5:「ギリ犯罪じゃないだけでも、亜季さんは安心です」
「……って話なんだけど。聞いたことある?」
「いやー、ないね」
ロゼとリュールがやってきてから、一週間ちょっと経った。私は大学の食堂で、中学からの友達の亜季と一緒に早めの昼ご飯を食べていた。私は豆腐ハンバーグにご飯と味噌汁、亜季は冷やしぶっかけうどん。
「あ、でも、天使に会ったことあるって人はいたような」
「それは亜季の友達の弟の彼女の話でしょ。しかも天使は天使でも、チョコビードロの金のエンジェルが当たったってだけじゃん」
めったに出くわさないものだし、すごいことだというのはよく分かるのだが、もう二、三回亜季から聞いたことのある話だった。近いような、遠いような。いや、遠いか。
「よくご存じで」
「そういう話をしてるんじゃないの。マジもんの天使、私が会ったのは」
「マジもんの天使、ねえ」
ずるずるずる、と亜季が勢いよくうどんをすする。あ、こら。つゆ飛んでんじゃん。
「ほら。輪っかが頭の上についてて、羽が生えてて。おまけに訳分かんない力使えて」
「そんなありきたりな天使いるー?」
亜季にしては的確な指摘だ。確かにそんないかにも天使です、みたいな天使は逆に怪しい。でも実際私は、ロゼが空気中の水分を集めて武器に変える、というのを目の前で見ている。しかもこの大学の構内で。
「む……そりゃ、怪しいのは間違いないけど」
「それにあれでしょ。どうせ紗弓には見えるけど、わたしには見えないやつでしょ」
「そうなんだよなー……」
その通り。いくら「こんな上から目線のムカつく天使がいるんです」とか「こんな人畜無害そうに見えて、いろんな意味でやべー天使がいるんです」とか言ったって、実物を見せられなければ意味がない。天使は憑依した人以外には見えない仕様らしいし、私にはどうしようもない。まあ、そうまでして信じてもらうこともないかな、とも思っているのだが。
ちなみに話題のロゼとリュールがどこにいるかというと。
「ねえ! お腹空いた! ごはん!」
「仕方ないよ、我慢しよ。ここ食堂だし、”実体化”をわざわざ使うほどでもないでしょ」
「でも! お腹空いたもん! リュールの腕かじっていい?」
「かじっていいけど、おいしくないよ」
すぐそこにいる。だがどうやら、ご飯が食べられなくて困っているようだ。主にロゼが。っていうか、腕かじっていいんかい。
「ごめんなさい……何とかなりませんか」
「後でコンビニ寄るから。亜季とは3限別だから、適当に別行動するって言えばいいし。食べたいもの考えといて」
「分かりました。じゃあわたしは梅おにぎりでお願いします」
私はそばに寄ってきたリュールと小声で会話した。ずるずるずる!とうどんをすするのに夢中な亜季には、気づかれてなさそうだ。だからつゆ飛んでるってば。
「でさ。その天使っていうのは、どんな見た目なわけ?」
「見た目? っていうか、信じる感じ?」
「だって紗弓がそんな訳の分からん嘘ついたこと、今までなかったし。じゃあだいたいホントかなって思った。思うことにした」
そんな判断基準でいいのか亜季。そんなんだから明らかに怪しいキャッチセールスの電話にだまされかけたんじゃないのか。
「見た目……」
私はルーズリーフを引っ張り出して、ロゼとリュールのだいたいのイメージを描いた。自分でも分かる。これはギリギリ人に伝わるか伝わらないか、って感じの絵だ。
「何これ」
「いや、その天使なんだけど」
「んー? わっからん」
伝わらなかった。いや、知ってた。私の絵って人に見せて伝わる確率が半々なのだ。だから伝わらなかったところで、今さら落ち込みはしない。そう、落ち込んではない。
「いやー、分からんねこれは」
こらそこ。さらに追い打ちをかけない。
「ちょっと! あたしこんな変な顔じゃないわよ!」
ふと私の絵に目を止めたロゼがぶー垂れてきた。もちろん亜季には聞こえない。私は仕方ないでしょ、と言いたげな顔を亜季に向かってするだけにとどめた。
「ま、いいや。ちっちゃい女の子二人だってことは伝わった」
「それが伝わったならよし」
「ギリ犯罪じゃないだけでも、亜季さんは安心です」
「ギリ犯罪じゃないって、元から犯罪じゃないでしょうが」
