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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
神さびる庭
15/205

03

 浅い窪地(くぼち)となった火床(ひどこ)に、焚き付けの枯れ草を盛る。

 その上に集めた枯れ枝を折り重ね、発火石を打って点火し、やがて枝に火が移ると、白煙が立ち昇った。

 焚き火の炎がなじむのを見守りながら、思う。


 森の野生が、ことごとく、おれから身を遠ざけたのは、あのラズマーフが原因であったろう。

 あれを手放して以降、山が消える不可解は起こっていないことからも、すべてはあの杖の仕業だったと考えられる。

 しかし、そうであるならば。

 苦い実の生る灌木(かんぼく)(やぶ)にあらわれた、あの哺乳動物の反応は。

 (けが)れをふりまく人間を前に、逃げもせず、威嚇もせず。

 まるで意に介していない、のんきな雰囲気だった。

 今となっては、不自然である。


 ぱちん、と木の()ぜる音に、手に持っていた枯れ枝を折って、火に()べた。

 薄暗い空き地に段々と、明るみが増してゆく。

 炎によってではなく、太陽が東に傾きはじめたからであり、ちょうど真正面の鬱蒼たる枝葉の空所(くうしょ)に、日輪(にちりん)の下端が晃々(こうこう)と射しかかっていた。

 もうしばらくのちの黄昏時が、この場所の一日で、もっともあかるくなる刻限のようだった。

 目線を下にずらし、獣が去った森を見やる。

 進路である東側の探索は、最後に行うつもりでいた。

 だが、なんとなく。

 東からはじめよう。

 そう思った。


 拾い集めた枯れ枝は湿気で燃焼が弱く、かけた銅鍋の水が沸騰した頃には、日がすっかり暮れ落ちた。

 炎にいったん目が慣れると、周囲の景色は見境のつかぬ闇一色に沈む。

 静かになった野鳥たちの宿り木も、寝言のような間々(まま)(さえず)りによってその存在を感じるばかりとなった。


 ひっそりとした宵の森に、虫の声が(すだ)く。

 苔の塩茹でを食べた。

 とりたてて、賛美する点は見つからない。

 ただ、腹はふくれた。

 明日(あす)からの行動にそなえ、今晩は早々に休もうと思いながら、ぼんやりするうち、いつのまにか寝てしまい、気づくと焚き火の火が消えていた。

 辺りはまるで墨を流したように真っ暗で、手探りでどうにか天幕に入り、寝袋にくるまった。

 夜の底に、忍び寄るような物音を微かに聞いた。

 まずいなと思いつつも、そのまま眠りに吸い込まれた。




 茫漠(ぼうばく)とした意識の中に、声が響く。


 ――それは、いったい、なんだ?


