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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
湖畔の宿場町
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02

 その足で市場に向かい、人混みをかきわけながら買い物を終えた時には陽が傾きはじめていた。

 干乾ひぼし大豆を二袋と、塩飴を一袋買った。

 あまり日持ちはしないが乾燥パンも一袋。

 明日からの行程を考えると食糧としては少し不安があったが、荷物としてはこれが限界だった。

 補充は現地でまかなうほかない。


 市場から目抜きの広小路に入ると、のきをつらねる酒場や宿屋の看板桃燈(ぢょうちん)には火がともっていた。

 石畳に落ちたその灯りの群れを、浮草のような風情の人々がそぞろ踏み歩く。

 いずれの町でも大差ない、黄昏時の見なれた光景。

 そしておれもその点景の一部だった。


 市場と連結している船着場はこの広小路ともつながっているので、船乗り然とした男たちの姿も目についた。

 彼らの多くは粗野でなにかと威圧的だが、性根はまっすぐで、浪漫ろまん主義者である。

 宵の喧騒を一層に賑やかにしている彼らの胴間声どうまごえに苦笑しながら、おれは旅宿先へと戻った。




 看板のないその宿屋は、広小路から幾筋いくすじか西に逸れた辻脇つじわきにあった。

 昨日、町に到着してすぐに宿探しをしたのだったが、どこもかしこも満室だった。

 もとより長逗留ながとうりゅうするつもりはなく、野宿での滞在もやむなしと思いはしたものの、直近ちょっきんとなるこの町では清潔な布団で眠り、心身を休めておきたい気持ちもあった。

 思案に暮れるうち、界隈の宿屋が軒並み満室だった理由にふと思い当たり、公衆浴場を探して場末の安い湯槽ゆぶねかっていたところで、住人の浴客よっきゃくから声をかけられた。

 よほど情けない顔をしていたのだろう。

 親切に教えてくれたのが、この宿屋だった。

 船乗りたちの常宿じょうやどらしく、一見いちげんは受け入れていないとのことだったのだが、今晩は泊まりがなく最終便の過ぎたこの刻限ならばと、宿賃の先払いを条件に、扉を開けてくれたのだった。

 料金は相場よりだいぶん安く、二つ返事で支払った。

 宿の主人は四十絡みの女性で、アデルモと名乗った。

 鼻っ柱の強そうな顔貌ながら、やわらかな喋り方をする温雅おんがなひとだった。

 一人で切り盛りしているとのことだった。


「お帰りなさい。フロリダスさん」


 扉をひらくと、勘定台の奥に女主人が立っていた。

 二脚の円卓が置かれた居間は、要所に蝋燭が点り、室内は明るかった。

 客の姿はなく、魚介を煮込んだような美味しそうな匂いが漂っていた。


「この町の家並みは、群を抜いて美しい。ただ、旅人を迷わせる」


 左奥にある階段に向かいながら微笑むと、アデルモは目元をほころばせ、のどで笑った。


「用足しは済んだの?」


 おれは頷いて、階段口に掛かる暖簾のれんを押した。


「いい匂いです」


「すぐに用意するわ」


 二階が宿所になっており、六基の寝台が並んでいる薄暗い大部屋にも、やはり人の姿はなかった。

 どうやら今晩も定客じょうきゃくの泊まりはないようだった。

 残念なようでもあり、ありがたくもあった。

 暗がりに白く映える整えられた寝台の傍らに、おれの背嚢はいのうと、短剣と長杖があり、壁には外套がいとうが掛けられてあった。

 観光地図と食糧品をひとまず寝台に置いて、上衣うわぎふところから革製の巾着袋をとりだし、それを背嚢はいのうの底に押し込んだ。




 燭台しょくだいともる円卓に着いてすぐ、匂いのぬしが登場した。

 ポトス湖で獲れる白身魚と貝の汁だった。

 絶品だった。

 昨日の夕飯は自前で今日の昼はパンと炒めた燻製くんせい肉という軽食だったので、宿の本格的な食事を口にするのはこれが初めてだった。

 船乗りが好むのは肉料理ばかりだから海鮮物はめったに作らないと彼女は言った。

 二回、おかわりをした。

 給仕をしながら調理場と円卓とを往復している女主人に夕食は済んでいるのか訊ねると、首を横に振ったのでおれは彼女を向かいの椅子に座らせた。

 新鮮な白身魚は刺身でも出してくれ、あぶり肉の濃厚な料理もあって、おれはそれらをつまみながら先に食べ終わらないようにゆっくりと味わった。


 居間の壁の中央に、大きな額縁が一つ、飾られていた。

 中には薄汚れた厚手の白布はくふが納められていて、額の下に名札が貼ってあった。

 プロスペラス号。

 宿の事情からも察するに、彼女には夫がおり、船乗りに違いないと思った。

 するとアデルモが言った。


「主人が昔、乗ってた商船の帆布はんぷなのよ」


 おれは頷いた。


「船乗りなんですね。ご主人」


「船乗り、だったんだけど、一緒になって十年くらいして、足をやってしまってね。船をおりて、はじめたのがこの宿屋なの。でも、主人はもういないのよ。三年前に病気でね。ポツ茶をもう一杯どう?」


