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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
湖畔の宿場町
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01

 ウルグラドルールは湖畔にひらかれた宿場町だった。

 おれは湖南のモックルの町を素通りし、水路を利用してこの町にやってきた。

 のぞむ湖は世界最大のポトス湖であり、ウルグラドルールはその最北端に位置する。

 湖と言えどもこれほどの規模では渡守わたしもりの出番はなく、水上運送には航海用の帆船が使われていた。

 船着場も臨海諸市の港と比べ、なんら見劣りしない立派なものだった。

 降り立った桟橋から眺めたほとりの原っぱは、ジアルアネスの花で一面、薄紅色に染まっていた。

 季節はすでに、初夏であった。






 

 到着したのは日暮れ前だったが、その日はそれが最終便だったので乗り合いが多く、宿探しに手こずった。

 おれ自身に問題があったような気もするが、おかにあがっての渡りに船で、なんとか流れ着いた宿に荷を解いて、ほっと寝台に寝転んだところで、気づいたら日付が変わっていた。

 陽射しの明るい窓の外は、翌日の午後だった。


 きっぱらを宿で満たし、急いで買い物に出た。

 携行食の調達が必要だったが市場を見てまわるのはあとにして、おれは地図屋へ足を向けた。




 升目ますめ状の区画に同形の三角屋根が井然せいぜんと並んでいる。

 公共の施設や商店はそれなりに独自の外観を見せていたが、一般住宅に至っては見事に画一的で、せいぜい軒先のおもむきにわずかの違いを見いだすのみだった。

 店の場所はあらかじめ聞いてはいたものの、あちらこちらの筋道を何度も行ったり来たりしてしまって、通行人の助けを借りてようやく見つけだすことができた。


 地図を売る店は、通りに面した古書店の真裏にあった。

 むね続きだったのでどうやら地図屋の店主は古書店の店主でもあるようだった。

 むらのある硝子窓から中を覗くと、窓際の机に向かっている初老の男と目が合った。

 白髪しらがまじりの顎鬚あごひげをたくわえた店主然とした男だった。

 扉を叩いてすぐ、背の高い細身の青年が顔を出し、ご入り用は、と身をひらいた。


「ホズ・レインジの南を、東に抜けたいのですが。その道案内となるようなものはありますか」


 青年の顔を見つめながらおれは初老の男にそう言った。

 樹海を東に? と聞き返して青年が、戸惑った目を机に向ける。

 初老の男は、眉間に深いしわを刻み、珍しい生き物でも見るような目でおれを見ていた。


「お望みにかなう地図は、すまんが扱ってない」


 おれは男に向きなおった。


「では、樹海への掛かり口。適当な場所をご存じありませんか。あるいは、それを知る人物に心当たりなど」


 青年が九十度ちかく首をひねり、男が答えた。


「ないね。役場の測量隊にも、いないだろうよ」


 予想していた返答だったが。


「そうですか……」


 落胆した。


 こじんまりとした店内の壁一面に、町全体の大きな鳥瞰図ちょうかんずが貼り出してあった。

 世界各地の精細な地形図も十枚ほど貼られており、その中にはロヴリアンス地方の宇宙船古跡の地図まであったので、少し驚いた。

 初老の男が口をひらく。


「旅のお方と、お見受けするが。お兄さん」


 机の脇を指し示す。

 床に切り株が置かれていた。

 腰掛けのようだった。


「この土地へおいでになったのは、初めてかな?」


 おれは頷いて、切り株に腰をおろした。


「ならば無理もない。ご存じではないようだ」


「魔法使いのことでしたら」


 察して答えると、男は大仰おおぎょうに顔をしかめた。


「それを承知で、樹海を抜けると言われるか」


 しばし、値踏みするような目でおれの顔面をまじまじと見てから、いぶかしげに問う。


「若くはないようだが。本職の探検家では、ないな」


「ええ。違います」


 おれの苦笑に、男は首を左右に振った。


「それで、森を東に抜けたいと。なにか事情がおありのようだが……。行き先はメイバドルかね?」


 聞かれたので、頷いた。


「だったら、この町からではなくて」


 不意に立ちあがり、店の奥に消えてまもなく戻った男の手には、丸められた大判の竹紙たけがみがあった。

 それを机にひろげると、青年が四隅に重石おもしをのせた。

 この町を中心としたネルテサス地方の地図だった。

 印刷の複製品だが、手描きで彩飾がほどこされている。

 しかし、描画の精度は低く、町の北東にひろがるホズ・レインジ山麓の大森林――南部の樹海を示す大きな空白には、この地方の名所案内が書き込まれていた。

 どうやら、回遊者向けの観光地図のようだ。

 古書店のほうで販売している土産物みやげものだろうか。

 椅子に座って男が、地図の湖東をこつこつ叩いた。


「ポトス湖の東から、煉瓦道れんがみちのぼったほうが色々と早い。こっちの北の街道は裏道みたいなもんだから、荷車があんまり通ってないんだ。煉瓦道なら、簡単に便乗できるだろう」


