7:「そう、それでいいのよ。ビジネスパートナー、ビジネスパートナー」
「……つまり、閉鎖血管系、から開放血管系に切り替えると、一度流れ出した血が心臓に戻ってこれなくなる、って感じ?」
「だいたいそんな感じです。でも天使は一時的にそんな状態になっても、ちょっと苦しくなるだけでだいたい平気なんです」
3限が終わって4限の教室に移動する間に、私はリュールにそのことを尋ねてみた。
「それで平気でいられる意味が分かんないけど」
「もちろん、人間なら即死ですよ? それは以前、ロゼが言った通りです」
ロゼも一瞬で意識飛んでたから、あんまり大丈夫ではないんだろうけど。
「……ったく、よくも軽々しくあたしを実験台に使ってくれたわね」
「あ、ロゼ。生きてたんだ」
「生きてるわよ!!」
あの時こそ意識を飛ばしていたが、リュールもすぐに元の閉鎖血管系に戻したらしく、講義も中盤に差しかかる頃にロゼは目を覚ましていた。そしてきょろきょろと辺りを見渡してから、もう一度眠りについてしまったのだった。
「あたしが屈強な天使様だからよかったものの。ほんと”神”は何しだすか分かったもんじゃないわね」
「ごめんなさい……わたしの力を示せる、いい方法が思いつかなくて」
「いいのよ、別に。頭上げなさい、あたしリュールが謝ってるとこ見るの、あんまり好きじゃないし」
で、リュールの力のほどは分かったの?
今度はちょっぴり不機嫌そうにロゼが私に尋ねてきた。
「ううん。よく分かんなかった」
「あたしの犠牲は何だったのよ!」
だってほんとに分かんないんだから仕方ないじゃん。
「……ま、さゆみの言うことも分かるけどね。あたしの能力みたいに現実離れしたところがはっきり見えるわけじゃないし。葉っぱが全部落ちたのだって、たまたま風が吹いてとか言われればそれまでだし。あたしが倒れたのだって、はたから見ればたまたま発作を起こしたから、って可能性がなくもないし」
確かにそうだ。ロゼの能力なら、空気中の水分を集めてナイフのようにするところがはっきりと分かる。それは現実では絶対にありえなくて、超能力の類だとすぐに分かる。でもリュールの能力は表に出にくい分、実感しにくい。説明されるとすごいことだという気がしてくるが、どこか引っかかるところがある。
「……その分、ロゼがいてくれることで、自分の能力がとんでもないもので、ちゃんと第三者の管理が必要なんだって、いつも認識させてもらえるんです」
「褒めても何も出ないわよ」
「褒めてないよ。わたしはただ、ロゼと一緒にいられて嬉しいだけだから」
「なッ――」
ロゼがリュールの笑顔にぎょっとして、急にあたふたしだした。
「べ、別に、その、あれよ。あれなんて思ってないし」
「『あれ』?」
「あたしは別に、一緒に人間界に降りてきてとか言ってないし。一人でいいって何回も言ってたのに、リュールが勝手についてきたんだもん。あくまであたしは嬉しいとか思ってないから。あたしとリュール、あんたは単なるビジネスパートナーだから」
「分かってるよ。ロゼとわたしは、ビジネスパートナー」
「そう、それでいいのよ。ビジネスパートナー、ビジネスパートナー」
そろそろロゼがちゃんと意味を分かってビジネスパートナーと言っているのか、怪しくなってきた。というところで、4限の講義が始まる。ちらほら髪に白いものが混ざり始めた学科長が担当の、専門基礎科目の講義だった。
「やっほー」
「亜季。講義早く終わったとか?」
「ううん。休講だった」
「ちゃんとそういうの見ときなさいよ……」
「大丈夫。こういうのはないと思ってたら実はありました、って方が怖いから。あると思ってたらなかったくらいなら、全然問題なし」
4限終わり、いつも待ち合わせ場所にしている食堂前に行くと、すでに亜季が退屈そうにして待っていた。確か亜季の4限は中国語だったはずだ。って、どうして私の方が詳しいの?