 女の声だった。

 いや、少女の声だった。

 はっとして、目を見ひらいた。


 すると。


 おれは、森の中に立っていた。

 背嚢(はいのう)を背負い、左手に自作の杖を握っていた。

 朝靄(あさもや)のような、薄白い(かす)み漂う森だった。

 地形の様子から、樹海のようだったが、拠点を発った記憶はない。

 というより、まだ、探索は始めていない。

 それを控え、眠りに就いた。


「おれは今、寝ているはず」


 気づいて、これは夢だと自覚した。


 夢の森を見渡すも、声のあるじの姿は、どこにもない。

 けれど、気配は感じる。

 すぐ近く。

 どうやら少女は、目の前にいるようだ。


 ――おまえ、なにを持ってる。


 無遠慮な、幼い声に重ねて問われ、おれは苦笑した。

 左手に持つ、不恰好な手ごしらえの長杖を見る。


「一応、これは杖なんだ。自分で削ったものだから、ご覧のとおりの出来映えだがね」


 答えると、少女が吐き捨てた。


 ――そんな木端(こっぱ)のことではないわ。おまえが背負っている、茶色の小袋(こぶくろ)だ。


 ずしりと、肩に感じる重み。

 革製の巾着袋。

 だしぬけに核心を突かれ、おれは息をのんだ。


「どうして。それを」


 ――まったく邪気がない。なにも感じない。なれど、とてつもなく強い。それがおそろしい。


「わかるのか?」


 ――わからないから聞いている。なにを持っているのだ。


 苛立った口調で少女が問う。

 思わず、うつ向いて、言葉をこぼした。


「おれにも、わからん。それを知るために、来たんだよ」


 しばしの沈黙ののち、少女が告げた。


 ――森は、おまえを好まない。


 言われ、おれは頷いた。


 ――おまえの来訪は、歓迎されていない。


「だろうな」


 意を決し、顔をあげた。


「もっともだ。承知のうえだ。それでも、わたしは、知りたい」


 すると少女が、ふん、と嘲笑するように鼻息を吹いた。


 ――進むか退()くか。もはや枝道(えだみち)は無し。愚かな、綱渡りの果てや、いかに。


 ざざっと地面を擦るような音がした。


 ――旅人よ。おまえの純粋な心、その金色(こんじき)の魂に免じ、案内する。


「案内?」


 ――ついて来い。


「待ってくれ。ついて行こうにも、わたしには、あなたの姿が」


 ――言わずもがなを。


「え」


 ――現身(うつしみ)(まなこ)をひらけ。(おの)が身を起こせ。


 そうだった。

 これは、やはり夢なのだ。

 と、言うことは、この少女は、いったい。


 ――目()めよ。




 おれは両目を閉じた。

 睡眠状態を意識的に終える、という経験は、初めてだった。

 ゆえにか身体はやたらと重く、しばらくそのまま微睡(まどろ)んだ。

 それからゆっくりと、まぶたをひらいた。

 暗い天幕の内に、微かに光りがにじんでいた。

 夜明けを告げているような、甲高い野鳥の鳴き声が耳に届く。

 そして、頭頂に位置する布扉(ぬのとびら)の、外に。

 気配があった。

 草地で足踏みするような、物音が。

 夢の森にあらわれた少女とたちまち結びつき、おれは完全に覚醒した。

 まだ幾分、身体が重かったが、なんとか寝袋から脱し、躊躇(ちゅうちょ)なく、布扉をめくりあげた。


 仄暗(ほのぐら)い、(けぶ)(もや)の彼方に見えたのは。

 四つ脚だった。

 黒光りのする(つぶ)らな瞳が、おれをじっと見つめていた。


 唖然とし、固まった身をようやく動かす。

 天幕から這って出て、立ちあがり、周囲を見渡した。

 (きり)がかり、薄暗がりに染みていく、(あか)らみはじめた払暁(ふつぎょう)が、そこにあった。

 だが、少女らしき人影は、見当たらない。

 ただ、目の前に、獣が一頭、在るだけだった。


 これでおそらくは、三度目の遭遇となる。

 そこにいたのは、まぎれもない。

 鹿だか山羊だかの、あの哺乳動物だった。


「おまえ、なのか?」


 動物の個体差は素人目に、よほど個性的な特徴でもないかぎり見分けはつかないが。

 今、相対(あいたい)する存在と、昼間この場にあらわれた存在そして、森の門前にあらわれた存在は、同一の個体。

 違いないと思った。


「あの女の子の声。おまえなんだな?」


 信じ難くも問いかけながら、一歩、踏み込むと。

 一歩、獣はあとずさり、片耳をぶるんとふるわせた。

 返事はなかったが、しかし、それ以上は離れない。

 近づくことも、遠ざかることも、望んでいない様子だった。

 その素振りは、夢の森に響いた声のぬしが誰であるかの、答えのように感じられた。


 どうやらおれは、夢を介して、獣と会話をしたようだ。

 魔法使いの中には動物の意思を感受するちからを持つ者がいると、聞いたことはあったが。

 よもや常人のおれが、似たような体験をしようとは。

 驚いたが、とても驚いていたが、特段の動揺も混乱もなかった。

 冷静だった。

 奇異な出来事に、慣れてきているのかもしれない。

 問題はそれよりも、彼が――いや、彼女が、おれに告げた言葉だった。

 案内する。

 会話を思い返してみるが、主語が明確でない。

 どこへ導くつもりで言ったのか。

 しかし、茶色い小袋。

 おれの核心をまともに突いた。

 脈絡から推察すれば、魔法使いの居どころを指していると捉えてよいように思えるが。

 そうであるなら、願ってもない申し出だが。


 迷いがあり、腹を決めかねていると、ふんと獣が鼻息を吹いて、どんと地べたを(ひづめ)で叩いた。


 人の夢で、人の言葉で、人と疎通するちから。

 ただ者ではない。

 言葉遣いに感じたのは、感情よりも、理性だった。


 孤高の気概(きがい)をまとうような、凛然たるその立ち姿。


 夢に聞いた少女の声音(こわね)は、頑是(がんぜ)ないようでありながら、威厳の(とよも)しがあった。

 精神性に深みが窺えた。

 正体はわからないが、存在としての優劣に、獣も人もない。

 信ずるに(あたい)する者かどうか、天秤皿(てんびんざら)に載ったのは、自分のほうである。


 おれは天幕にとび込んだ。

 しばらく腰を据えるつもりでいたので、勝手よく並べていた荷物を大急ぎで背嚢(はいのう)に詰め込む。

 まとった外套(がいとう)(ふところ)から引きだした手には、革製の巾着袋。

 それをふたたび押し込んで、外に出ると彼女の姿は、大木(たいぼく)の傍らに移っていた。

 北の方角に向けた前脚で地団駄を踏みながら、振り返るようにしてこちらを窺っている。

 もたもたするな。

 言われたような気がし、乱暴に折りたたんだ天幕を小脇にかかえ、火床(ひどこ)にかけたままであった銅鍋をひっつかんで、駆け寄った。

 すると彼女が、もたげた前脚を、踏み出した。


 忘れ物はないかと、空き地をまわし見る。

 天幕を吊っていた木立のそばに、みすぼらしい棒切れが転がっていた。

 自作の長杖だった。

 あわてて取って返す。

 太い幹の横を通りしな、ふと足をとめ、向きなおった。

 神木(しんぼく)――だったかもしれない巨樹に、低頭し、心で辞去を告げるとおれは、彼女のあとを追った。

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