とまで言って、私は気づいた。いや、犯罪か。普通は同性とか異性とか関係なく、あんな小さい子を保護したら、普通は警察なりなんなりに届け出ないといけないだろう。それをやってない時点でだいぶグレーゾーンだ。まあ、届け出ようにも私以外には見えないから、意味ないんだけど。
「……あ、次レポートあるんだった! やってない!」
今度は急に亜季が慌てだした。ほんとに忙しい子だ。しかも先週も同じことを言ってたから、全く反省してない。
「それ、3回すっぽかしたら落単ってやつじゃなかったっけ」
「そう! もう2回やってる! やばい!」
リーチじゃないですか亜季さん。しかも私の記憶が正しければ、落としたら高確率で留年のやつだ。そんなんでいいのか亜季。いや、ある意味ぐうたら大学生っぽいのかもしれないけど。
「じゃあ! また4限終わり!」
少し残ったうどんを口に詰め込むと、亜季はさっさと席を立って行ってしまった。ある程度亜季が遠ざかったタイミングを見計らって、リュールがおそるおそる話しかけてきた。
「今のが、紗弓さんのご学友の……」
「ご学友とかいう表現初めて聞いたわ」
「お友達? ご親友の……」
「そう、亜季。聞いてる感じ天使のこと知らないっぽいし、天使管理官、とかいうのじゃないでしょ」
「ええ。天使が近くにいる気配はありませんでした。これだけ近くにいて感じなかったのですから、本当にご存じないのだと思います」
私は冷めかけのご飯の残りを食べ切って、席を立った。
「亜季さんは、紗弓さんとは違う学部なのですか?」
「そ。亜季って結構ポンコツなとこあってさ。何するところかあんまり調べもせずに受験してるんだよね。それでなまじ受かっちゃったもんだから、ああやってポンコツ大学生活を送ってる感じ」
なまじ受かっちゃった、とか言ったら落ちた人はどうなるんだ、という話だが。
反応しにくい話しちゃったな、と思っていると、予想に反してリュールが何でもないような顔をして口を開いた。
「ああ……ロゼもそんな感じです。わたしたち一応、天使学校を卒業した身なんですが。ロゼはなんとかお情けで卒業させてもらった、みたいな感じで」
「そうなの?」
「天使学校に行かない道も、もちろんあるんですよ、でもいつも目立ちたがるロゼが、そこだけは妙に普通の女の子らしさにこだわって。結果、留年レースを毎年のように……」
「違うわよ、リュール」
さすがにボコボコに言われて気に障ったのか、ロゼが不機嫌そうに口出ししてきた。こいついつもこんな感じだな。
「留年『レース』じゃないわ。ほぼ留年確定だったのを、無理やり通してきたのよ」
「直談判とか?」
「直談判よ」
「ダメじゃん」
でも能力では33位だから許されてきたんだろうか。もし本当にそれが理由だとしたら、ガバガバすぎる。
「し……仕方ないじゃない! このまま留年するか、能力で一発芸を見せたらお情けで通してやるなんて聞いたら、迷わず能力見せるでしょ!」
「いや……勉強頑張ればいいのに。ってかそうまでして、何で天使学校に入ったの」
私は食堂を出て少し離れたところにあるコンビニによって、ロゼとリュールのお昼を買う。リュールは事前申告があった梅おにぎり。ロゼは特に何も言わなかったので、適当にクリームコロネ。
「あ、あまり買わなくて大丈夫ですよ。わたしたち、4割くらいは天界に意識を置いた状態で人間界に降りてきていますので。紗弓さんの食費をものすごく圧迫することは、ないと思います」
「意識を置いてる?」
「そうです。本気を出すとどんな弱い能力の持ち主でも、人間界に影響を及ぼしてしまうので。力をセーブしてる、という感じでしょうか」
「じゃあロゼは半分本気ってくらいで、あの威力だったんだ」
「そうなります」
じゃあリュールはどうなるんだ。
と聞きたいところだったのだが、ちょうど支払いを終えてコンビニを出たタイミングでリュールの顔がこわばった。
「……悪魔がいます」
「え? このタイミングで?」
「悪魔はTPOなんて守りません。ついてきてください……!」
私はクリームコロネにのめり込んで、自分の世界から戻ってこないロゼの手を引いて、リュールの後を追った。