24:「代弁する、天の意思を、わが意のままに」
「……ヴィテスは変な攻撃をしてくるって思ってるかもしれないけど、その本質は運動量変換だ」
「うんどうりょうへんかん?」
絶対分かってないだろうな、という口ぶりで、ロゼがそっくりそのまま繰り返した。
「物体の質量と速度の積、だったっけ?」
私は高校の物理の教科書にそんなのがあったな、と思い出しながらフォローした。
「そう。同じ時速60kmでも、野球のボールが飛んでくるのと車が突っ込んでくるのじゃ、受ける衝撃が全然違う。その差は運動量から来てる」
「へえ……」
全然分かってないけどもういいや、という顔をロゼがした。今のフードゥルの説明、割と分かりやすかったと思うんだけど。
「……で、その運動量を操作してるの?」
「そう。運動量自体は変えずに、速度と質量を変えられる。つまり軽くて速い攻撃を、重くて遅い攻撃に変えて、相手にダメージを与えるってこと」
「だからあの小さな石ころで、ロゼも私もめちゃくちゃ飛ばされたんだ」
「ちょっと」
私とフードゥルの間でぽんぽん話が進む。その流れをロゼが止めた。
「……なんかよく分かんないけど、結局どうすればヴィテスを倒せるの? っていうか、倒すことはできるの?」
「できるよ」
フードゥルが自信ありげに答えた。その間にも雄叫びとともに、ヴィテスの石ころが飛んでくる。私たちは思い思いの方向に転がって、その攻撃を避ける。避けられた、ということは、やはりあの時はクールのせいで当たらざるを得なかったのだ。
「残念ながら運動量の操作は向こうにしかできないから、向こうから飛んできた攻撃は素直に避けるしかない。けど、こっちの攻撃は操作できる。速度をいくら調整しても威力を軽減できないように、とびきりのを打ち込めばいい。それか、質量の定義できない攻撃を食らわせるかだけど」
「質量の定義できない攻撃?」
「まあ、今回は誰もそんな攻撃できないから、関係ないよ」
せっかくならそっちもどうやるのか知りたかったけど、今はそんな説明をゆっくり聞いている場合ではない。
「……さゆみ。これって結局、二人で行った方がいいやつじゃない?」
「うん、そうかも」
そして、ロゼと意見が一致した。ロゼは33位の能力を持つ天使。いくら相手の能力のタネが割れたと言っても、その序列は4位。一方の私はなんちゃって天使、能力もまだ使いたて。とてもじゃないが、一人ずつの力で4位に対抗できるとは思えない。
「二人で行く?」
「ま、見てなさい」
フードゥルの疑問の声をよそに、私たちはさっきと同じように手をつなぐ。さっきよりロゼの手が、心なしか震えている気がした。ロゼらしく言葉は強気だが、内心ほんとに大丈夫なの、と思っているのが出ているらしい。だから大丈夫という意味を込めて、私はぎゅっと手を握り返す。根拠のない自信だけど、こういう時の自信は大事だと思う。
「わっ……」
「いちいち変な声出さないでよ……」
ロゼとつないでいる手の平に、違和感を覚える。そんな感触を手に感じたこと自体が初めてだ。口からジュースをストローで吸い上げるのを、手でやっているような。あるいはあり得ないくらい太いのに全く痛くない注射針で、手から何かを注入されているような。いずれにせよ気持ち悪さが主張してくるのは間違いなかった。
「なんか気持ち悪い……」
「あたしもよ、なんか奥の手って感じがすごくするわ……」
何かを犠牲にするからこその奥の手、必殺技なのだろう。そしてこの独特の気持ち悪さが代償。そして目の前が真っ白になって、どうすればいいのか分からなかった私は、とりあえず目をつぶった。
「……うまくいったみたいよ」
ロゼの声がする。私の隣からではない。私の中からだ。
「あれ? ロゼは……?」
フードゥルの疑問もごもっともだ。ロゼはもはや私の隣にはいない。なぜならロゼは、私に憑依したから。
『あなたは今でこそ天使だが、元が人間だ。人間界にいた時と同じように、天使を憑依させることができる』
人間界にいた時は、ロゼとリュールは半分私に憑依する、という形をとっていたらしい。それは人間を媒介にしながら、ある程度自由に行動できるようにするため。一方で完全に憑依するとなれば、行動は完全に私の意思に左右される。憑依した天使にとって、一見メリットはないように見える。だが、憑依した先が能力を手に入れた元人間なら話は別。
「……行くよ!」
”どうせあたしは自由に動けないのよ。動きたい時に、ご自由に!”
