8:「お世辞じゃないよ。よかったね紗弓、かわいい妹ができて」
「せっかくの亜季さんとのお泊まり会ですから、わたしたちは引っ込んでおきますね。お邪魔をするわけには、いきませんし」
「別にいいよ、っていうかむしろ、出てきた方がいいんじゃない?」
「そうでしょうか? 一応、天使管理官以外に姿を見せることも、できなくはないんですが」
「じゃあなおさらそっちの方がいいと思う。亜季、弟がいるんだけど、仲いいみたいだし。かわいがってくれると思うよ」
「かわいがってくれる、ですか……」
リュールはにこにこして、照れ隠しに両手いっぱいで顔を覆った。対してちょっと不満そうな様子を見せたのがロゼである。
「ちょっと。あたしはいいなんて言ってないわよ」
「ロゼは嫌なの?」
「嫌、ってわけじゃないけど……その、亜季に変な顔されたらへこむじゃない」
「変な顔て。まあびっくりはするかもしれないけど」
お泊まり会の時は、泊める側が晩ご飯を二人分用意することになっている。といっても、下の姉――つまりキノコじゃない方だが――に、下宿を始める前の数ヶ月、料理を教えられただけなので、大したものは作れないが。でも一応、亜季が「おいしいおいしい。いや、紗弓が友達でよかったぁー」と言うくらいのものは作れる。
6時半解散らしい、という亜季からの連絡を受けて、私は晩ご飯を作っていた。リュールとロゼも手伝ってくれていた。
「いい出来栄えじゃない。せっかくだからこのロゼ様が味見したげる。……うん、味もいい」
「……へえ」
「なによ」
「ん、なんか天使って、人間の味覚と違うのかなって思ってたから」
ロゼがふん、と鼻息を立てた。
「別に天使だろうと、人間と大して変わらないわよ。能力が使える、って点が大きすぎるだけだから」
「まあそりゃ、とんでもない能力が使えるような人間なんていないし。すごいことなのは分かるんだけど、なんだろ。それだけなのか、って感じもする」
「それだけでも十分なのよ」
ロゼはあれこれぶつくさ言いつつも、手際よく手伝ってくれていた。少なくとも私より手慣れている感じが出ていた。
「だから、別にさゆみがあたしたちに気を遣う必要はないわ。あたしたちがさゆみに遠慮しないのと同じようにね」
「いや、そこはこの家に置いてもらってるんだし、少しは遠慮しようよ」
そうこうしているうちに、6時半を回った。一通りご飯を作り終わって一息ついたところで、インターホンが鳴った。マンションのエントランスのカメラに向かって手を振る亜季が映し出された。
「おっじゃましまーす」
靴を適当に脱ぎ捨てて、亜季が中に入ってくる。昔実家にいた時も、亜季が遊びに来るといつもこうだったから、今さら気にはしないが。
「あっ! ご飯できてるじゃん」
「さっきできたとこだから。冷めないうちに食べよ」
「そうしようそうしよう」
何週間かぶりのお泊まり会ということもあってか、亜季はノリノリだった。台所に一番近い席に私が座り、その向かいに亜季が座る。しかしもう二人分、いすとちょっとだけ食事が用意されている。
「なにこれ?」
「すぐ分かるから。ロゼ、リュール、いいよ」
リュールが分かりました、と言う。まだ私にしか聞こえていないし見えていない。それがだんだん、ぼんやりと聞こえ、見えるようになる。ロゼもリュールもすでに、ご飯が用意された席についていた。
「うわ! なんか出てきた!」
「は、はじめまして」
ロゼが余計なことを言う前に、素早くリュールがあいさつ。律儀な対応に亜季はキョトンとしつつも、自己紹介を聞いて「あ、えー……よろしく」と言うしかないようだった。
「今日の昼、天使がどうとかいう話してたでしょ。その天使二人」
「マジ!? 紗弓が言ってたのとちょっと似てるじゃん!」
ちょっと似てるも何も、最初からロゼとリュール本人を描いてたんですけど?