「それはある意味正しいんだけどさ。だからって休講情報を確認しないのはダメでしょ」
「それについては今後、努力するつもりです」
「嘘つけい」
私も亜季も、キャンパスから十分ほど歩いた場所に家がある。亜季とは学部が違うが、1年生の間はみな同じキャンパスで教養科目を取ることになっている。それに2年生以降、私たちの通うキャンパスはともにそう離れていない場所にある。
「嘘じゃないもーん、頑張るもーん」
「亜季の頑張るは頑張るべき時だって感じたら、って話でしょ。亜季が頑張るべきって思うのなんて、5年に一度来るかどうか」
「そんなことないもーん、2年に一度くらいは来るもーん」
あ、そうだ。
ふいに亜季が立ち止まって、私の方を見た。
「なに?」
「今日紗弓の家に行ってもいい?」
「サークルの新歓に行く、とか言ってなかったっけ」
「あ、それ。でも別に飲み会とかするわけじゃないし、そんなに遅くならないとは思うから。ちょっとそろそろ、紗弓成分が足りなくなってきた」
「なにそれ」
お互いに一人暮らしということもあって、時たまお互いの家に遊びに行って、そのまま泊まっていくなんてことを、私と亜季はよくやっていた。まだ大学に入って半年も経っていないというのに、たぶん両手の指では数えきれないくらいお泊まり会をやっている。なんだかんだ言ってさみしいのだ。
「じゃ、サークル行ってくる。また後でね」
「はいはい」
ちょうど家まであと半分くらい、というところで、亜季はもと来た道を引き返していった。亜季を見送って私が歩き出したタイミングで、今度は私にしか見えない妹が話しかけてきた。
「紗弓さんはサークルとか、部活には入らないんですか?」
「めんどくさいもん。私バリバリ部活するの嫌だし、かと言って緩いサークルとか行ったらろくな事ならなさそうだし」
緩いサークルと言えば、飲み会とナンパ三昧と相場が決まっている。無理やりお酒飲まされるのは勘弁してほしいし、姉の彼氏みたいな腐ったキノコ頭の男に言い寄られたくもない。ああいうのってよっぽどヤバい奴じゃない限り、ピラニアみたいに寄ってくるからな。
「……それは偏見なのでは?」
「んー、でもあながち間違ってないと思うよ。中堅大学の名前だけのサークルって、だいたいそんな感じだって聞いたことあるし」
「……もちろん、紗弓さんの自由なのですが……」
リュールが引いている。そりゃこんなに過激な考え方をする新入生もそうそういないだろう。でもサークルの先輩の男を信用するな、と言ったのは誰あろう、姉なのだ。キノコの彼氏持ちじゃない方の、だが。いくらにっくき姉と言っても、血がつながっている人の言うことは疑えなかった。
「じゃああの亜季っていうのはどうして? その緩いサークル、っていうのに入ろうとしてるんだし、止めればいいじゃない」
「その通りなんだけど。ほら、亜季って変な人でしょ? 変な男に捕まることはないかな、って」
「変な男は変な女でも捕まえると思うんだけど……」
ロゼの言うこともごもっともだ。だけど亜季がせっかく楽しみにしていたし、むやみに止めるのもよくないだろう。それに大学に入ってからは控えめになっているが、亜季は昔からことあるごとに、
「紗弓成分が足りない!」
とか言って私に抱き着いてくるような子だったから、突然変異して「男成分が足りない!」とか言い出すことはないだろう。たぶん。
「ま、亜季がおかしくなったら、さゆみもすぐ分かるんでしょ。その時に止めてあげればいいんじゃないの」
「そうする。ありがと、ロゼ」
「そ、そ……そういうのはいいのよ。しょっ、正直にありがとうなんて、気安く言うもんじゃないわよ」
「ありがとうは安売りするもんでしょ。ほら、ありがとう、ありがとう」
「あああぁぁぁ!!!!」
ロゼがわざと大きな声で叫んで、耳をふさいだ。リュールも笑っていた。
はたから見れば私は圧倒的に変な人だったが、私は気にせずに家までの道すがら、ずっと変な人でいた。
 