垂れてきた茶色の前髪が、左目の視界を遮る。私だけならあり得ないロゼ由来のその髪をかき上げて、私は新しい詠唱を口にする。
「”代弁する、天の意思を、わが意のままに! タン・アバンドーネ……!”」
私の目の前に紋章が浮かび上がる。太極図のように半分が赤、半分が青。赤い方は既視感のある、東南アジアを連想させる文様。青い方は複雑な幾何学模様が描かれていた。そして紋章の形成は、私一人の時よりずっと早い。
『私が実際に見たわけではないから、確実なことは言えないが……能力を持った元人間に天使が憑依すれば、双方の能力が掛け合わさってより上位の能力になると考えられる。特に、一度あなたに憑依した実績のあるロゼリアの場合は、それがより期待される』
ロゼのお父さんの言葉を、私は思い出す。確実にお父さんの言った通りになるという保証はなかった。だが、ロゼが改めて私に憑依できるというのは、間違いない。
描かれた紋章から、炎と氷の複雑に入り混じった攻撃が噴き出る。先ほど二人で力を合わせた時とはまた違う。足し算ではなく、それぞれの能力の掛け算の結果がそこにあった。ヴィテスが受け止めるべく、巨大な岩を正面に持ち上げた。巨体ながら機敏な動きをするヴィテスが、追いついて対応の構えを取る。
「意味ないよ。こいつは、運動量変換では殺せない……!」
せんべいを両手で半分に割るように。岩が砕け、その奥にいるヴィテスを丸ごと飲み込む。一瞬だけ速度が速くなったり、遅くなったりと歪んだが、ほとんど勢いを失うことなく命中した。後には大の字で天を仰ぐヴィテスだけが残る。
「……構わねえ」
相変わらずの低い声。しかし先ほどまでの威圧感はない。
「オレたち三人でやっと足止めするにとどまるとは、随分な誤算だが……しかし足止めするだけでも、十分な成果だ」
「……どういうこと」
「まずは自分の姿を鏡で見てみるといい、元人間」
なるべくヴィテスに対する警戒を解かないように注意を払いながら、私は言う通りにした。振り向いた先にいたフードゥルがはっとした顔になって、慌てて鏡を私に手渡した。
「……っ!」
「人間が天使の能力を持ちそれを安定化させること自体、土台無理な話だ」
手鏡を受け取った左手の甲には、さっき描き出したのとまったく同じ紋章が刻まれていた。そして鏡の向こうにいたのは、顔の半分にロゼの特徴を宿した自分。顔の左半分と右半分で、髪の色が違う。左目は水色になっていた。そして何より。右のこめかみの辺りから、血が流れ出している。出血を認識してもなお、痛みを全く感じない。血はとめどなく流れ、止まる様子がない。
「うそ……」
全く痛くないのに。この出血が続けば、普通に考えて死んでしまう。そのことだけは妙にはっきりと分かる。
「最初からお前たちがその手を使うことを分かっていれば、クールもむやみなことをしなかっただろうさ。放っておいても、勝手に死ぬんだからな」
突然、押し寄せるように口の中で血の味がした。軽くせき込むと同時に、口から血が溢れ出す。身体中が悲鳴を上げている。
「それに仮に33位の力がなくとも、儀式は実行できる」
「え……?」
1位、3位、33位の三つの能力。それらが三位一体となって初めて、人間界を支配下に置くための準備が整うんじゃなかったのか。私たちがわざわざここまでして、”神”三人を撃破した意味は。
「天界と人間界を段差なくつなぐ1位の能力。この世に存在するあらゆる物質、概念までも錠前と定義し、その鍵のかけ外しを自由に行える3位の能力。天使が人間界に降り立ち支配するには、この二つで十分だ。……もっとも、その能力が33位以上のものになった今、むしろ必要になったかもしれないがな」
ヴィテスはすでに息も絶え絶え、といった様子だった。何のために必死で三人と戦ってきたのか、という後悔に似た何かに、私は頭を支配されていた。しかしふと我に返って、ヴィテスに叫ぶようにして尋ねた。
「リュールは……! リュールは、どこにいるの!?」
「よかったな……2位の女から、セリュールの意識が戻りつつあるという連絡を受けている……しかしもう手遅れだぞ。セリュールはすでに、能力の半分以上を奪われている」
ヴィテスがふっ、と勝ち誇ったような笑いをこぼした。そして最後の力を振り絞り、こちらに耳にはめ込むイヤホンのようなデバイスを投げてよこす。ヴィテスの巨体から感じられていた力が、ろうそくの火を消すようにふっ、となくなった。
「リュール! 聞こえる!?」
『さ……ゆみさん……』
「無事なの!?」
『来ないで……ください……』
「どうして! だって私、ロゼと一緒に……!」
『わたしの……わたしの、能力さえ用済みになれば……無傷で、解放してもらえるんです……さゆみさんたちを、巻き込むわけには……』
「そんなの……はいそうですかって諦めるわけないでしょ」
『……』
「ピティエが言ってた……天使から能力を奪うなんて、普通出来ないって。普通じゃない方法で、奪われようとしてるってことだよね?」
『……だとしても、』
「絶対、助けに行くから。余計なことって分かってても、このままじっとリュールが帰ってくるのを待つなんて、私にはできない」
私はデバイスを天衣のポケットに適当に突っ込んで、ロゼに尋ねる。
「リュールの匂いは分かるの?」
”意識が戻ったおかげで。すっごく薄い匂いだけど、ギリギリ道案内はできる”
「よろしく。ここまで来た以上、もう引き返せないから」
ロゼの指示に従って、私は道らしい道のない天界を走る。足がおぼつかないのは、道案内があってもなお進む道に自信がないからか、あるいは血を流しすぎて意識が飛びそうになっているからか。




