だらだらとのんびり過ごすにしても食い物と燃料集めはやらないとな
さて、一人暮らしには少々大きな山小屋ではあるが一人でこれを維持するのは難しいだろうから機会があれば仲間を集いたいところでもあるが、今の所はまあ問題ない。
そして、これからは基本何もしないでのんびり暮らすにしても、のども渇くし、腹も減る。
夜に大きく冷え込むけではないので暖房用の燃料はたいしていらないが煮炊きのための火も必要だ。
そうなると食料や薪などが必要だな。
まずは沢から水を汲んでこようか。
おれは水甕を抱えて沢に行きそれに水を汲んで土間に運び、瓢箪を割って取手を付けた瓢で水瓶から水を汲み、水を飲んで喉を潤した。
「ふう、それなりの道具があったのはやはり助かるな」
まあ水瓶は土器なので重たいのが欠点ではあるのだが。
人間は空気(酸素)がないと3分しか生きられない、適切な体温を維持できなければ3時間しか生きられない、水を飲まないでも何とかなるのは3日、食料がなくても耐えられるのは3週間という3の法則があるが、呼吸・体温維持・水分の確保まではこれで問題はない。
仙術を極めれば飲食不要で霞があれば生きていけるようになるとも聞くが、残念ながら俺は俗人だから飲まず食わずでは渇いて飢えて死ぬ。
食料の確保に関しても穀物の種もみになるものはいくらかあるから、最低はそれを食ってもいいが、今は秋だから食い尽くしてしまうとまずい。
秋は色々なものが採取できるし、冬に備えて貯蔵する必要もある。
土間に掘った穴にうめた土器に保存がきく食べ物を入れておけば、一冬は越せるはずだ。
あとは塩の確保が問題かもしれないがこれは果実を食べることでしばらくは何とかなるだろう。
とりあえずは棗でも探すとしようか。
背負い籠を背負って俺は小屋を出て山の中の棗・栗・胡桃などを見つけては籠の中に入れ、小さな倒木や枯れ木の枝なども拾い上げていく。
実の所、竹や柳の枝など使って作る、編籠の歴史は土器よりも古いといわれ、軽くて扱いやすくのだが液体を入れることができないのが欠点であったらしい。
あとは太陽が出ている間に火を起こさなくては。
幸いまだ日は高く陽燧を使うにも十分だ。
陽燧は円形の青銅でできた凹みのある銅鏡で太陽の光を集めて火を起こすための道具。
これが使えない場合は木燧を使って火をつけるか五行仙術の火の初歩である”木生火”で火を起こすこともできるが疲れるしあまりやりたくはない。
拾ってきた枯れ枝を小刀で削って細かい木屑を作り、そこへ陽燧を使って太陽光を集めればしばらくして煙が立ちおこり、やがて火が付くので小枝をくべて火を持続させ、太い枝をいれて火を大きくしてかまどへ運び、土器に水と栗と胡桃を入れてゆで、ゆであがったら冷まして食べ、棗もいくつか食べて、余った分は床に埋めてある土器へ入れてふたをする。
栗も胡桃も、生でも食べられるが虫の卵が産みつけられているなど場合があるので火を通しておくに越したことはない。
そんなことをしているうちに日も暮れてきてしまったので寝ることにする。
今日は食べ物と燃料を探すだけで終わってしまったが、まあこんな過ごし方も悪くはないだろう。