 おれは応答に詰まってしまい、無言で頷いた。


「出身はどちらなの?」


 ポツ茶をれながら、訊ねる。


「ラステゴマ」


 素直に答えた。


「かれこれ二月ふたつきほど、草枕くさまくらです」


 ぴたり、注ぐ手をとめ、覗き込むようにおれを見た。


「あなた、ラステゴマから来たの?」


 おれが微笑し、頷くと、彼女は目を見ひらいて、椅子の背凭せもたれを軋ませた。


「ずいぶんと、まあ、遠くから」


「これまで、いくつもの宿場町を訪れたが」


 すでにからになっている皿をまわし見た。


「こんなに旨い料理を口にしたのは、初めてだ」


 本心からの賛辞に、アデルモは少し照れたように微笑んで、それはよかったわ、と答えた。


 しばらく、宿の女主人との灯下の会話をたのしんだ。

 どこから来たのかを彼女は聞いたが、どこへ行くのかは聞かなかった。

 他愛のないやりとりの合間、何度か、言葉をのみ込んだような気配があった。

 思慮深い女性だと思った。

 客がいつまでも居間に居座っているのも悪いと思い、頃合いを見て、腰をあげた。


明日あすは、夜明け前にちたいのですが」


 彼女も席を立ち、皿を重ねた。


「なら、波止場の水門がひらく頃に」


「それで頼みます。すみません」


「構わないわよ。慣れてるから。ちょっと待ってね。今、灯りを」


 調理場に消えたアデルモが、角灯かくとうを持ってあらわれた。

 受けとり、就寝の挨拶をし、暖簾をくぐった。




 大部屋の暗がりに光りが滲む。

 床に腰をおろし、角灯かくとうを足元に置いて、観光地図をひらいた。

 北の街道を、人差し指で北上する。

 やがて丘陵の森で交差する、ひと筋の川。

 名称は。


「ホーキ川」


 呟いて、東へ動かした指先を離した。


 地図をたたみ、背嚢はいのうを引き寄せた。

 そうして灯りに、中身を照らした。

 水筒、角灯、発火石はっかせき、日時計、銅鍋、竹笛、寝袋、天幕てんまく、革製の巾着袋。

 それらの一つ一つを、あらためながら詰め直し、最後に食糧品を収めた。

 入りきらない水筒と角灯は背嚢はいのうの両脇にげ、遊ばないように紐で縛った。


 短剣を手に取り、鞘を抜く。

 剣身を光りに曝すと、くすんだ赤金あかがね色がきらり閃いた。

 剣術の心得などまるでないが、旅のたすけに郷里で求めた鋳造ちゅうぞうの銅剣だった。

 今のところ幸いにも、この切っ先を人に向けるような事態には遭遇していない。


 材質は厳密には銅とすずの合金である青銅。

 だが、錫の含有量がわずかなので純銅に近い色味だ。

 選んだ理由は、単に安かったからである。

 汎用金属の八割方は産出量の多い銅であり、それを主成分として用途に適した合金が作られる。

 武器に使われるのは硬度と強度に優れる青銅なのだが、錫は産出量が比較的に少ないため、その添加量で値段が大きく変わるのだった。

 青銅よりも強靭な鋼鉄製の鍛造たんぞう剣なんぞは、はなから選択肢になかった。

 広範な需要に比して供給が少なく、貴金属に分類される鉄を刃に用いた鍛冶製品は総じて高額であり、鉄剣(ひと)振りの値段で家が十軒建つとわれている。

 扱い自体もてあまし気味のおれには、安価な鋳物いものの既製品で充分だった。


 剣身に息を吐きつつ、手ぬぐいで丁寧に拭いていく。

 その手ぬぐいが、なかなかに襤褸ぼろなので、磨いているのか汚しているのかよくわからなかったが、気休めの作業を終えて、鞘に納めた。

 背嚢はいのうの隣に、ごとりと横たえた。


 忘れている物はないだろうか。

 考えながら、思わず、深呼吸をした。


 いよいよだ。

 ようやく、ここまで、たどり着いた。

 先生のお言葉のとおりだった。

 あくまで、噂でしかないようだが。

 火のないところに煙りは立たぬ。

 間違いないと思う。

 あとはその火元を、見いだせるか、どうか。

 いずれにしろ、もう、遠い話しではない。

 長かったが、もう少し。

 もう少しで、君に会えるだろう。

 明日、ついに、樹海に向かう。

 おれを導いてくれ。


 立ちあがり、角灯を壁際の台に置き、服を脱いだ。

 灯りを消して、布団にもぐった。

 まぶたを閉じ、ゆっくりと、深呼吸をした。

 太陽の匂いがした。

 階下で、物音が断続的に聞こえている。

 アデルモが片づけをしている物音が、子守唄のように。

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