03
ルイメレクの死に立ち会った、弟子?
茫然として、問いかけるように、マルセマルスカス魔法使いを見返すと、彼は頷いた。
「サリアタ様と、申されます」
「その方も……。では魔法使い?」
「はい。齢百を越されておりますが、大事なく。実は」
言いさして、かるく頭を垂れた。
「わたしがこちらへ参りましたのは、サリアタ様のご指示なのです。ただ、あなたが樹海にいらしった意図までは判じかね、あのようなお声がけとなりました。そこであなたが、ご先代様のお名前を口にされたので、確信に至った次第です。やはり、それを目的に、おいでになられたのだと」
足元の背嚢をちらりと見た。
釣られて落とした視線を、すぐにもちあげた。
「その方ならば。サリアタ魔法使いならば、見極めてくださると?」
「はい。あなたがお持ちになった、茶色い小袋。その中身。サリアタ様には、すでに見当がついておられるようです」
おれは固唾をのんだ。
「あなたのご返答の如何によっては、お連れするよう、仰せつかっております。その際は、封じをほどこすようにとも」
「封じ?」
はらりと、包みの布がひらかれた。
魔法使いの手に露となったのは、艶のない灰色をした金属の板だった。
打ちのばされた板金らしく、表面は斑に波打ち、四方の縁もいびつだった。
ところどころに鈍い銀色の覗くそれが、複数枚。
と、思ったがよく見ると、違う。
一枚の金属板が、四つ折りになっている。
「これは、ご先代様が残された、蒐集品のうちの一つです。素材はご覧のとおり金属ですが、単一のものではなく、どうも合金らしいとのこと。しかし、主成分はわかっています。土鉄です」
その金属名を聞いて、おれは少し、たじろいだ。
土鉄は、一般には流通しない規制金属だった。
貴金属の鉄を意味する言葉で呼ばれているが、それは製錬後の色味が鉄に似ているからで、成分は鉄とは無関係である。
採掘の盛んな銅鉱石とともに産出することが多く、低融点で加工も容易と、都合のよい面が多々あるのだが、ご先祖が記した有用資源の要綱にその名が示す金属は含まれていない。
理由は、人間性をも破壊する強い毒性。
体内に土鉄の成分が蓄積すると、感覚異常や内臓疾患などの重篤な症状のみならず、精神までも侵されてしまい、人格が変質、凶暴化するのだという。
自然環境にて土鉄を多量摂取する機会はまずないが、製錬作業の過程では継続的な直接吸引の危険があり、よって要綱から除外されたとのことだった。
マルセマルスカス氏が続けた言葉に、おれは目をまるくした。
「この土鉄と、あなたがお持ちになられた小袋の中身。同種のものではないかと、サリアタ様はお考えのようです」
土鉄と同種?
「それは、どういう意味ですか。土鉄の毒性と、同じものだと?」
即座に問うと、魔法使いは困ったような表情を浮かべ、苦笑した。
どうやら、詳しいところまでは聞いていないようであった。
頭をさげられてしまい、あわててとりなした。
土鉄との照合は、当然ながら、われわれも行っている。
同一成分は、検出されなかったのだが。
おそらく魔法を用いての、サリアタ氏のその見立ては、いったい。
「小袋の中身が、サリアタ様のお考えどおりの物であれば、この土鉄の板でくるむことで、力が弱まるそうなのです」
「力が、弱まる?」
その場に屈んだ。
「出していただいて、よろしいですか」
戸惑いつつも、従った。
袋口をひらき、手を入れる。
そうして革製の巾着袋を、つかんだ。
瞬間だった。
違和感があった。
ゆっくりと引き出した自分の手には、間違いようのない。
だが、おれは、確か。
着ているこの外套の懐に、入れたのではなかったか。
釈然としないものを感じながら、顔をあげると。
地面に、四つ折りだった金属板がひろげられていた。
土鉄は硬度が低いため、板状であれば、腕力でも加工し得る。
「こちらへ」
置くように促された。
しかし、おれはそこで、ためらう。
内から湧きあがるような情動があり、差し出すのをためらった。
状況の違和感。
それが心につかえたように思えるが、そうではないような気もする。
マルセマルスカス氏の促す言葉に、反抗する子供じみた感じもあり、われながら戸惑った。
だが、招待の条件は、この封じであると言う。
断れない。
おれは言った。
「土鉄の板で、覆うのですね? 自分で、やりたいのですが」
すると、彼の目つきがにわかに鋭くなった。
そのまま、おれの手にある革製の巾着袋を凝視する。
見ているような、見ていないような。
険しくも不思議な眼差しが、おれの胸元へすっと移ろうと、なにか一言、呟いた。
焦点の不確かな、その目遣い。
間違いないだろう。
透視だ。
マルセマルスカス魔法使いは、顕微眼の使い手だ。
「ええ、構いませんよ。どうぞ」
目元をやわらげ微笑んだ。
おれは頷いて、ゆっくりと置いた。
そうして全体を包み込むように、土鉄の板の四隅を、内側へ折り曲げていく。
やがて革製の巾着袋は、まるごと灰色に覆われた。
指示を受け、薄汚れた布でくるんで結び、ふたたび、わが手に持つ。
ずしりと重い。
「よろしいでしょう」
土鉄の封印。
力が弱まる。
土鉄と同種。
その毒性に似たなにかを、これは発散しているのか?
可能性に動揺しながら、背嚢に戻した。
「ところで。だいぶん、お疲れのご様子でしたが。お身体の具合に、どこか問題でも?」
おそらく顔色が、蒼褪めているのだろう。
彼のちからを見定め、つとめて冷静に、話しを振った。
「じかには触れないようにしていました。何重にも布で巻いて、厚い革袋に入れました。しかし、それだけでは、不充分だったのでしょうか? かれこれ二か月あまり、わたしは、これを持って行動しています。つまり、そのあいだ、わたしの近くにあった人に、悪影響が」
魔法使いは応えた。
顕微眼の目遣いで、今度は、おれの全身をまわし見た。
「失礼ながら、お身体を拝見させていただきました。少々、栄養に偏りがみられます。それと、右肩関節に軽度の炎症が。思い当たることはありますか?」
「あります」
「ならば結構です。血液と臓器に故障は見当たりません。周囲の生体への影響までは、考えずともよいと思います」
「そうですか」
胸をなでおろした。
「その封じは、意味合いとしましては、サリアタ様ご自身に対する処置のようです。わたしなど足元にも及ばない深遠な感受性をお持ちの方ですので、それが秘める力に感づかれた。換言すれば、その影響をもろに受ける。そういうことかと、思われます」
心臓が高鳴っていた。
樹海に唐突にあらわれた、マルセマルスカス魔法使いは、やはり。
おれの意に添う宛であったと言ってよい。
森の少女の言葉を借りれば、愚かなおれの綱渡り。
途切れたと思ったその綱を、賢者が住む家の玄関口へ、渡してくれようとしているのだ。
「では、参りましょうか。ご案内します」
腰をあげた。
おれも立ちあがり、背嚢を背負う。
両肩にかかる重みが、ぐっと増している。
だが、答えまでの道のりが時間の問題となったからか、両足はずいぶんと、軽く感じた。




