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01

 日の位置は定かならずも天心に確かに近づいた。

 (まば)らに覗く光りは(したた)るように細く、そしてまばゆい。

 マルセマルスカスは登る。

 木々の鬱然たる斜面を、おれはそのあとに続く。

 魔法使いの進路もやはり、北であった。

 勾配の強い地形はこのまま、ホズ・レインジの山中(さんちゅう)へ、つながっているように思われた。

 悪質な登り坂を進みながら、訊ねる。


「サリアタ様のお住まいは、山間(さんかん)にあるのですか?」


「いえ。深くは入りません。これを登り切ると谷に出ます。その谷底を流れる川を渡って、もうひと踏ん張り登った丘の、てっぺんです」


「ああ、川が」


「渓流です。とくに名前はないようで、サリアタ様は渓川(たにがわ)とか単に川とか、近い川などの呼び方をされています」


 相槌を打ってすぐ、おれは自分の名前をまだ告げていなかったことに気がついた。

 先をゆく魔法使いの背に、無礼を詫びる。

 右手を差し出すと、彼は笑顔で応じてくれた。


「庭のコズヒメノグサが、そろそろ花を()す時候です。実や葉だけでなく、花も生薬(しょうやく)となり、炎症を抑える効能がありますので、のちほど(せん)じてお出ししましょう」


 礼を述べながら、あらためて思った。

 マルセマルスカス氏は、やはり医療従事の経験がおありのようだ。

 先ほど彼が発揮した顕微眼(けんびがん)は、肉眼では捉えられない極微の対象を識別する透視のちからであり、診断に特化すると細胞の個々の働きから病原菌の追跡にまで及ぶ。

 その使い手たちが医師の免状をも得るのは稀であったが、異能者の生きる方便(たつき)として医学を修め、町の診療所に常駐することは珍しくないのだった。


 同じ透視に分類されるが指向性のまったく異なる千里眼(せんりがん)は、物理的な距離に関係なく着眼点を捉えるちからである。

 こちらはどうやら、サリアタ魔法使いが発揮したものと思われる。

 遠隔の眼力で、おれの荷を看破した。

 その人物の年齢は、今や百歳を越えていると言う。

 加齢によるちからの衰えはないと聞くし、老境に至っても現役の魔法使いは多く在ったが。

 少なくとも六十七年、この樹海に住んでいるらしい一人の人間が長命を保っている点に、マルセマルスカス氏の存在が大きく寄与しているのは間違いないだろう。




 左手に持った長杖で、足場の悪い斜面を突きながら、(から)の右手を握りしめた。

 その手で彼と、握手をした瞬間に、脳裏をよぎったのは過日の記憶だった。

 アデルモのご主人の件である。

 ただ、今となって思うのは、神秘的な問題に対する、おのれの無知っぷりだ。


 超自然的存在の実存を受容することは、不可視の存在を敬う心を持つということである。

 それを通念として浸透する社会に暮らすおれ自身も、当然その点は得心している。

 しかし、その得心を実感として受けとめられるのは魔法使いのみで、ちからのない常人にとっては、一般的な教養にとどまってしまうところは、如何(いかん)ともし(がた)い。

 それが現実である――と、言い訳がましく片づけるつもりはない。

 これまでのおれの日常が、物質に大きく偏っていたのは、性分が極端なだけだ。

 魔法使いたちの語りは、おれにとっては知識に過ぎず、そもそもからして無関心であった。

 ただの机上の理解でも、自分が望んだ仕事に就いて、生活していくことが叶っていたからだ。

 朝な夕な、書物と論理と機械にまみれた日々であっても、支障なく生きられた。


(ふふふ。それはあなたの領分でしょ。フロリダス先生がわからないものを、あたしにわかるわけないじゃない。あ、これ綺麗)


 思わず足がとまった。

 込みあげる情動を抑え、歩き出す。


 もっとちゃんとしっかりと、耳を傾けておくべきだったと、今さらながら。

 生死の隔絶を超え、握手が成立する、その道理。

 そんな実例は、一度も聞いたことがなかったが、あれは、やはり。

 幽霊と、おれは干渉し合ったのだと思う。

 固定観念に近い、経験上の先入観が、あの接触を、矛盾と決めつけた無学を恥じる。

 きっと、神秘的なからくりがある。

 自分には到底、はかりきれないが。


 そのからくりを。

 今、目の前をゆく人物は。

 知っているのではなかろうか。


卒爾(そつじ)ながら」


 思い切って声をかけた。


「魔法使いに、お聞きしたいことが」


「さて。なんでしょう」


 歩調をゆるめ、振り返り、頷いた。

 おれは右肩を負傷した経緯を、かいつまんで説明した。

 死中に活を得た不合理な体験を語り終えると、彼は感じ入るようにおれを見て、無事の生還を言祝(ことほ)いでくれた。


「わたしは形而上(けいじじょう)の問題に関し、恥ずかしながら無学です。わが身に起こったその状況を、どう理解したらよいのか。肉体を持つ生きている人間が、肉体を持たない死んだ人間と、物理的に干渉する。そんな話しは聞いたことがありませんし、葬儀の場でも、故人とご遺族とが触れ合うような魔法の行使は、一度も目にしたことがありません。わたし自身の経験からも、それは」


「なるほど」


「手応えも、確かにあったのです」


 すると、マルセマルスカス氏は不意に両目を閉じた。

 まぶたの奥で、眼球がせわしなく動いているのが見て取れた。

 それは多くの魔法使いが、超自然的存在と交信する際に見せる様子に似ていた。

 鼓動が早まる。

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