 言って客の顔を凝視する。

 その説明への適切な返事を考えあぐねているおれの表情を、どう捉えたのかわからないが、男はため息を深々とついて、目線を地図へ落とした。


「北の街道を歩くにしてもだ。悪いことは言わない。迂回したほうがいい」


 山麓の北側をぐるっとなぞった。


「森の東はビルヴァの村だ。岸壁の村だから内陸からしか行けない。その先がメイバドルの町。まあ、確かに、ここからだと森を抜けるのが最短だがね。けれども、安全には代えられん。山麓の森は、南の樹海だけでなく、ほとんどが、あきらかになっていない。深部の様子が知れるのは、北側のポルケア山道さんどうの周辺のみ。そこが唯一の登山口だが、それだけで、ほかは全域、未開のままだ」


 このネルテサス地方に最初の人口密集地域が形成されたときにはすでに、ホズ・レインジの麓は大森林に覆われていたと伝わる。

 当時その森に対し何度か組織的な踏査が実施されているが、それは生活圏の拡大にともなう木材需要によるもので、範囲はあくまで外縁部にとどまり、建設が一段落つくとそれ以上の干渉は行われていない。

 単純に、土地の重要度が低かったからであろう。

 だが、現在に至っても一帯が未詳みしょうの領域となっているのは、それだけが理由では、ないようだ。


「二十年くらい前までは、探検家が森に踏み入ることが、ままあった。しかし、もれなく消息を絶っていることが知れてからは、誰も近づかなくなった。わしの知るかぎり、全員だ。ただの一人も帰ってこない。もちろん、理由はわからん。だが、その森に、魔法使いが住み着いているという噂は、古くからあった。その出どころも、今となってはわからんがね。しかし、火のないところに煙りは立たぬ。まず、間違いないだろう」


 黙って男の話しを聞いていた。


「この町にもな、もちろん、魔法使いは住んでるよ。その理由をあえて答えるなら、われわれが、彼らを好きで、住んで欲しいと思っているからだ。彼らのちからは、われわれの助けになる。あらゆる面で、われわれを守ってくれる。高潔で、勇敢で、善良な魔法使いだ。しかし、この世には、そうではない魔法使いもいる」


 無知な子供にさとして聞かせるような口調だった。

 探検家が樹海から戻らぬことと、魔法使いが樹海に住んでいることに因果関係はないはずだと思ったが、口には出さなかった。


「数年前、ラステゴマ地方の鉱山で、悲惨な事故があった。何十人も死んだ。かなり大きな災禍だったから、あんたも聞いたことがあるだろう」


 おれは無言で頷いた。


「だが、あれはな、事故ではない。鉱山に住んでいた魔法使いの呪いが原因だ。酷い話しさ。社会から孤立した魔法使いは、無法者だ。つまり、近づくなってことだ」


 切り株からゆっくりと、尻を浮かせた。

 仕方がないと思った。

 彼らも善良であり、彼らなりの善意で忠告してくれているのだ。


「よくわかりました。ご教示に従って、森を抜けるのは、あきらめます」


「賢明な判断だ」


 男が頷いて、微笑した。

 青年も、それがよろしいです、と笑顔で応じ、安堵したように男と顔を見合わせた。

 親子なのかなと思いつつ、机を見おろした。


 ネルテサス地方の地図は、すでに一枚持っていた。

 当地に入ってすぐに用立てたもので、地方全域を見渡せる高価な地図だったのだが。

 しかし。

 それには描かれていない地形が、眼下の観光地図には描かれてあった。


 川だ。

 ウルグラドルールから北に延びる街道が裾野の南西――丘陵地帯にひろがる森林の内部で一本の川と交差している。

 ホズ・レインジ南麓なんろくの緯線上を、東西に流れる川。

 ただ、その川筋の東側は、名所案内で消えていた。

 流水方向を示す矢印が、西を指している。

 方位記号の下に書かれてある縮尺は、二十万分の一。

 町から川まで、約二十センチ。

 おおよそ四十キロ。

 交差点から山麓までも直線距離で、おおよそ四十キロ。


 それらの情報を記憶して顔をあげると、二人のなにかを期待するような目とぶつかった。

 視線を落とした。

 丘陵のつらなる小山か、その彼方の大山か。

 この川の水源について訊ねてみようかと思ったが。

 期待する答えは、まずもって返ってこないだろう。

 知り得ただけで充分だ。

 もはや必要なかったが、情報料として地図を示した。


「これは、おいくらですか?」


 青年が飛びつくように答えた。

 高くはないが、安くもない。

 おれは観光地図を購入し、地図屋をあとにした。

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