言うな」
われらの荷物は、帰り支度で窓下の壁際に置いてあった。
衣服も洗濯されて傍らに畳まれてあり、その場でサリアタ様は寛衣を纏う手を進め、おれは古参の服に袖を通す。
「婆さんよ、そいつはわしじゃない。あんたの誤解だ」
その間にチャルが辞去を告げ、玄関の表戸が閉まったところで寝間着姿のセナ魔法使いが広間にあがってきた。
着替え中の窓際へ、裸足でぺたぺた近づいて。
「オズカラガス様が言ってたのって坊っちゃんなの?」
「ああ。先生が里におらんことに気づいて、捜しに来よった。そのくせ今は遊んどるわ。騒ぎになる前に通してくる」
ふうん、と応え、おれを見た。
着終えた服を眺める目線が、頭の先で留まった。
朝の光りの粒を、綺羅綺羅と跳ね返す白い肌と黒い髪。
いつにもまして眩しく映った。
窓辺に立っているだけで、絵になってしまう女性だった。
「鳥の巣みたい」
口がひらくと辛辣である。
魔女の乱暴な手櫛が何度も入ってのちおれはサリアタ様と玄関を出、裏庭に回り込むとアラマルグとメソルデが、地面にいくつも描いた輪を伝って飛び跳ねる遊びをやっていた。
二人の脇を通って片隅の祠から白塗り茶碗を取り、枝折戸を抜けて村道へ出ると銀髪の少年がついてきた。
寝間着のままだ。
おれは歩きながら茶碗を懐に入れた。
「ねえサリアタ様。またすぐビルヴァに来るんだよね?」
「すぐかどうかは、わからんよ。里での結果次第だ。まあ、どっちにしても一件が片づいたら遠からず報告に来るけども、いつになるかわからん。だから忘れ物すんな」
聞いて彼は、真顔で道先を見つめ、うん、とだけ答えた。




