表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/205

01

 荒波のような地形に沿って縦横に進路を振りながらも、林床(りんしょう)を踏むその(ひづめ)の向かう方角は、北であった。

 山に近づいているため、登り坂の連続であり、緩急の勾配を彼女は馴れた脚運びでひょいひょい進んでいく。

 足跡(そくせき)をたどることで引割(ひきわり)を抜く心配はなかったが、自分の歩調ではないゆえに、体力の消耗は大きかった。

 ここに至って、疲労の蓄積が地力(じりき)にひびいてくる。

 情けなくも声をかけ、立ちどまるたび、振り返ってその場で待ってくれるのだが、少しすると、ぐずぐずするなと言わんばかりに前脚を踏み鳴らす。

 その流れを幾度も繰り返すうち、気づいた点が一つ。

 彼女の利き脚は、おそらく左である。




 容赦のない先導者であったが、少女の選択に従おうと、おれは決めた。

 前情報なしに、見抜いたのだった。

 茶色の小袋。

 原因までは、わからないようだったが。


(まったく邪気がない。なにも感じない。なれど、とてつもなく強い。それがおそろしい)


 その見立ては、故郷においての顧問魔術師たちの見立てと異口同音であった。

 しかし、魔法使いのそれは、状況を踏まえたうえでの発言であり、その考慮がなければ事実上、彼らの異能をもってしても探知不能であったのだ。

 こちらの状況など、彼女は知らぬはずである。

 にも関わらず、それに規格外のなにかが潜んでいることを看破したのだった。

 われわれが感じた恐怖と、同じなにかを、彼女も感じたのだ。


 森の出外れのあの(やぶ)に、ふらりと姿をあらわし、人間の前に立ったのは、偶然ではきっとない。

 気づいたからに違いない。

 正体不明のなにかが、近づいてくることに。

 あるいは無頭の杖の曰くを先に、感知したのかもしれないが、いずれにしろ、初対面したあの場所で、彼女はそれに気づいて、強く興味を持った。

 神秘のちからを行使してまで、おのれの好奇心を問うたのは、声音(こわね)が示す幼さゆえか。

 もしかすると、出会(でくわ)した(やぶ)で思わず、おれが口にした言葉。

 直後に食事をはじめた理由は、わからないが。

 理解していたのではなかろうか。

 樹海に用があると、おれはそこで告げているのだ。

 謎の力を背負った人間が、追い追いあらわれるのを、この樹海で、彼女は待っていたのだろうか。

 もしくは、この樹海に至るまで、おれの道程を尾行していたか。

 獣に追跡されているなど(つゆ)ほども考えず、そんな気配もまったく感じなかったが、雑念だらけの意識では、もとより気づくまい。

 あの森の墓場にて、わが身に起こった九死一生の顛末。

 彼女は知っているのだろうか。




 早朝の木陰の暗がりは、徐々に昇りはじめた太陽で、だいぶん薄らいでいた。

 体感と、日時計の影の推移を見るに、もう早、二時間近く歩き通しである。

 森の天窓に覗く山肌はいよいよ迫り、それに続く密林の急な斜面を前にしたところで、とうとう足がとまってしまった。

 その場にへたり込み、背嚢(はいのう)の重みにすら踏んばりが効かず、どてんと尻餅を()く。

 いったん腰を落としてしまうと、立ちあがる気力がなかなか湧かず、張った筋肉をほぐしながら坂の木々に目を配った。

 姿は見当たらなかったが、その中途で地団駄を踏んでいるであろう存在に、訴えた。


「すまんが、しばらく休ませてくれ。気持ちは()いても、足が追いつかん」


 肩紐をはずし、荷をおろした。


「日も、まだ、登り坂だ」


 正午前(しょうごまえ)の頭上を一瞥(いちべつ)してから、両膝のあいだに首を垂れた。

 深々と息を吐いて、両目をつむる。


「森に、迷われましたか?」


 不意に男の声がした。

 はっとして顔をあげると、斜面のなかほどの木間(このま)に、人影が。

 人影が、狭い樹間(じゅかん)を縫って、おりて来る。




 突然のことに目を()いた。

 木々に見え隠れするその姿は、黒い短髪で、ゆったりとした寛衣(かんい)をまとい、包みのような物を持っている。

 身ごなしの印象からも、男性。

 器用に足をすべらせながら、まもなく坂をくだり切ると、ふわりと向きなおった。

 穏やかに笑みを浮かべている。


 年格好は、四十絡み。

 彫り深い、滋味(じみ)を湛える優しげな目元に鼻筋の通った面立ちで、その顔貌をまともに認めた瞬間、ぎくりとなった。

 男の(ひたい)――眉間の真ん中やや上に、円形の小さな陥没がある。

 おれはとび跳ねるように立ちあがった。


「かような土地です。無理もありません。それとも」


 こちらへ歩み寄りながら、首をかるく傾けた。


(あて)が、お有りですか?」


 茫然となった。

 樹海に唐突にあらわれた、魔法使いに違いない男が、目の前に立っていた。

 心の準備もないままに、向かい合っている状況に、おれはしばし、固まった。

 そして、答えた。


「宛は、有ります。おそらく、あなたです」


 男の両目が(いぶか)しげに細まった。


「あなたが。あなたは、ルイメレク――様ですね?」


 問いかけると、表情から笑みが、すっと消え、真顔でおれをまじまじと見た。


「ほう。その名をご存じとは。失礼ながら」


 知り得た経緯を問い返され、簡潔に説明する。


「十三年ほど前になります。わたしの恩師に当たる人物が、臨終の間際に、わたしに、言い残したのです。難事に際し、不明が生じたら、ホズ・レインジへ行け。樹海に賢者を訪ねよ。名を、ルイメレクと」


「して、恩師のお名前は?」


「アポニ・ドレスン」


 告げた先生の姓名を、魔法使いは鸚鵡(おうむ)(がえ)しに呟いた。

 そうして思案するように目線をわずかに彷徨(さまよ)わせる。

 やがて言った。


「お答えの氏名、わたしは存じあげませんが、心当たりが、あるやもしれません。しかし、なるほど。道理で」


 なにかに合点したように頷くと、ご無礼しました、と居住まいをただした。


「違います。わたしは、お尋ねの宛では、ありません」


「え?」


「わたしの名前は、マルセマルスカスと言います。かつて、ルイメレク様がおられた地所(じしょ)に、逗留している者です」


 かつて――。

 耳に入ったその言葉に、頭がぐらりとなった。

 魔法使いが声の調子を落とし、言う。


「確かに、ルイメレク様は、この樹海にお住まいでした。ですが、すでに、お役目を終えられております」


「それは、どういう意味でしょうか」


「天上へ()がられました。彼の魂は、もはや、この天下には、在りません」


 なけなしの力がことごとく、森の底へと抜けそうになった。

 気張りでどうにか、踏みとどまった。

 天上に()がられた。

 わが尋ね人は、すでに、他界。

 おれは絶句し、棒立ちとなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