「ホントだ、天使の羽生えてる」
「一応、空も飛べる仕様です」
リュールが嬉しそうにパタパタと羽を動かしてみせる。それを見て亜季がさらに感動の声を上げた。
「天使って、比喩的な意味じゃないよね? マジモンの天使なんだよね?」
「はい。実は紗弓さんにも、まだあまり信じてもらえてないのですが……」
「そりゃそうだよ、紗弓ってこう見えて、結構疑り深いとこあるし」
「そうなんですか?」
むすっとしたオーラを感じる。構ってもらえてないロゼの方からだ。
「ちょっと」
「お、こっちのお名前は?」
「……ロゼ。よく覚えとき」
「かわいい〜!」
「へっ……?」
さっきまで話していたリュールはそっちのけで、亜季がロゼに頬ずり。ロゼがあっという間に顔を真っ赤にして口ごもった。
「かかっ、か、かわいいとか! そ、そういうお世辞はいいのよ!」
「お世辞じゃないよ。よかったね紗弓、かわいい妹ができて」
「わたしもかわいいって言ってほしいです……」
「リュールちゃんもかわいい。マジ天使」
マジ天使ってこういう時に使う言葉だったのか。
「へえ、紗弓の話、本当だったんだ」
「そんなとんでもない嘘、私はついたことないでしょ。亜季ならともかく」
「なんでわたしならありそうみたいな話になってんの?」
なんで、と聞いてきた割には、亜季はぺろっと舌を出してみせていた。言うことと表情がずれてんぞ。
「最近なんか楽しそうって思ってたら、そういうことだったのか」
「そんなに顔とか態度に出てた?」
「バリバリ出てたよ。気持ち悪いくらい」
「そんなに?」
いくら妹がほしいというのが悲願だったとはいえ、さすがに気持ち悪いなと自分でも思ってしまった。でもロゼとリュールみたいな子が妹ってそうそうないだろうし、きっと私は恵まれているのだ。感謝しなければ。
「いいなー、楽しそうで」
「なんで? 亜季だっていつも楽しそうじゃん」
「たぶん昨日までの話になると思うよー。今日いろいろ察した」
「……サークル?」
「そ。たぶん紗弓が正しかった」
話を聞くと、どうやら亜季の行ったサークルは本当にチャラチャラしたところらしく、亜季をそういう目で見る連中ばかりだったという。ほぼ初対面の亜季がそう感じたと言うのだから、相当下心がむき出しだったのだろう。
「しかも最低月一、多くて週一で飲み会あるっていうし。紗弓ならともかくさ、わたしそういうの断れないから」
「うん。入会断れそう?」
「頑張ってはみるけど。……あーっ、わたしってほんと見る目ない」
大学に入って、少し明るい色になった髪の毛を亜季がかきむしる。染めてみようかと好奇心を抱いたものの、めんどくさい気持ちが勝って結局黒のままの私の髪とは違う。亜季が髪を明るくしたことで目をつけられたのだとしたら、染めるのはよかったのか悪かったのか。
「亜季に目つけてそうだな、って人は?」
「いた。たぶん2年生だと思う。今日の歓迎会の時も、わたしの顔と胸ばっか見てた」
「そんなにあからさまに?」
「そ。絶対飲み会とかにかこつけて、何かしてくるでしょ」
亜季は決して胸が小さい方ではない。中学卒業間際の頃には、すでに私には追いつけないほどの差があった。だからこそ、そういう目線に敏感なのだろう。
「別に彼氏ほしくないわけじゃないんだけど、そういうのはまだいいかなって思うんだよねー。なんかエリンギみたいな頭してるのも、いまいち気に入らなかったし」
「出たキノコ」
「ん? どゆこと?」
「ううん、大丈夫。こっちの話」
私の中でタイムリーってだけだから、お気になさらず。
「一人で行って、断れそう?」
「微妙なとこ。そのエリンギ、会長と仲いいみたいだし、会長に出てこられたら勝てないかも」
「私も行こっか?」
「そうしてもらえると助かる」
亜季は人の誘いとか頼みをあまり断れないタイプだ。このままそのサークルに亜季が入れば、あれよあれよという間に飲み会に連れていかれ、お酒を飲まされ、お持ち帰りまでされてしまうかもしれない。亜季がそんな目に遭うのは嫌だ。私なら、飲ませようとしてきた先輩の鼻の穴から日本酒流し込んで帰ってくるくらいはできるかもしれないが。
「ごめん、トイレ借りていい?」
「どうぞ」
一足先に食べ終わった亜季が、そそくさと席を立った。がちゃん、とトイレのドアが閉まる音がしてから、ロゼが鼻をひくつかせた。
「どうしたの」
「亜季、なんか怪しいわよ」
「どうして?」
リュールはロゼの方を見て、きょとんとした顔。ロゼは今までの態度が嘘かと思うくらい神妙な顔をして続けた。
「亜季から、天使の匂いと悪魔の臭いが両方する。天使は一人分だけど、悪魔の臭いがすんごく濃い」