28:「……結構寝る時に考えたりするんだけど。私、嫌なお姉さんじゃなかった?」
リュールが宣言してからきっかり五分。
私は自分の家のベッドで寝転んでいた。部屋の中は天界に行く前、最後に大学に行った日と同じくらいの散らかりようだった。そばにあったデジタル時計を見ると、あの日から一週間と少し経った日曜日の昼下がり。そういえば、リュールとロゼに会ったのもこんな日だった。あの時はスマホとにらめっこしているうちに寝落ちして、気づけば二人が私のベッドにいたんだっけ。
部屋の中は静かだった。周りの状況が気になりだすと急に暑くなってきて、私はたまらずエアコンをつけた。
「一人かあ……」
独り言にしては大きな声で、私はつぶやく。誰の返事もない。
あんな唐突に別れることになるなんて思わなかった。小学校の卒業式でも、もうちょっとそれらしいお別れ会があると思うんだけど。
「ま、一人ならいいよね。ロゼのために買っといたシュークリーム食べても」
「ちょっと! それはずるいんじゃないの!?」
ベッドの下からロゼとリュールが這い出てきた。
実はロゼとリュールがいることは知っていた。よくよく耳を澄ませてみれば、ベッドの下からごそごそする音がしていたし、私に見つからないよう隠れている時に散らかしたんだろうな、という痕跡も若干あった。なぜ二人が人間界にもう一度降りてきているのか、その理由までは分からなかったが。
「すみません、ロゼが最後の最後までお騒がせして……」
リュールがペコペコ私に謝るのも、ここ最近では日常になっていた。
「結局降りてきたの? どういうこと?」
「それはですね。とりあえず紗弓さんを早く人間界に戻そうとはなったんですが、念のためあと一か月だけ、天使もこっちに滞在することになったんです。増殖した悪魔の残りが、まだいるかもしれないので。ですのでちゃんと、お別れ会もできます」
いつしますか、やっぱり一週間前とかですかね?
リュールはすっかりお別れ会をやる気でいた。できればあんまり豪勢なパーティーにしてほしくはないんだけど。片付けめんどくさいし。
「そういえば。この一週間って、どう埋め合わせするの?」
「交通事故に遭って軽いケガを負って、入院していたことになります。もちろんそんな交通事故は起きてないですし、入院した記録も残っていませんが。紗弓さんの周りの方は、そういう風に記憶をちょっと操作されています」
「二人のことを覚えておきたいって、わがまま言ったのは私だけど……なんか、すごい回りくどいことするんだね」
「大丈夫です。わたしたちも、紗弓さんに出会えてよかったと思っているので。ね、ロゼ?」
「ふ……ふん! むしろさっきお別れであたしはよかったのよ、それをリュールが……」
「本音は?」
ロゼがそっぽを向きつつ、ぼそぼそと照れ隠ししながらつぶやいた。
「……あ、あと一か月、よろしくお願いします……」
* * *
一か月はあっという間だった。ロゼとリュールが隣にいるだけで、あとはいつも通りの大学生活だったからかもしれない。
その間、なるべく二人と一緒にいるように努めた。あと一か月でロゼとリュールだけでなく、ヴォロンテたち他の天使も全員人間界から撤退するということで、私たち天使管理官以外の人間から天使に関わった記憶は消えているらしい。そのせいで亜季がうちに泊まりに来た時は、二人を隠す必要があった。でも大変だったのはそれくらいで、あとは本当にこれまで通りだった。
「しかし、よくあたしたちが来た時にすんなり受け入れたわね。普通はもっと混乱するものだと思うんだけど」
「それは、わたしも思いました。紗弓さんはどうも、落ち着きすぎというか」
ある日のお昼ご飯どき、二人にそんな話をされた。確かに突然居候が二人増えたというのに、あっさりしすぎな気は自分でもしていた。
「……うーん。やっぱり、二人が妹みたいな存在だからかな。二人とも天使で、人間とはかけ離れてる存在だっていうのは、分かってるつもりなんだけど……でも、天使以前に私の妹だから、守ってあげたいって気持ちが強い」
「そんなにお姉さんたち、紗弓さんにひどいことをしてきたんですか?」
「ひどいことっていうか……姑の嫁いびりみたいなことを十何年間延々されたというか……正直うちの姉、特に上の方はそのうちまとめて仕返ししようと思ってる」
「めちゃくちゃ根に持ってるじゃない……」
おーこわ、とぼやいてロゼが肩をすくめた。
「……結構寝る時に考えたりするんだけど。私、嫌なお姉さんじゃなかった?」
逆に私の方から二人に問うと、二人ともお互いの顔を見てから、ほとんど同時に同じことを言った。
「大丈夫です。むしろ、とても感謝しています。紗弓さんがお姉さんで、よかったです」
「まあ、悪くはなかったんじゃない? なんだかんだ、あたしも楽しかったわよ」
「それはお世辞とかじゃなく?」
「お世辞だったら、もっと予定調和みたいな言葉を用意しています。これはわたしたちの、正直な気持ちです」
この時ばかりは、リュールもロゼと同じように恥ずかしさを紛らわせるように笑っていた。
二人が天界に帰るちょうど一週間前には、本当にお別れ会をした。といっても三人でひっそりとやるだけだから、大した規模ではない。隣の駅の前にあるケーキ屋さんでホールケーキを一つ買って、誰の誕生日でもないのに適当にロウソクを差した。そんなケーキを、三人で分け合って食べた。
食べ終わって、しばらく他愛もない話をしていると、そうだ、とリュールが思い出したように懐を探った。私に向かって差し出した手の中には、かわいいサイズのストラップが二つ。それぞれ宝石のように輝く雫と、錠前がかたどられていた。
「これは? くれるの?」
「あまり上手くはありませんが、受け取っていただけると嬉しいです。合間を縫って、頑張って作ったので」
「……ほんとはもっと他に方法があったのかもしれないけど。一か月ちょっとしかなかったし、あんまり凝ったのはできなかったのよ」
お世辞抜きで言えば、確かにめちゃくちゃ上手いというわけではなかった。特に間近でよくよく見てみれば、ちょっと失敗したんだな、と分かるところがあった。でも、単純にこんな思い出の証をもらえる関係だと、二人に認めてもらえたことが嬉しかった。
「……ありがとう。大事にするね」
この時の二人の心からの笑みを、私はたぶん一生忘れない。
お別れの日は、案外普通だった。夕方六時きっかりに、二人は天界に戻る。
「お土産も渡したし、お別れ会もしたし。あとやり残したことはないわよね?」
「ないと思うよ。それにあっても、もうあと五分だし」
もう思いつく話題は全部話した。あと話していないとすれば、
「二人がもう一回人間界に来ることって、あるの?」
「あるかもしれないけど、ない方が人間にとっていいはずよ。今回は結局天使のしわざで、悪魔は出しにされただけだから、あんまり被害ないように見えてるかもしれないけど。実際ホントに悪魔が大量にやってきたら、人間なんてイチコロよ」
「ですが、心配はありません。常に天使の監視の目がありますし、人間の心がそこまで弱くはないことは悪魔も知っているはずなので」
ロゼもリュールも、そう言い切った。
「じゃあ、私が生きてる間は、もう会えないってこと?」
「そうなるんじゃない? まあ天使は人間より長生きだし、もしもう一度非常事態があったら、さゆみの子孫に憑依を検討するわ」
さゆみおばあちゃんは使い物にならなさそうだし、とツッコミしにくいコメントをロゼがした。
「じゃあね。せいぜい、早死にしないように頑張るのよ」
「ありがとうございます、紗弓さん。お元気で」
二人が光に包まれ、姿を消した。事前に聞いてはいたが、それでも思っていたよりずっとあっけない最後だった。
「……一人かあ」
私は背中からベッドに倒れ込む。今度こそ、ベッドの下でごそごそする音も聞こえない。
「……片付け、かな」
まだお腹は空いていない。急に落ち着かなくなって、私はそんな独り言を言ってから立ち上がった。二人が散らかしていった分も、片付けないといけない。
「……ん?」
ロゼとリュールが使ったコップをシンクに置こうと、手に取ったその時。ベッドの上に放り投げてあったスマホが震えた。相手は、下の姉だった。
”ちょうど今、紗弓のとこに来てて。お姉ちゃんはなんか忙しいみたいだから来てないんだけど、お父さんとお母さんも一緒なのよ。せっかくだし、一緒にご飯どう? もしかしてもう食べた?”
「ううん。食べてないよ」
自分でもちょっと明るい顔になってるな、と分かった。
「どこ行けばいい?」
”紗弓のマンションのエントランスで待ってる”
「おっけ。すぐ行く」
私は最低限の用意だけして、家を出た。ジーパンのポケットに入れたスマホには、ストラップが二つ。雫と、錠前の形をしたものだ。
―完―
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